寄り添う

 優は、しんと静まった家族へ向けて、一言ずつ確認するようにはっきりと伝えた。


「お父さん、お母さん。……皆さん。

僕は、男です。

男ですから……拓海さんを、必ず幸せにします。

約束します」



 俺は思わず優を見た。

 驚いた。——それは、当然俺が言う言葉だと思っていたから。


 固い決意の籠った彼の瞳は、今までにない光を湛えて父と母を真っ直ぐに見つめている。

 意表を突かれた顔で、父は優を見据えた。


「素敵なカレね、拓海」

 姉の友希がそう微笑んで、父に睨まれる。

 俺は自分でも慌てるほど、急激に顔が熱くなるのを感じていた。誰が見ても明らかに真っ赤になっているはずだ。

 こういう言葉を聞いたとき、こんな気持ちになるとは……想像もしていなかった。


「……悪いが、今日はもう話すことがない」

 そう言いながら、父は慌ただしく席を立った。

「理解してくれなんて頼まない。俺の気持ちは、何があっても変わらない。それだけ分かってくれれば充分だ」

 こちらを見ようともしない父の背に、乱暴に言葉をぶつける。

「拓海……帰ろう。お邪魔しました……済みません。失礼します」

「優、謝る必要ないだろ!」

「わかったから……行こう」

 俺はまだ憤りの治まらないまま、優に引っ張られるように家を後にした。


   


 外に出ると、初冬の冷えた空気に包まれた。

 足早に歩いていく優に追いつき、横に並んだ。


「……優、ごめん」

「いいよ。拓海が悪いんじゃない——想定内だよ」


「それと——ありがとな」

「なにが?」

 ぶっきらぼうに優は訊く。

「いや………ちょっと驚いたから」

 俺はモゴモゴと呟いた。

「……だって、恋人の実家に挨拶に行く男は外せないヤツじゃん、あの台詞」

 彼はそっぽを向いて素っ気なく言う。

「嬉しかった。すごく」

「本当の気持ちを伝えただけだよ。今日はそれを言いにここへ来たんだ。

……恥ずかしいからもういいって」

 どうやら照れているようだ。


 そのまま……彼は酷く寂しげな顔になった。


「お父さんを……苦しめてしまったね……」


 思い出したくない感情が再び湧き出す。

「認めないというなら、それでいい」

「それは……違うんじゃない?」

「違わないよ」

「………」


 そこで、俺たちの会話は途絶えてしまった。



 俺たちの幸せを認めてもらえない……その意味が、分からなかった。

 最愛の人を諦めて——代わりに女性の恋人を紹介すれば、彼らは幸せなのか? 

 ならば、俺たち自身の幸せとは、一体何なのか。


 俺たちの幸せがこれほど許されないのは、何故なのか。

 誰にも迷惑などかけていない。ただ、愛する人と幸せになりたいだけなのだ。

 ——俺たちには、幸せになる権利すらないというのだろうか?


 疑問ばかりがとめどなく溢れ出す。

 予想はしたことだったが……これほど理不尽な思いに苦しめられるとは、考えてもいなかった。


「……優、少し休まないか?」

 俺は、通りがかりのカフェの前で足を止めた。

 少し、落ち着いて呼吸しなければいけないと思った。

 何かを振り切るように早足で歩いていた優も、ふと立ち止まり……疲れたように俺を振り返った。



 席についた途端、どっと疲れが溢れ出した。

 メニューを開いてとりあえず目に入ったカフェオレを二つ注文する。

 自分のカフェオレに入れるついでに、優の分にもどかっと砂糖を入れてぐるぐると混ぜた。

「……あ、勝手に!」

「いいんだよ、こういう時は甘いのがいいんだ」

「……」

 優もそれ以上何も言わず、ひたすら甘いカフェオレを黙って啜る。


 二人でしばらく頬杖をついて、街を眺めた。

 冬の初めの柔らかな日差しを浴びて、大勢の人が流れていく。

 笑ったり、黙り込んだり、俯いたり……さまざまな思いを抱えて、誰もがそれぞれの大切な時間を生きている。

 ——立ち止まらざるを得ない俺たちも含めて。



「——そうだ」

 ふと頬杖をはずし、優が口を開いた。

「面白いこと思いついた。……拓海、この後、少し買い物に付き合ってくれる?」

「え?」

「甘ーいのが、効いたかも」

 優は、そう言うとニッと笑った。





 カフェで適当にランチを済ませると、彼はまっすぐに駅に隣接した百貨店へと向かった。

 

