28 鉄腕神父と魔女見習い

 戦いは最終局面へと突入し。

 互いの戦力は拮抗している、ように思われた。


 後衛の魔法使いと、前衛の闘士。それぞれ一名ずつ。数的不利はない。

 ジャネットは五賢人に名を連ねるほどの魔導士。

 だが対抗するミーナは、半人前ではあるが『魔王の右腕』によって戦力差を埋めている。

 そして前衛の死人。フローレアの『身内』であったストーンチルドレンは、擬似賢者の石で強力な肉体を手に入れた。

 屈強な身体を持つ死人に立ち向かうのは、剣も魔法も持たない細身の神父。


「要りませんよ……! 子供を叱るのに、そもそも魔法なんて!!」


 最後に残ったのは、己の肉体だけ。しかも右腕と心臓は自分のものではない。

 それでも。サウンドの魔法すら封じられても尚。拳を握る、理由があった。


「グォォォォォッ!!」


 魔物のような咆哮と共に。死人の拳が突き出された。

 払いのけ、右の肘鉄を腹に入れる。しかし音響による振動は発生しない。

 硬さと柔軟性を持った死人の肉体に、連打を叩き込む。

 通常なら既に、脳まで揺れてダウンしているはず。

 

 しかしただの殴打と変わらない攻撃に、それも強靭な肉体を獲得した死人には、有効打にはならず。

 手首を掴まれ、振り上げられ、そして地面へ叩き付けられた。


「がッ……!」


 背中からの強い衝撃に、肺の中の空気が全て押し出される。

 追撃の踏み付けを、横に転がって回避するが、更なる追い討ちで脇腹を蹴り上げられた。


「先生ッ!」


 口から血を吐き出しながら、それでも立ち上がる。

 拳を握って構え直すが、視界がフラつく。


「……まずいですね」


 今まで戦ってきたどんな騎士や戦士よりも、ゾンビや骸骨騎士など比較にならないほど、速く重い。

 一撃一撃が致命傷となり得る。回避したくとも、肉体までの着弾が早すぎる。

 音振の魔法で揺さぶることもできない。

 ジャネットの魔法はミーナが相殺してくれるものの、その状態もいつまで保てるか。


 ジリ貧――。しかし死人は容赦を知らず、迫り来る。


 顔面への右ストレートを、首の動きだけでかわし。

 相手の左耳を右の手首で打つ。

 脇腹を掴もうとする左腕の手首を、自分の左手で押さえ込む。

 相手の腕を押さえ込んだまま。生身の肘を鳩尾へ。

 これで終わらせない。

 低い打点から、右手の平を。掬い上げるように、押し上げるようにして、相手の下顎を打ち上げた。


 更に両腕で相手の胸部を打ち込もうと――するより先に、死人の蹴りで後方に吹き飛ばされた。


「ッ……!」


 いくつもの墓標が背中にぶつかり、砕け散る。

 もはや吐き出す血も息もなく、苦悶の声すら出ない。


 ミーナの不安そうな瞳。

 ジャネットの無感情な表情。

 そして死人の殺意。


 それらの景色さえ、霞んでくる。


「……なに、してるんでしょうね……。ホント……」


 このまま意識を手放せば、どうなるのだろう。

 ミーナだけではジャネット達に勝てないだろう。

 ジャネットは賢者の石を完成させるため、母さんジャンヌを生き返らせるために。更に多くのストーンチルドレン達を手にかけるだろう。その中にはきっと、フローレアも。


 せっかくハンナが右腕を新調してくれたのに。

 ローレンス大司教が、ここまでの状況へと導いてくれたのに。

 イザベラが村で待っている。

 ミーナに教える魔法は、まだたくさんある。


 一人の『魔法使い』として。見たい景色が、まだあるのに。



『貴方は誰よりも魔法が得意で、世界一魔法が好きな人だもの』



 違う。本当はそうじゃなかった。



『アタシの夢は大魔法使い! 皆を笑顔にする魔法を使うんです!』



 スタート地点は、ミーナと同じだった。

 行く道を間違えた。

 結末は不本意だった。


 それでもこの命は、まだ続いている。



「――魔法が好きなんじゃない。魔法で幸せになる人々の笑顔が、好きだっただけなんだ……!」



 大地を殴り、足に力を入れた。


 ――青紫色の花弁が、風に舞い上がる。


 ミーナへと襲いかかろうとしていた死人は、接近する神父服の男に気付いた。

 月光を反射する十字架と、ヒビの入った眼鏡と、灰色のストール。

 一歩一歩と踏みしめるその姿に、命無き肉塊は――『恐怖』を覚えた。


「……止まるな。行け」


 術者ジャネットの指示には逆らえず。賢者の石を一層光らせ、今度こそ討ち倒さんとする。


「……波濤拳の真髄は……!」


 豪腕から繰り出される、右からのボディブロー。

 それを左肘で叩き落し、左フックを顎に入れる。


「河の流れに等しく気を巡り……激流に依って岩をも削り……」


 一瞬足を引いた死人は、乱暴に左腕を振り回す。まるで鞭のように、神父の頭部を吹き飛ばそうと。

 だが頭一つ分、体勢を低くすることで。

 左腕は頭上を通過し、起き上がりと同時に左腕の関節を殴る。


「健やかなる柔の中に、美なる剛をもってして……!」


 背面に回る。

 両手で頭部を掴む。

 相手の膝裏を蹴り打ち、体勢を崩させ、倒れこむ相手の後頭部を己の方へ引き寄せる。

