家族

 電話は、姉の友希からだった。

『拓海?今、あなたの泊まるホテルに行きたくて駅の辺りまで来てるんだけど、場所がわからなくて。——これからちょっとそっちにお邪魔してもいい?』


「あっ、え!?……うーーん、今ちょっと……」

 俺は大いに取り乱した。思わずきょろきょろ辺りを見回し、挙動不審になる。

 ——もしかして、その辺でばったり出くわしてしまうんじゃないか!?さすがに見られたらアウトだろ、コレ……

『あら、もしかしてお取り込み中だったかしら?』

 姉は違う方向に勘違いしたようだ。

「え?いや、そうじゃないんだけど!」

『そんなに急がなくてもいいわよ、うふふ。……準備整ったら連絡くれる?駅の辺りで彩香と適当に時間つぶしてるから。じゃあね』

 ……彩香も一緒にいるらしい。

 どうして来ることにしたんだろう?

 ——なんて考えている場合ではない。とにかく今は、彼女たちに目撃されることなく優を大至急男に戻さなければならなかった。

「走るぞ、優!」

 彼の手を引いて走り出す。

「えっどうしたの?……ちょっ、僕この靴だし!」

「がんばれゆうちゃん!」

「ゆうちゃんって言うな!」

 そんなことを言い合いながら、二人でホテルまでばたばたと疾走したのだった。



 約1時間後。

 友希と彩香は、俺たちのホテルの部屋にいた。

「ごめんね、急に押しかけて。慌てちゃったでしょ?」

 友希は微笑んで、ちょっと優の顔を伺う。

 メイクを落とし、衣装類を大急ぎで隠していつもの姿に戻った優だったが、整え直した髪がまだわずかに濡れている。やっぱり取り込み中だったと思われたようだ。

「いや、大丈夫だけどさ……どうして二人でここに来たの?」

 さっきの実家での気まずい空気を思い出し、俺は歯切れ悪く尋ねた。

「どうしてって、おしゃべりに来たのよ、優くんと。

……ほら、ス○バのラテもテイクアウトしてきたし」

 友希はさらっとそう言う。


「……え?」

「だって、さっきは父さんのせいで一言も口聞けなかったし。彩香も、かわいいゆうちゃんにもう一回会いたいってうるさくてね」

 彩香は、友希の後ろでもじもじしていたが、笑顔になってぴょこんと挨拶した。

「あの……優さん、あんまりキレイだから、びっくりしちゃって……

あの、ゆうちゃん、って呼んでもいいですか?」


 優は呆気にとられた顔をしていたが……すぐに満面の笑みになった。

「もちろんです」

「きゃっ!!こんな麗しくて優しいおにいさんができるなんて嬉しすぎるっ!ねっお姉ちゃん!」

「私のタイプは五郎○だからなー」

 そんなふうに言って、友希は笑う。


「……でも、さっきの二人の様子見てたらね……そうそうないアツアツぶりね」

「…………」

 俺は赤面しているのを隠したくて横を向く。優も下を向いて恥ずかしげだ。

 友希はクスッと笑って続ける。

「拓海の不器用な部分を、優くんの強さが助けてくれてるのね。

優しいけど、その分自分の感情を出すのが苦手な拓海のことを、誰よりも理解してくれてる。

……そうでなきゃ、両親に対してのさっきの優くんみたいに、拓海を助けられないもの。

——優くんは拓海にぴったりのパートナーだって、私は思った」


 そして友希はちょっと茶化すように笑う。

「おまけに、並大抵の女子じゃ太刀打ちできない美貌の持ち主だしね?拓海にはもったいないわ、ほんとに。

……どんなことも、あなたたち二人ならきっと乗り越えられる。


ウチの旦那なんて、気も利かないし面倒臭がりだし……何でも当たり前みたいな顔して、優しい言葉なんて一言も言わないからね?ほんと。

——なんだか羨ましくなっちゃったな」


「……父さんや母さんが反対してても——姉さんはいいの?」

「だって、拓海の幸せは、親のためのものじゃないでしょ?あなたたちが幸せになるのを応援するのは、私にとっては当たり前よ。……それに優くん、とても素敵な人だし。絶対応援する。——拓海をよろしくね、優くん」