 レディースファッションの売り場へ直行すると、躊躇いもなく店内へ踏み込む。感じの良い中年の女性店員を見つけると、美しい笑顔で話しかけた。

「あの……顔立ちも背格好も僕によく似た妹にプレゼントしたいんですが……似合いそうなワンピースを、一緒に見てもらえますか?」

「かしこまりました。どうぞ、こちらへ……さぞお美しい方でしょうね、いろいろ取り揃えてございます」

 ベテランらしい店員は、嬉しげに対応を始めた。

 和やかに会話をしつつ、彼女は上品なワインカラーのワンピースを選び出した。

「これなら、お肌の白さと明るい髪色が一層引き立って、とてもお似合いになりますわ。ロング丈のスカートに美しいフレアが入って、とても華やかですし……ね?」

 店員は彼の身体に品物を合わせ、鏡を見ながら何やら嬉しそうだ。こういう美形にはどうやら選びがいがあるらしい。

「……いいですね、これ」

 彼は、企みを潜めた眼でいたずらっぽく笑った。

「このワンピースに合わせるジャケットやコートなどもございますよ」

「あ、じゃあそれも一緒に見せてもらえますか?」


 ……あのぉ、優くん?

 俺はだんだんと濃くなる不安を追い払えないまま、彼の後ろをうろうろするほかなかった。



 それから数時間後。

 ホテルの部屋で、彼は完全な超絶美女になりきって俺の目の前にいた。

 架空の妹を使い、店舗を回って買い漁った品物を駆使した見事な変身ぶりだ。さっきのワンピースに柔らかな白のAラインハーフコート、ベージュのパンプス……緩くウェーブのかかった優雅なウィッグにナチュラルメイクも完璧だ。なぜか形のよい胸もある。……一体どこのお嬢様だ??

「なあ……優、まさかこういう趣味があったとかじゃないよな?」

「そんな訳ないでしょ。僕は美術はずっと5だったんだ。自分を美しく飾るくらい簡単だ、任せとけ」

 気品のある色気を漂わせながら男前な発言をする。


「……これで誰にも文句を言わせない」

 小さくそんなことを呟くと、くるりとこちらを向いて微笑んだ。

「拓海、デートしよう。これから」



 夕暮れの街は、近づいたクリスマスの雰囲気に浮き立つ。ショーウィンドウの前に立つツリーや街路樹で点滅するライトが華やかに輝く。

 人混みの街中で、彼は俺の手をぎゅっと繋いだ。

「ほら、これなら全然平気だ」

 俺は、ここで彼の目的をやっと理解した。

「……うん……でも……優は恥ずかしくない……?」

「こうでもしなきゃ、堂々とくっついてデートできないでしょ、僕たち。

……拓海は超絶美女の彼氏なんだから、いばってればいいんだよ」

 優は俺の腕を抱えるようにしながら、ますます強く寄り添う。街を行く男たちがみな優を振り返る。

「どうだ。ざまみろ!」

 彼は輝く笑顔をふりまきつつ暴言を呟く。

 相変わらず負けず嫌いだ。


 優の言う通りだった。

 俺たちは、こんなふうに寄り添って歩いたことがない。

 いつも会社の同僚のように……二人の間には空間を作っていた。

 横を歩く恋人の笑顔を、間近で見つめる……そんな当たり前のことさえできずに。


「おかしいよね。この格好なら、誰にも文句言われないんだから」

 俺の横で、優が呟く。

「……そうだな」

 化粧や装いだけで、こんなふうに世間の風当たりが変わる……この現象を、一体どう理解すればいいのだろう。

 つくづく短絡的で、滑稽に思えた。


 可愛らしい仕草でぎゅっとくっつく優に、ふざけて囁いた。

「……もしかして、バカップルってヤツじゃないか?俺たち」

「いいじゃん、バカップルで。……こんなに側にいてもいいんだから」



 俺は、行き交う歩行者たちのど真ん中で、彼を抱きしめた。

 寄り添い歩くためだけに無理やり飾り立てた痛々しい彼を、全力で抱きしめていた。




 そんな俺たちの間で、不意に俺の携帯の呼び出し音が鳴る。

「もしもし……あ、姉さん?」


 電話の奥の姉の言葉に、俺はぎょっとして慌てふためいた。


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