フルメタル・クレリック ~鉄腕神父と魔女見習い~

及川シノン

世界最後の攻防で

 世界の存亡を賭けた決戦は、『敗北』という形で終わろうとしていた。


「……国家連合軍、被害甚大! 魔族軍も既に半壊し、天界の戦力すらも消耗しています……!」


 若き兵士の声が荒野の戦場に響く。

 しかしそれは誰に対してなのか、あるいは意味を成す伝令なのかも曖昧だった。

 見れば分かる。言われずとも皆理解している。


 国家の枠組みを超えて集結した人間達の軍勢は、大混乱に陥っている。

 積年の恨みを堪えて馳せ参じた魔物達の群れも、阿鼻叫喚に包まれていた。

 下界には不干渉だったはずの神々達すら、その奇跡の力を用いて戦っているというのに。


 それでも尚――勝利には、届かない。


「……もはや、これまでか……!」


 渇いた大地に立つ枯れ木が、最後の水分も奪われて塵と消える。そして塵は、重苦しい暗黒の渦へと吸い込まれていく。

 暗雲と暴風が渦巻くその中心。全ての不条理と悪意を押し固めたかのような『闇』だけが、この地獄において嗤っていた。


 その膨大なる悪の根源を前にして。

 精悍なる顔つきの『勇者』は今、傷付き、膝を屈していた。

 それほどの相手なのだ。予想を遥かに超えていた。

 あらゆる種族が、生命が。世界存亡の危機にあって、力を一つに結集したというのに。

 まだ足りないというのか。あとどれだけの犠牲を薪としてくべれば、希望に光は灯るのか。

 あるいはもう、滅び行く運命を受け入れるしかないのか。

 そんな、覆すことのできない現実に打ちひしがれる勇者。

 そこへ――。


「ハイ、ちょっと失礼」

「……!?」


 勇者の背後から近づき、通り過ぎ、悠々と『闇』に向かって歩いて行く黒服の男が現れた。

 首から下げた金の十字架ロザリオが大きく揺れ動いている。

 吹きすさぶ風など、ものともせず。向かう先が死地であるなどと、全く思わせないような足取りで。

 散歩にも似た速度で、丸腰の男は進んで行く。


「待っ……! お待ち下さい、神父!!」


 さしもの勇者も声を荒げる。

 黒服の、細身なその『神父』は、背にかけられた制止に反応し振り向く。眼鏡の奥の双眸が、静かに勇者を射抜いていた。


「何でしょう?」

「いや、何でしょうじゃないですよ! 何をなさるおつもりですか!?」

「何って……。『アレ』を倒すんですよ。そのために、こんな所まで皆わざわざ来たんじゃないですか。このまま帰るわけにもいかないですし」

「そんな事は分かっています! ですが人間の軍勢も、魔物達も、神々すらも! 既に大打撃を受けて壊滅しています! 槍も弓も爪も牙も銃も大砲も、奇跡の大魔法すら通用しなかった! 撤退すべきです!!」

「もう逃げ場なんて無いですよ。逃げたら世界が終わる。それは勇者様もよく理解しているでしょ?」

「しかし……!」


 勇者が見上げる神父の顔は、さして深刻でも無さそうな困り顔をしていた。

 聞き分けのない孤児院の子供を諭すような。品物を安く売ってくれと値切られ、困惑する商人のような。

 『絶望』とは、まるで無縁の顔色だった。


「ならば……!」


 勇者は分かっていた。この優しそうな神父がいかに頑固者で、痩せ型でありながら、いかに猪突猛進に敵に立ち向かうかを。これまでの旅で、勇者は深く知っていた。

 だからこそ『希望』を託すことにした。闇を討ち払える唯一の手段。決定打となり得る、己の手にある聖剣を。


「コレをお持ち下さい……!」

「それは……」

「私はもう腕も足も折れ、この剣を奴に突き立てることはできない……! ですが、神父様なら! 剣先を届けるだけなら、聖剣に選ばれし者でなくとも――」


 神父はすっと手の平を見せて、その提案を『拒否』した。


「いえ。要らないです」

「は……」

「というより刃物は持てませんよ、私。聖職者ですから。申し訳ないです、折角のお心遣いなのに」


 勇者は絶句した。

 刃物を持てない? 聖職者だから?

 理屈は通っている。教義に従うなら、刃物による流血は戒律違反。神官の身である以上、至極全うな主張だ。

 しかし、時と場を考えて欲しい。


 勇者はつい苛立って、神父に向かって吠えた。


「……ならば、どうすると言うのですか!!!」


「――ブン殴ります」


「えっ?」


 聞き間違いかと思った。だが勇者の耳は健在だった。

 言葉を失った勇者に、神父は変わらず温和な笑みで語りかける。


「確かに我々の攻撃手段では滅ぼし切れなかった。しかし皆さんのおかげで、『の者』にも物理攻撃が有効であること自体は実証できました。もちろん、聖剣によって全ての闇を斬り払い、突き立てることができるのならそれが最善でしょう。ですが勇者様が負傷した今、聖剣によらない攻撃で倒すしかありません」


 それもまた、理には適っていた。状況を整理し、今この場で何か行動を起こすことができるとしたら。神父が説明した方法以外に手段はない。

 ただ唯一、そして致命的な欠陥――『不可能である』という条件を、理論から除外した場合の話だが。


『……愚か者め……。剣も魔法も失くした貴様が、今更何を為す……?』


 『闇』の音色が。腹の底に響く、本能的な恐怖を駆り立てるような声が。深淵なる闇より発せられる。

 それだけで軍馬はいななき、魔物はすくみ、天使達すら後ずさる。

 神父だけが、闇に向かって返答する。


「私にはまだ両の足と腕が残っています。剣は持てません。魔法もほとんど使えません。ですが……こうして背筋を伸ばして貴方に立ち向かえているのですから、何だってできます。我々は、この世界に生きとし生ける者達は……。やろうと思えば、どんな事も不可能ではなくなるのです」


 闇が震え、大気は振動し。そしてそれが『嘲笑』の反応であると、数秒遅れて全ての者が理解した。

 闇は嗤う。愚者を前にして。小さき存在の、細身な神父を侮る。

 神父は自前の眼鏡を一度指で押し上げ、拳を握る。


『我は魔なり! 災厄を、惨禍を齎す永劫不変の悪辣なりや! 不可逆なる滅びである我への軽口を、この我の前に丸腰で立った事を……! 塵の一片に還るまで、悔やみ苦しみ嘆くが良い!!』

「アルテミナ教会司祭、クリス・ルシフエルです。さぁ……貴方の神に、祈りなさい」


 敬虔なる神のしもべが、一歩踏み出す。

 神をも喰らう、絶対悪を殴り飛ばすため。


 そしてこの物語は。

 全てを失った男が、世界の全てを守るための一歩を、もう一度踏み出すまでへと繋がる――消失と再生の旅路である。

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