報告(2)

「——仰っている意味がわからないのですが」

 優は、強い動揺を抑えてそう返す。


「ずっと考えていたんだ。——僕が、なぜ何も追い求めなくなったのか。

今まで経験したことのない感覚だったから。


……僕の中に、君がいるからだ。

以前のような、欲しいという感情とは全く違う。

僕の全力で君を大切にできるなら、僕は他に何もいらない」



 ——彼は、初めて知ったのだ。

 正真正銘の愛を。




「……ありがとうございます……」

 大切なものを、まっすぐに差し出された感覚。

 だが、それを受け取ることはできない。



「——僕を連れ歩いたりしたら、きっと面倒な噂が立ちます」

「会社の部下にしか見えないさ」

「……ヨメにはなれませんし」

「相手が男で何が悪い。子どもをもうける方法だってある」




「——それに、僕には、もう結婚を約束したひとがいますから」



「……そうなのか?」

「はい」


「……『彼』、か?」

 優は黙って頷いた。



「——それは残念だ」

 相楽は少し微笑んで呟く。


「……申し訳ありません」

 優は、目の前のグラスに浮かぶ氷を見つめて答えた。


「謝る必要はない。君は相変わらずマジメだな。——同じ相手に2度も振られるとは、さすがにサマにならないけどな」


「今のあなたなら——幸せになれる相手が、必ず見つかります」

「だから、今は欲しくないんだって」

「……済みません」

 何となく笑い合った。


「幸せになってくれ。

——まあ、君なら何の心配もなさそうだがな」

「……ありがとうございます」


「……それから……」

「はい?」



「一度だけ、君とキスがしたい」


 グラスを取ろうとした優の手が止まる。



「生まれて初めて——眠れないほどに蹴落とされて、自分のしたことを後悔させられて……こんなに必要だと思った。

君は僕の中で、誰も近づけない特別な場所に居座ってしまった。


やはり君は、僕には手の届かないひとだったけど——

……一度だけ、君に触れさせてくれ」


 初めて見る、懇願するような相楽の瞳だった。



 それはあり得ないと、分かっている。

 分かっているが——


 初めてひとを愛したその思いを、こうして真剣に伝えにきた男。

 一蹴されることを知りながら、自分に触れたいとまっすぐに申し出る男。


 この男は、痛いほど自分を求めている——。




「——一度だけなら」


 

 相楽はその答えを確かめるように、優の瞳を見つめた。

「無理ならそう言ってくれ。断られれば、もうそれでいいんだ」


「……それが、今のあなたに必要なものならば」

 優は、相楽をまっすぐに見た。



「——私、ちょっと用足してきます。すぐ戻るので」

 状況を汲んだマスターは、相楽に目配せして席を外した。



 こわれ物を扱うように、相楽の両手が優の肩を包む。

 静かに——唇が重なる。

 肩の手に、僅かに力がこもった。


 温かく、優しく——少しだけ長い一瞬。




「ありがとう。

——これじゃ、僕にはもう恋人などできそうにない」


 唇を離して視線を合わせ——相楽は少し困ったようにそう微笑んだ。

 





 その夜。

 俺は何となく眠れず、リビングで最新の宇宙論を読んでいた。

 ついでにヒロさんの真似をしてコーヒーをドリップしてみた。余裕がある感じでなかなかいいものだ。


「ただいま……あ、まだ起きてた?」

 少し疲れた顔で、優が帰宅した。今日は何か用があったようだ。

「おかえり、優。何となくな。……今日は飲みだった?」

「……うん、まあ……」

 コートを脱ぐと、優はどこか思い詰めた眼でリビングに座った。


「コーヒーをドリップしてみたよ。ヒロさんみたいに美味いかわからないけど、飲む?」

「…ん……」

 いつになく不明瞭な答えが返ってくる。


 ……どうしたんだ、優は?

 なんかいつもと違うような……


「あのさ、拓海」

「ん?」

「——謝らなきゃいけないことがある」


 カップを優の前に置くと、彼は俺の眼をじっと見つめる。


「——さっき……相楽と、キスした」

「うあっつっつっつ!!!」

 俺は口にしようとしたコーヒーを豪快に膝へこぼしていた。

「あーーーー!タオル持って来る!」

「あのーー優?今言った言葉、なんだって?もう一回いい??」

 俺は膝の熱さどころではない。

 どう考えてもおかしいだろ、それ??



「……僕には、そうするしかなかった」

 俺の膝に濡らしたタオルを当てながら、優は静かに呟く。



「先週会社に電話があって、会いたいって言われて……あのトラブルの件だろうと思ったんだけど、そうじゃなかった。

すごく変わったよ、彼。

僕に丁寧に謝って……本気で付き合ってほしいと言われた。

だから、結婚する話をした。幸せになれ、って言われたよ。


でも……彼の真剣さや、まっすぐに僕に向いている思いが……刺さるように、痛かった。

ひとを愛する気持ちを知った彼が、まるで素直な子どもみたいで……

横を向いてしまうことが、どうしてもできなかった。

彼が望むなら、一度だけ——そう思ったんだ」


 そして彼は、俺の眼をまっすぐ見た。

「だから、拓海に謝る。こんなことをして、ごめん。

でも——間違いだったとは、思っていない」



「……いいんじゃないか?」

 俺は、俺なりに精一杯思いを巡らせてから、答えた。


「——え?」

「優がそう思ったなら……多分それでいいんだと思う。

当事者じゃない俺が、自分以外のヤツとはキス厳禁!なんて横から騒ぐのも——なんかヘンな話だしな」

 優は、複雑な瞳で俺を見つめた。

「……怒らないの?」

「そりゃ、怒りたくないといったら、嘘になる。

でも、自分の感情より、優の判断を大事にしたい。——これからも。

君が真剣に考えて決めたことなら、俺は信じられる」


「……拓海は、いつも優しすぎるよ。

怒りたいなら、我慢しないでほしい」

 視線を落とし、優が呟く。

「大丈夫だよ。怒る時は本気で怒るから心配するな。

……君とのキスで相楽が救われるなら、それでいいさ」

「彼、もう恋人はできないかも、って呟いてたけど」

 ……相楽氏、相当重症だ。むしろ何だか気の毒なような……。


「それにしても、随分深く愛されたもんだな、優。……まかり間違えたら、相楽書房次期社長夫人になってたかもな……うぉっ!?」

 そう言いかけた俺めがけて、ヒロさん仕込みの優の拳がびゅんと唸った。俺の顎すれすれでびたっと止まる。

「今度そんなふざけた冗談言ったら、マジで当てるからね?」

 優の眼がメラメラと燃えている。本当に怒らせたらしい。

「悪かった!変な冗談言って!」

「そうだよ!そんな笑えない冗談平気で言ってさ……

僕が愛してるのは、拓海だけだ。

拓海にも——少しは僕に執着してほしいのに」


「………は?」


 優は、なんだか急激に赤面した。



「——俺が、君に執着してないとでも思ってるのか?」






 その夜——俺は優の鎖骨の上に、くっきりと赤い印を残した。



 君の心も身体も、束縛はしない。

 けれど……俺はもう、君を離さない。

 絶対に。


  

    



「——そういや、来週末はヒロさんと花絵、一泊でクリスマスデートに行くんだったよな?

俺たちも、どこか出かけるか?」

「んー……いいや。拓海と家でのんびりしたい。

そうだ、拓海、なんかとびきり美味しいディナー作ってよ」

「……やっぱりどこかで食事でも……」

「冗談だよ。僕が何か作る」



 こうやって、いろんなことを一緒に乗り越えながら……俺たちの毎日は回っていく。


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