 そして腿と腿の間に、死人の頭部を挟み。見上げる赤い眼光と、見下ろす眼鏡の視線がかち合った。


「天上天下に無双の者など、居ないと知る事なり!!」


 固く握った右の拳を、顔へと振り下ろす。

 一発、二発、三発と。


「グッ……! ガァ! ァグ……!?」


 もがく死人。

 しかし足で頭部を挟んで逃がさない。

 拳は上から真っ直ぐ、顔面へと。

 四発、五発、六発と。殴り下ろす。

 鼻血が出る。歯が折れる。やめない。

 七発、八発、九発。


 じたばと腐った手足を振り回すも、どれも届かない。

 その間にも、硬い右腕の連打が、顔面へと打ち込まれ続ける。


 そして――。


「これで……もう、おやすみなさい」


 二十一発目の殴打を最後に。

 死人の身体は――ジャネットがどれほど命じようと――もう、動くことはなくなった。


 擬似賢者の石は割れ、光を失い。

 胸に穴の開いた死体は、物言わぬ肉塊へと還った。


 利用され続けた死者達へ、胸の前で十字を切ってから。

 最後の残存戦力へ、目線を向ける。


「……どうしますか、ジャネット」


 まさか本当に剣も魔法も使わず、体術のみで。死体とはいえ賢者の石で強化された戦士を倒すとは、ジャネットも予想外だったようだ。

 珍しく動揺を顔色に浮かべ、しかし敵意は曲げないまま、神父を睨み返す。


「……どうもしない。死体がダメなら、自分の手で殺すだけ……! 最初からそうしていれば良かった! ボルカニカ・バースト!!」


 上空に手を振り上げ。

 数多の火炎の流星が、降り注ぐ。

 着弾地点は予測できても、丸腰の状態で爆風までは処理しきれない。


 冷や汗をかいて、どうしたものかと思案した時――。


「ソニック・ショット!!!」


 ミーナの高らかな声が、墓地に響いた。

 そして降り注ぐ火球達を、広大な衝撃波の絨毯が押し返す。

 絨毯から漏れた火球は周囲に落ち、周囲に火炎と煙を巻き起こす。


「……!」


 いくら魔王の右腕の助力があるとはいえ。上級魔法の攻撃を、単純な低級魔法だけで凌駕するとは。


 そんな驚嘆するジャネットの隙を突き。

 立ち込める爆炎と白煙の中から――黒い神父服が飛び出した。


「――ホウキ……!?」


 ミーナはホウキに乗って滑空し。

 義手でその先端にぶら下がりながら。

 猛スピードで迫る師弟は、さながら投擲された槍。

 魔術師にとって最適だった距離を、一気に詰める。


「サイレント!」


 咄嗟にジャネットは神父の音響を封じた。

 右腕だけでない。彼の声も足音も衣擦れの音も、彼の発する『振動』は全て消音する。

 だが安心はできない。だからこそ。

 ミーナのホウキから手を離し、墓場を駆け抜け、右腕を振り上げた神父に向かって。

 その鉄腕のパンチを、カウンターで打ち消す。


「自分で自分を殴れッ!」


 充分にエネルギーの乗ったパンチを、右腕そのものに『転移』する。

 それこそが、ジャネットの最も得意とする魔法。最初に邂逅した時も、これで右腕をバラバラに吹き飛ばした。


 しかし――。


「甘いのよ」


 上空で全てを見守るミーナは、勝利を確信して呟いた。


「……!?」


 右腕は吹き飛ばない。転移できる攻撃エネルギーが存在しない。

 つまりそもそも、のだ。


 そして神父の『左手』は、ジャネットの頭へ、届く。


「――――」


 『サウンド』と唱えた声は、消音の魔法によって誰にも聞こえない。

 しかし。声を出す必要はない。魔法で何かの音を奏でる必要も、エンジン音を鳴らす必要も。

 『サウンド』は音を操る。振動さえあれば、自由自在にその波紋を操れる。


 そして。一切の音を封じられた神父が操ったのは――。


「ッ!?」


 どくん。ジャネットの心臓が、跳ね上がる。

 神父には右腕がない。心臓もない。生きているか、死んでるかも曖昧な日々だった。

 だがジャネットには。ジャネットだけでない。生きとし生ける者達には、生まれ落ちたその瞬間より鳴り響かせている『音』がある。


「あッ……! が……!」


 ――心臓の鼓動音。


 どくんどくんと脈打つ、太鼓のリズムのようなそれは。

 サウンドによって強化され、ジャネットの体内全てを叩く。叩く。叩く。


 膝を付き、悶えるジャネットはもはや、魔法を扱う精神的余裕はなく。

 脂汗を額にびっしりを浮かべながら、かつての師を見上げた。


「……ジャネット。貴女はたくさんの強力な魔法を覚えました。ですがそれで、貴女自身が強くなったわけではありません。……自分の願いのために他人に迷惑をかける、我儘な子供のままです」


 怒りと憎しみを湛えたまま。ジャネットは力を振り絞り、苦しみながら、ナイフを取り出した。


「う……あああああああああああッ!!!」


 その手首を掴み。今度こそ、右腕を振り上げた。


「ナイフも魔法も、誰かを傷付けるための道具じゃないと、教えたでしょうがァァァァァァァァァ!!!!!」


 一切の遠慮も躊躇も無く。

 魔法の師として。そしてジャネットの親代わりとして。

 拳骨を、叩き込んだ。

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