25 人を幸せにする魔法
ローレンス大司教が退室して行った後。
ハンナはミーナに昼食の準備を任せ、部屋には二人だけが残った。
「しかし驚いたね。あの娘が……ミーナが、クリスの右腕の『鞘』だったなんてさ」
「ベルガモットの魔女が何故、法王庁に侵入し、盗み出した右腕を孫娘に宿したのかは分かりませんが……。私の下にミーナを寄越したのも、何かしら考えがあってのことでしょう」
「だと良いんだけどね。あの婆さん、気まぐれだし」
「否定はしません」
渇いた笑いが漏れる。
しかしローレンスから真実を聞き、照らし合わせた情報のことを思うと、心から何かを楽しむといった気にはなれなかった。
「……ねぇクリス。アンタ……」
「――弟子が、人を殺していたんです」
昨夜の光景は、今も瞼の裏に焼き付いている。
二人だけの部屋には静寂が満ちる。
思ったことはすぐ口に出す性格のハンナが、言葉に詰まるほどの沈黙だった。
「戦争は10年前に終わりました。右腕は私の身体から離れていきました。……ですが、それで幕引きではなかった。まだ何も、決着など付いていないのだと、痛感しましたよ」
魔王として倒され。心臓を失い。代わりに埋め込まれた魔石に、持てる魔力のほぼ全てを注ぎ込むだけの、緩慢に生き永らえるだけの日々だった。
投げ出したと思っていた過去は、今までずっと続いていたというのに。
「……アタシら鍛冶屋ってのはさ」
重苦しい空気を引き裂くように。
ハンナは再び口を開いた。
「アタシらが作る武具ってのは、どれだけ飾り立てようと、結局人殺しの道具でしかないのさ。10年前、ドワーフ族は人にも魔物にも武器を売った」
古来よりドワーフは武器を製造し、求める者に売り渡して存続してきた種族だ。
たとえ相手が誰であろうと、金を出す者は平等に客として扱う。
「アタシは殺しをしたことはない。でも、アタシ達の作った剣は、たくさんの命を奪ったのさ。時には同胞の未来すらも。……そういう意味では、アンタと同じさ」
工房で作り出した剣。机上で生み出した魔法。
それらはハンナやクリスの手を離れ、殺し合いの道具となった。
しかしそれでもハンナは戦争が終わるまで、終わった後も、工房で武器を作り続けている。
時に死の商人として忌み嫌われることがあっても。
他に、この世界で生きる術を持っていないから。
「結局アタシらにできる事は、キレイさっぱり稼業から足を洗うか、作り続けて剣を託す相手を選ぶしかないのさ」
「……ですから私は、魔法を捨て――」
「――アンタは託したんだろ。ミーナに」
「……!」
「それにアンタはまだ、ほんの少しばかり魔法が使える。アタシと違って、剣を振るうことができるのさ。裁縫針みたいな、小さな剣だけどね」
ようやく微笑んだハンナの顔は、誰かの笑顔に似ていた。
ミーナのようにも、思い出の中に咲くジャンヌの笑顔にも、遠い昔に見たジャネットのそれにも似ているように思えた。
ただ一つ、確かなことは。そういう笑顔を。ハンナだけでなく、より多くの人間の笑顔を。
誰かの幸福を守るのが、『魔法』であるはずだ。
「……ハンナ」
それが。今また、この王都で。
魔法で誰かが泣いている。
弟子に渡した技術によって、不幸な誰かが生まれている。
10年間見続けた夢より覚めて、ベッドから起き上がるには、充分な理由だった。
「私の右腕、2日で作って頂けますか」
「まーた相変わらず、無茶を言う
「そうですか……」
「……でも、まぁ」
ハンナは頭にタオルを巻き直す。
その瞳には既に、熟練どころではない『王国一の職人』としての炎が、灯っていた。
「ひと月で魔王軍に剣100本納品したアタシなら、不可能じゃないさ……! アンタの方こそ、明後日までに体調を万全にしときな!」
ローレンスやハンナが居なければ今頃、尻尾を巻いてどこかに逃げ込んでいただろう。
過去には後悔しか残してきていないと思っていた。
しかし未来へ進むための背を押してくれるのは、やはり過去から繋がってきた『絆』があってこそだった。
***
そして二日後。
太陽が昇り始めた頃、ガーネフ武具屋の前で、ミーナと共に『波濤拳』の型を舞う。
白い半袖から覗く、黒光りする右腕。今は死んだように眠っているハンナが、本当にオーダー通りに完成させてくれた鉄腕の、その動作確認も兼ねている。
そして、ひとしきり組み手も終えた所で。
ミーナに、聞きたいことがあった。
「ミーナ」
「はい?」
「私達には今、二つの選択肢があります。当初目的としていた王都行きの用件は、全て済みました。このまま、マルタ村へ戻ることもできます。そこで静かに、貴女に魔法を教えましょう」
