愛する理由
「母さん、俺。拓海。……うん、元気だよ。そっちはみんな元気?」
10月も半ばになった土曜の午後。
部屋に差し込む陽射しは日一日と淡く、今日は少し肌寒いくらいだ。
「……あのさ……父さんと母さんに会わせたいひとがいて……今度そっちへ行こうかと思ってるんだ」
俺は、優を家族に紹介するために、神戸の母へ電話をしていた。
『あら、そうなの?それは楽しみだわ!……前に話してた、花絵さん……ではなくて……?』
電話口から、母の明るい声がする。
ずっと専業主婦で、おっとりと優しい母の言葉には、いつもほっとする。
「……うん、違うよ」
ぐらぐらと揺れる思いを抑えながら話す。
「今年の春に就職して、今編集者のタマゴだよ。……相楽書房って、知ってる?」
『あ、聞いたことあるわ。……優秀な方なのね。就職っていったら、まだとてもお若いのね?』
母は、もちろん知らない。
「彼女」ではなく、「彼」を紹介したいのだ、ということを。
——それを、いつ言えばいい?
『それで、いつ頃こちらに来るの?』
「……来月初めくらいかな……都合、大丈夫そう?」
今、その事実を話せば……会うことすら拒まれてしまうかもしれない。
父は、地元の建設会社の経理部長をしている。
昔気質の、頑固な父だ。
『父さんにも聞いてみるわね。——あなたが恋人連れて来る、なんていったら、
彩香は俺の妹だ。今年21になった。短大で歯科衛生士の資格を取り、今は実家から近所の歯科に勤めている。明るく陽気な笑顔が目に浮かんだ。
「——もし都合良かったら、姉さんにも来てもらいたいな。みんなに会ってほしいからさ」
姉や妹にも、その場にいてほしい……なぜだかわからないが、縋るようにそう思った。
『そう?なら
姉の友希は俺より3つ年上だ。市内に嫁ぎ、実家にもちょいちょい顔を出しているらしい。明るく気さくなしっかり者だ。
「うん。……じゃ、詳しいことは、また連絡するよ」
そのまま、通話を終えてしまった。
……優が、辛い思いをするだろう。
俺は、携帯を置くと頭をぐしゃっと掻いた。
*
その夜、俺は優の部屋を訪れた。
「——わかった」
彼は、いつもの穏やかな顔でそう言った。
「今伝えても、伝えなくても……そんなに違わないよね、きっと。
……今それを話してご両親とぶつかってしまうより、いいのかもしれない……」
「……なあ……実家行くのなんか、やめようか?優……」
俺は、わからなくなっていた。
優に辛い思いをさせるくらいなら……拒否反応を示すに違いない両親に会わせることなど、避けてしまいたかった。
「……誰からも隠れたくないんだ、僕も」
優は、はっきりとそう答えた。
「あなた誰ですか?って聞かれて、大切なことを何も答えられないような自分は嫌だ。
拓海の家族みんなに、僕の存在を知ってもらいたい。——拓海のパートナーとして。
……それができて初めて、何かが始まる気がするんだ」
いかにも彼らしい、男前な意見だ。
「——俺が、守るから」
いつも冷静な優の瞳を見つめた。
「守ってくれなんて、言わないよ」
「……ほんとかわいくない」
そんなことを言いながら唇を重ねる。
——本当は、大きく重い不安が彼の心にのしかかっているはずだ。
闇の中で、苦しげに何度も俺を引き寄せる彼の腕に——その思いが垣間見えた気がした。
*
11月上旬の土曜日、午前11時。
俺たちは、神戸の実家の前にいた。
ふたり揃ってスーツだ。
傍目からは………さしずめ何かの営業だろうか。
コートを脱ぎ、ネクタイをぐっと締め直す。
「優……いくぞ?」
「……うん。行こう」
考えた瞬間、足が前に出なくなりそうな気がして……俺たちはほぼ何も考えずに、ここまで来るしかなかった。
「いらっしゃい。お待ちしてました」
母が笑顔で出迎えた。
「……あら……お相手の方は……?」
きょとんと、不思議そうな顔をしている。
「拓海、久しぶりね」
