最高の友

「ママ、元気?寒くなってきたね、風邪引いてない?」


 花絵は、静岡に住む母の美知絵に電話をしていた。

『元気よ。パートの仕事も楽しいし、友達もいっぱいいるし。相変わらず慌ただしい毎日だけどね。……花絵は?』

 一人暮らしの母だが、いつも元気で明るい。花絵はその声でいつも励まされる。


「うん、元気にしてるわ。

——実はね、今度ママに会ってもらいたいひとがいて……」


『うふふ。いつそんな話してくるか、待ってたのよ』

 そんなウキウキした声が返って来た。


 大好きな母に、隠し事をするのは嫌だった。——それに、いずれ分かることなのだから。


「……あのね——実は……紹介したいのは、彼じゃなくて……

——彼女なの」


『…………え?』

「——佐伯ヒロって、覚えてない?」


『…………』



 しばらく間が空いてから、答えが返って来た。

『——確か、高校の時にうちによく遊びに来てた、背が高くて綺麗な子……だったわよね?

……その子が……あなたの紹介したい恋人……っていうこと、かしら?』

 いつもさばさばとはっきり話す母も、しどろもどろだ。

「そう。いずれふたりで挨拶に行ければと思ってるの」



『………前につき合ってたのは、確か……永瀬くん……だったわね?

……何だか、よく話が呑み込めないんだけど……

とにかく——』


 花絵は、思わずぎゅっと眼をつぶった。

 どんな返事が返ってくる——?



『恋人の性別が無差別なんて、なんだかかっこいいわね』



「——え?」

『とっても素敵だわ。あなたのパートナーが女性なんて。——それに相手がヒロちゃんだったら、大丈夫。ふたりとも、絶対幸せになれる』


 花絵の母は、かつて夫のDVが原因で離婚を経験していた。花絵が小学5年の時だ。

 それ以来、母は花絵をひとりで育てた。

 父親の暴力が原因で、花絵が男性恐怖症を抱えたことも……そのために、彼女が長い間苦しんできたことも、母は深く理解していた。


 花絵の選択は、母にとって安心できるものだったのかもしれない。



「——ありがとう……」

 花絵は、鼻の奥がじわっと熱くなる感覚を抑えながら、答えた。


「……私、ママが私の母親で、よかった。

母親が、恋人の話を笑顔で聞いてくれるひとで……よかった」


『なによ、急に改まって。そんなの当たり前でしょ?

——いつ頃来られるか、はっきりしたら教えて?……楽しみにしてるから』


 母は、ちょっと潤んだような声を出しながらも、快活にそう言った。

 