「そうですねー。早くイザベラちゃんの顔も見たいですしね~」
「……そしてもう一つ。この王都を騒がせている魔法使いを、止める戦いに出向くことです。目星は付いています。……しかし、その魔法使いはとても強力です」
「そうですね~。先生、身体中が穴だらけにされてましたし。でも、放ってはおけませんよね、うん。やっぱり」
「……怖くないのですか?」
ミーナの声色は、平時と何ら変わりないものであった。
己の肉体に、魔王の右腕という規格外の魔力が宿っているのに。
ジャネットの強さを、その目で見たにも関わらず。
疑問も恐怖も混乱も全て、ミーナには感情のままに喚き散らしても良いだけの権利があるはず。それなのに、彼女は平然としている。
「一人じゃ勝てない敵も、二人で挑めば何とかなりますって、きっと」
「……ミーナ。貴女の中には、私でも制御できるか分からないほどの魔力が、溢れている状態なのですよ」
「大丈夫ですよ。アタシ、先生と約束しましたもん。先生がアタシを弟子にしてくれた時に。『魔法を決して、人を傷付けるためには使わない』って」
「……!」
「それに今マルタ村に戻ったら先生きっと、また毎日ショボーンとして、何やってもつまらなそーな、面白くない生活を過ごすだけでしょう?」
「……そんなにつまらなそうな顔してましたかね」
「アタシの夢は大魔法使い! 皆を笑顔にする魔法を使うんです! そしてその『皆』の中には、ちゃんと先生も含まれていますよ!」
屈託のない笑顔で。疑いなど欠片も見せない信頼で、ミーナは言い切った。
「……ホント。凄い人ですね、貴女は」
剣で刺せば人は死ぬ。
魔法を撃てば誰かを不幸にできる。
武術で殴れば相手を討ち倒せる。
だがいつの時代も。どんな場所でも。
それを扱うのは、武器を握った者のやる事だった。
「……朝から早起きだな、アンタら」
そこへ。眠そうな声と共に、屋根から小柄な少女が降りてきた。
「貴女は……」
「くたばってなかったみたいだな、神父さんよ」
「貴女こそ、無事だったようで良かったです。フローレア」
十字架を盗んだフローレア。
ミーナと共にジャネットから逃れ、武具屋に辿り着いた後の2日間、姿を見せていなかった。
「裏街の連中に声かけてたのさ。夜は危ねーからあんまり出歩くなって。特に、オレらみたいな『ストーンチルドレン』はさ」
「……つまり、貴女も……」
フローレアは己の胸を親指で指し示す。
世話になっていた『おっちゃん』が死んだ後も、いやそれ以前から、心臓にはぽっかり穴が空いていた。その穴に、石が埋め込まれているだけで。
「難儀なもんだよな、オレらはさ。この石ころのせいで魔力も使えず、魔導師になるどころか魔石一つ動かせねぇ。そうなるとこの時代、ロクな働き先もねぇ。できることは盗みかゴミ漁りくらいだ」
「……世には、魔石を動力とする道具が溢れていますからね」
「神父さんもオレらと同じだってな。……『おっちゃん』も、大人になるまで生き永らえた珍しいストーンチルドレンだった。『魔石なんか使えなくても問題ない。そもそも人間は大昔、魔石なんて使っていなかった』って、よく言っててさ……」
世話をしてくれたその『おっちゃん』も、既に消された。
「……コレ、返すよ」
フローレアの手には、金の十字架が握られていた。
盗んだままだったのを、持ち主に返却しに来たのだ。
「仇を取ってくれだなんて言わねぇ。オレ達は毎日が、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。不思議なことでもない。……ただ」
フローレアの目に、涙が滲む。
「一発で良いから、ブン殴って来てくれよ……! オレの、オレ達の代わりに……!」
「……任せなさい」
十字架を手に取り。
全ての因縁に、決着を付けに行く。
「――魔法で誰かを傷付ける者には、拳骨です……!」
出立の時は来た。
そしてその日。夕陽が沈み行く頃。ローレンスから、アルテミナ教会からの支給品が届いた。
ボロボロだった服を全て処分し、それら一式に身を包む。
黒い神父服。白い手袋。新調した眼鏡。ハンナ渾身の義手が、ガシャリと鳴る。
首からは金の十字架を下げ、そして新しく――首下に、灰色の
ミーナも魔女帽を深く被り、ハンナから借りたホウキを手に持ち。
二人の師弟は、夜風を受けて。
誰かの笑顔を守るため、『魔弾の射手』の居場所へ向かった。
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