 そう言って、友希は優に向けてにっこり微笑んだ。


「お姉ちゃんの言う通りよ。私もふたりの味方だよ!父さんは頭がカタいのよ、まったく。……今度東京に遊びにいくからね、お兄ちゃん!ゆうちゃんを大事にしなきゃ怒るよ?」

 彩香も、声に力を込めて言う。



「……友希さん、彩香さん……本当に嬉しいです。……ありがとうございます」

 優は、緊張が一気に緩んだように……ほんの少し、瞳が潤んだ。


 兄弟姉妹の温かさをこんなに感じたのは、初めてだった。

 俺も、思わず目が熱くなる。

「……拓海はもう……ほんとすぐ泣くんだから……優くん、こんなヤツで大変だろうけど」

 そう言って友希は苦笑いする。

「そういうところが、好きなんです」

 優は、幸せそうな笑みをこぼしてそう答えた。



「ねえねえ、ラテ冷めちゃうから、飲もうよ!」

「そうそう、優くんのはキャラメルマキアートにしたわ。今日みたいなストレスフルな日はコレよ、甘味はストレス軽減にいいんだから」

「はい……喜んで」


 今日二杯目の甘いコーヒーを啜る優を囲み、姉と妹はいつまでも賑やかだった。





 翌日、日曜の朝。

 俺たちは、帰りの新幹線のホームにいた。

 話したいことも、何となく見つからないまま……ふたり黙って、澄んだ空を見上げた。


「——拓海!」

 不意に呼ばれた。

 振り返ると、父と母が手を振りながらホームを走って来る。


「え……どうしたの?」

「友希に聞いたんだ。この時間の新幹線で帰るって……見つけられてよかった」

 父は、息を切らしてそう言った。

「お父さん、ギリギリになってから駅に行こうなんて言い出すから……探さなくても素直に電話すればいいのに」

「そんな話はいい」

 泣き笑いのような顔をして言う母を、父がぼそっと遮る。


 そして、優に向かって、彼は深く頭を下げた。

「優さん……昨日は、本当に申し訳なかった。

……拓海を、どうぞよろしくお願いします」



 顔を上げた父は、少し泣いているようだった。

「あなたの前で、あんな酷い話をして……

辛い思いをさせてしまった……

どうか、許してください。


私たちが本気で育てた息子の選択を否定して、息子に一体何をさせたいのか……

どうして、自分の凝り固まった考えを子どもに押し付けたくなってしまうんでしょうね、親というのは。

——子どもの幸せは、子どものものなのに。


今は、これくらいのことを言うのが精一杯ですが……

あなたと一緒なら、拓海は幸せなんですね……このことは、よく分かったつもりです」


「……いいえ……

こんなふうに、言葉をいただけただけで……」

 優の瞳に、ぶわっと涙が溢れた。

 ——黙って耐えていたさまざまな思いが、堰を切ったように。



「拓海、優さん……昨日は、何もできなくて……何も話せなくて……

本当にごめんなさいね……

でも——二人とも、幸せそうで……とても嬉しいわ」

 母は、既に何度も泣いたような目をしていた。



 ——俺の涙腺も決壊しそうだ。



「今になってしまったが——私は父のおさむ……それと、母の千紘ちひろです。どうぞよろしく。

……拓海、優くんを大事にしなさい」


「うん、わかってる。……じゃ、もう行くよ」



 ドアが閉まるほんの手前で……俺はやっと言えた。

「……ありがとう」



 父と母も、やっと笑顔になった。





 新幹線の中、座席に着くなり優はぐっすり眠ってしまった。

 緊張から解放されて、疲労が一気に押し寄せたのだろう。


 窓に額を寄せる静かな寝顔を見つめた。



 ——頑張ったな、優。


 ……そして君も、俺の家族になるんだな。



 大切な人を、自分の家族に知ってもらえた。

それが、こんなに温かい気持ちにさせてくれることを……俺は初めて感じていた。





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