「ヒロ……

うちのママ、ヒロなら嬉しいって……言ってくれた」


 ヒロの部屋で、花絵は顔に手を当てて泣いていた。

 嬉しくてて……母への感謝の思いで、涙が止まらない。


「……私も、昔から花絵のお母さんが大好きだった。

いつも温かくて、明るくて……うらやましかった。

——そんなふうに迎えてもらえるなんて、私は幸せ者だわ」

 ヒロも、涙を湛えた眼で花絵の肩を抱いた。


 自分の母親に、頑なに拒まれても——こんなふうに受け入れてくれるひとがいる。

 それがこんなに嬉しいものだと、初めて知った。


「私も、母にもっと近づいてみる。

——あなたを幸せにするんだから。難しくたって……歩み寄ってみる」


 ヒロは、拓海の言葉を思い出しながら……花絵と自分自身にそう呟いた。





 12月半ばの土曜の夜。

 ヒロが母と会ってから、ひと月ほど経っていた。


 その間……ヒロは繰り返し思い返していた。

 母の事実や、自分と母のこれまでのことを。


 うまく伝わるのかはわからなかったが——母に、今の自分の気持ちを伝えようと決めた。

 これまでの母の態度や、先日会った時の圧迫感を思い出すと、緊張で手が震える。

 ……しかし、ここで引き返す気はない。


 苦しい思いを抱えながら自分を育てた母と、もっと近づきたい。

 心からそう思った。



「……もしもし、母さん。私よ。ヒロ」


『——どうしたの?あなたから電話なんて』


 母の声は、やはり無機質に遠く聞こえる。

 この距離を、自分が縮める——。


「母さん——」

 端末を握る手に力がこもる。


「この前は、本当のことを聞かせてくれて、嬉しかった。

——ありがとう。


……この前会って、事実を聞いて……母さんっていうひとが、初めてはっきり見えた気がした。

今まで、どんなひとだか分からなかった母さんのことが、やっと掴めた気がした。

……母さんが、なぜ私から目を逸らしていたのか——

今までどれほど苦しんで、辛い気持ちを抱えてきたか——

それが、やっと理解できた。

……疑問が一気に解けたわ。


私は、もっと母さんのことが知りたい。

もっとたくさん、話がしたい。今までできなかった分も。

今度、家に帰るから。……顔を見て、話せたらいいなと思ってる」



 電話の奥に、沈黙が流れた。


「……母さん?」



 少し震える声が聞こえて来た。


『……ええ、待ってるわ。


そのとき——あなたの恋人も、連れてらっしゃい』



「……え?」

『この前、あなたと話せて——私も、胸に詰まっていた何かが、溶けたような気がした。

きっと……今度は、あなたと笑顔で話せる』



「……嬉しい……とても。

ありがとう、母さん……」


『それを言うのは私よ。

今までまともに母親もできなかった私に——こうして、あなたから言葉をかけてくれて——ありがとう、ヒロ』


 母がこんなふうに涙ぐんだ声を、初めて聞いた。


「それはね……私の最高の友人が、教えてくれたのよ」

『あなたの周りには、素敵な友達がいるのね——あなたは幸せね』


「そうなの。とても幸せよ」

 ヒロは、子どもが宝物を自慢をするように、そう答えた。

  






 今夜は、花絵のお気に入りの居酒屋で4人全員が集まっていた。

 こんな風に俺たちが外で集合するのは、本当に久しぶりだ。


「今日は私たちのおごりよ!じゃ乾杯ーー!!」

 花絵がいつになく弾けて乾杯の音頭をとる。

「私たち……って、花絵とヒロさんのおごりってこと?」

「そう!今回は拓海と優くんに命を救われたからね、私たち」

「ん?そんなに大したことしてないよ?」

「命を救ったなんて……大袈裟だよ」

 いつも明るく逞しい彼女たちに改まって言われると、何だか照れる。

「ううん、そんなことないわ。

永瀬君と優くんがいてくれなかったら……私たち、どうなっていたか分からないもの」

 ヒロさんが、真剣な表情でそう言う。


「私が母に歩み寄ろうと頑張れたのも、花絵が黙って私を見守っていてくれたのも——あなたたちふたりが、私たちの心を支えてくれたからよ」



「そっか。……役に立てたなら、よかった。ほんとに」



 あの日ヒロさんは、堰を切ったように泣いていた。

 今までどんなことも、誰にも頼らず自分の中で解決してきたのだろう。

 いつもリーダーのように、俺たちを力強く支えてくれるヒロさん。

 そんな彼女の力に、初めてなることができた……。

 それが、心から嬉しかった。



「あのとき——私、嬉しくて……本当はあなたを押し倒しそうになったのよ、永瀬君」

 ヒロさんがちょっと色っぽい上目遣いでそんなことを言う。


「……え?」

 俺は硬直し、優が険しい眼になって俺を見る。


「拓海……ヒロさんと、なんかあったの?」

「え、え……??そうじゃなくって……ヒロさん〜〜!!あの時のこと、もっとちゃんと優に話してやってよ!?」

「あら。それを言うなら、私だって優くんともっとディープなキスしたかったわ。……あの夜」

 花絵も、何かを思い出すように頬を染めて乙女のように呟く。

「……あの夜、って……何のことだ、優」

「いや、そういうんじゃないよ全然!!花絵さんっ!?意地悪すぎ!!」

「あははっ!!ごめん、冗談よ!これからいろいろ詳しく話すから、二人とも安心して?」

 久々に輝くようなヒロさんの笑顔だ。



 何はともあれ——彼女たちは、明るい方向へ大きく一歩踏み出した。

 今日の宴は、どこまでも華やかに盛り上がりそうだ。



 ——俺たちは、やっぱり4人一緒で、よかった。

 今、心からそう思える。


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