「お兄ちゃん、お帰り!紹介したい彼女さんって……ん?」
リビングで待っていた姉と妹も、きょろきょろと俺たち以外の「彼女」を探している。
父は、少し緊張した面持ちで、リビングのソファから立ち上がった。
「拓海、お帰り……」
「ただいま」
俺は、ソファに優を招いて、ふたり並んで座った。
状況をよく呑み込めないまま、母がお茶を出す。
「……拓海、紹介したいひとっていうのは……?」
父が、疑問を詰め込んだ声音で俺に聞く。
「このひとだよ。——父さん、母さん」
「初めまして、黒崎優と申します。
……突然のことで、皆さんを驚かせてしまい……本当に申し訳ありません」
「……俺、このひとを幸せにしたいと思ってるんだ。これからずっと」
「………」
父も母も、固まったまま動かない。
「……きれいなひと……」
「彩香、黙ってなさい」
妹の呟きを、父が鋭く遮る。
「二人は結婚する……そういうことか?拓海」
「そうだよ。結婚したいんだ、俺たち」
「………」
父は、目の前の湯呑みを睨み続けている。
やっと、混乱した思考から何とか言葉を探し出したように、父は優に問うた。
「優さん……でしたね?
あなたのご両親は、このことは了承されているんですか?……あなたが拓海と一緒になることを」
「僕には、両親や身内はいません。——児童養護施設で育ちましたので」
「………そうでしたか……」
父は、低く呟いた。
「みんなが聞きたいことは、わかってる。……それは俺自身にも、説明ができない……本当に自然に、このひとを好きになっていたから。
……優と幸せになりたいんだ。優のことを、家族みんなに知ってほしくて、今日ここに来たんだ」
誰も、次の言葉をつなぐことができない。
堪り兼ねて、父が呻くように呟いた。
「……本当に悪いが……拓海、今日はここまでにしてもらえないだろうか。
どういうことなのか……私には訳が分からないんだ」
「ひとを好きになるのに、訳とか理由とかがなくちゃいけないのか?理屈に合わなきゃ、ひとを愛することもできないのか?」
「とにかく……わからんのだ。一体なぜ、こうなった……?
——私が何か、間違っていたのか?」
「お父さん、少し落ち着いて……拓海の話をちゃんと聞いてやって」
母も動揺しながら、父を諌めるしかない。
「母さんは、そうは思わんのか?……私たち親が、どこかで何かを間違えたんじゃないかと」
「……」
母の押し黙った暗い顔を、見たくなかった。
どうしたら、わかってもらえるのだろう……?
「何も間違えてなんかいない。間違いとか、そういうのじゃないんだ……
俺の中では、当たり前なんだ——父さんが母さんを愛するように……自然で、止められないことなんだ」
自分の感じているそのままを、ただ必死に並べることしかできない。
父は、下を向いたまま、独り言のように呟く。
「どうやってわかればいいんだ、拓海?
——それに、子どもは……永瀬を継ぐ子は、どうなるんだ」
「お父さん、ちょっと待って……。今拓海にそんな話しなくても……」
「子どもが必要ならつくるさ。俺たちでどうにかしてみせる」
ここで後ろへ退いては、絶対にいけない——そう思った。
「……ごめんなさいね、優さん。せっかく来てくださったのに、こんな思いをさせてしまって——」
混乱した思いを纏められないまま、母は消え入るような声で優を気遣った。
例えようもなく重い沈黙が流れる。
「……いいえ」
優は顔をまっすぐ上げ、静かな眼で母を見た。
そして、穏やかにはっきりと話す。
「——わかっていました。その上で、ここへ来ました。
でも……今日皆さんにどうしてもお伝えしたかったことが、ひとつだけあるんです。……それだけ、言わせてください」
どうしようもなく取り乱していた俺たちは——静かに力のこもった彼の声に、まるで水を浴びせられたように静まった。
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