エピローグ
捨て切れなかった男の話
気を失ったジャネットと、それを見下ろす神父の所へ。
ホウキに乗っていたミーナが、夜の静けさを取り戻した墓地に舞い降りる。
「やりましたね! せん……」
駆け寄った先にいたのは、決着に喜ぶ勝者ではなく。
自責の念と無力感に満ちた、一人の男がそこにいた。
「……ミーナ」
「……はい」
「よく、頑張りましたね……。貴女の、おかげで……」
立っている余力も無くなり。へたり込むようにして、地に腰を下ろした。
「先生!」
「大丈夫ですよ……。少し疲れただけです……。それより、憲兵隊を……」
「――それは困るぜ、先生」
「ッ!」
ジャネットの声ではない。つい今まで存在しなかった『男』の声が、霊園に響いた。
「ティト……!」
気を失って倒れるジャネットのすぐ傍に、赤髪を逆立たせた青年が立っている。
五賢人の一角。五人の弟子の、3番目の兄弟。
増援を考えていなかったわけではないが、これは最悪の状況だ。ジャネット戦で何もかも消費し過ぎた。
しかし魔王の右腕を――ミーナを守ろうと、どうにか構えらしき姿勢を取りながら、立ち上がろうとする。
「オイオイ、よせよ。俺はこのチビ助の回収をしに来ただけなんだから。……ったく。粛清対象以外の住民まで失踪してるのが何事かと思ってみれば……。どんだけガキの発想なんだよ。法王様も呆れるわ」
ぶつくさ言いながら赤毛のティトは、小脇にジャネットを抱え上げる。
どうやら彼に戦意はなく、しかもジャネットの一連の行動は、口ぶりからして法王も把握していない独断行動だったらしい。
「
面倒臭そうに頭を掻きながら、かつての師に目線を送る。その横にいる、魔女の姿をした少女にも。
「……『魔王の右腕』の所在さえ分かったのなら、俺の仕事も終わりなんでな。『回収』や『奪還』までは命令されてねーし。つーわけで、ここらで俺らはオサラバするぜ」
「……まっ、待ちなさいよ……!」
ミーナは逃がすまいと声を上げる。
折角倒した、ストーンチルドレン殺しの犯人だ。ここで見逃しては、フローレア達も浮かばれないだろうとの判断だった。
魔王の右腕の力さえあれば、新手の魔法使いが相手でも――。
「……やめなさい、ミーナ。アレは……ティトは、マトモに勝負して勝てる相手ではありません」
10年前。何度も彼の相手をし、『辛勝』してきた身としての、実感のこもった忠告だった。
あの頃から時が過ぎ。鉄の右腕をぶら下げ、ボロボロの姿をしているかつての先生を見て。
ティトはさして興味も無さそうに、口元を緩めた。
「ま、そういう事だ。……じゃあな、『クリス・ルシフエル神父』。それとその弟子。お互い、もう二度と会わねーことを祈ろうぜ。女神様にでもよ」
そうして。ジャネットを抱えるティトの身体は、白い炎の渦に包まれた。
その姿が完全に見えなくなる直前。ひとつ、問いかけた。
「ティト」
彼の赤い瞳だけが、こちらを向く。
「……恨んでいますか」
白い火炎の中で。少年は、「はっ」と鼻で笑った。
「アンタを恨んでるのは、アンタ自身の方だろ。先生」
それ以上の会話は、白炎に阻まれ燃え尽きた。
今度こそ、霊園には静寂が戻り。
青紫色の花々が、夜風に静かに揺れていた。
***
朝日の光を全身に浴びて。
二人は、王都から旅立つ荷物を背負い込んだ。
「またいつでもおいでよ。ただし今度は、壊れてない腕の状態でね」
「はは……」
ガーネフ武具屋の前で。ハンナと、そしてフローレアが見送ってくれる。
犯人こそ捕まらなかったものの、ストーンチルドレンの殺害事件はひとまずの収束を向かえたと考えて良い。
マイクもジャネットも、これからは勝手な行動はしにくくなるだろう。
それらの旨をローレンス大司教に書簡で伝え、心残りを無くした神父達は、マルタ村へと戻ることにしたのだ。
「けっ、オレの別室が占領されるんだから、来ないでくれた方が助かるぜ!」
憎まれ口を叩くフローレアの頭を、「居候が何を偉そうに」とハンナが引っ叩く。
数多の同胞を失ったフローレアの心の傷は、すぐには癒えないだろう。だが彼女はこれからも、この王都でたくましく生きていくそうだ。
「素直じゃないな~フローレアちゃんは」
「『ちゃん』付けすんじゃねぇ! へっぽこ
「へ、へっぽこじゃないですゥー! これからたくさん魔法を教えて貰うんだから! 未来の大魔法使いだし!」
しかしジャネットとの戦いを目撃していないフローレアとしては、どうにも信用できないらしい。
挑発するフローレアに業を煮やしたミーナは、ホウキを高々と振り上げた。
「ならこれを見ても、まだ同じことが言えるかー!」
――光る花々が、宙を舞う。
「……これは……」
魔力で作られた花弁は、朝日を浴びて虹色に淡く発光する。
ひらひらと舞い落ちるそれらは、どれもが温かさと、優しさに満ちていた。
そして思い出した。――この魔法は。
まだ自分が『魔王』であった頃。魔女の里を訪れ、子供達に「魔法を見せて」とせがまれた時に、披露したものであった。
「す、すっげ……」
「きれいだねぇ……」
薄汚れた雰囲気漂う貧民街を、色鮮やかに染める魔法。
ハンナとフローレアだけでなく、道行く人々や、路地裏の浮浪者達も。
全ての者達が、ミーナの魔法に魅了されていた。その美しさに、誰しもが自然と笑みを零していた。
そして――自分すらも。
「……どうですか!? 先生」
評価を期待するミーナ。
緩んだ口元を咄嗟に隠す。
そしていつもの表情を取り戻し、冷静にミーナの魔女帽にチョップを入れた。
「魔法を無闇に使うんじゃありません」
「痛い! だから右手はやめてくださいよ!」
「それに、実用性のない魔法ですよ」
「実用性はあるじゃないですか! 皆、すごく良い笑顔でこの魔法を見てくれていますし!」
その昔。自分は幼いミーナに向かって、「魔法は人を幸せにするものだ」と言った。
しかしそれは嘘になった。誰も、笑顔にしてやる事ができなかった。
だが、今この瞬間。ミーナは嘘を嘘でなくした。
弟子の魔法が誰かを泣かせた。だが同時に、
「――間違ってなかったろ? クリス。アンタが今までやってきた事はさ」
ハンナがそう微笑んでくれる。
後悔と失敗と、間違いだらけの人生だった。
だが過去に蒔いた小さな小さな希望の花は――今日、咲き誇った。
「ミーナ」
「はい?」
「……帰りましょうか」
「はい!」
ハンナとフローレアに別れを告げ。
過ぎ去る王都の景色に、背中を向け。
捨て去ったと思った過去の全ては、今日まで続いているのだと。
置いてきたはずの悲しみは、どうやら未来へ進む背中を押してくれているようだった。
そして。
鉄の右腕と石の心臓を持つ神父は、魔女を夢見る少女と共に。
朝日が照らす、どこまでも続く道を、歩いていった。
フルメタル・クレリック ~鉄腕神父と魔女見習い~ 及川シノン@書籍発売中 @oikawachinon
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