ウェディングベル

「私たち、結婚式を挙げたいと思ってるの」


 2月も半ばになった、土曜の夕方。

 久々にみんな揃った夕食のテーブルで、花絵が幸せそうに頬を染めて俺たちに報告した。ヒロさんも、花絵の横で凛々しく美しい微笑みを湛えている。


「お、そうなのか!?それはめでたい!じゃあ乾杯しなくちゃだな!!

——花絵、ヒロさん、結婚おめでとう!乾杯っ!!」

 いつものグラスにフツーのビールをなみなみと注ぎ、みんなで盛大にぶつけ合う。

 これまで4人で過ごしてきた中で、最高に幸せな乾杯だ。

 結婚すると言っても、実際の生活は今まで通り4人一緒で全く変わらないのだが……そういう節目を作るのは、やっぱり大切なことだ。


「結婚式か……素敵だね。……うーん、美しい新婦が二人並ぶなんて豪華すぎる!」

 優はそう言いながら視線をキラキラと宙に浮かべる。

「結婚式って言ってもね、そんなに盛大にやるつもりじゃないのよ。身内だけで、近場のレストランでアットホームな感じにできたらなって思ってる」

 ヒロさんが嬉しそうにそう話す。その様子から、お互いの家族がこの結婚を祝福していることが伝わって来る。

「気になったレストランに問い合わせたら、同性カップルでも気持ちよく受け入れてくれて、すごく嬉しかったわ。

優くんの言う通り。ウェディングドレス姿の花嫁二人っていう式、いいでしょ?ずっと頭の中で思い描いてたことが現実になるなんて!」

 花絵も既に瞳からハートが溢れ出している。確かに彼女たちのウエディングドレス姿はさぞ美しいだろう。想像するだけで華やかな気分になる。

「6月に挙式する予定なの。ジューンブライドっていうやつね。……ふたりとも、出席してくれるわよね?」

「もちろん!!」

 俺も優も、力を込めて頷いた。


  



「あのさ……俺たちは、どうしようか?」

 その夜、俺の部屋で自分のノートパソコンをいじっていた優に、俺は訊いた。

「ん?挙式とかのこと?」

「うん。優も言ってただろ?スタートラインがほしいって。優はリングを交換できればいいって前に言ったけどさ……なんか思い出として残せたら、と思うんだよな」

「そうだね……

でも、式とかはなぁ……うーーん」

 やっぱりこの話になると、彼はもじもじと恥ずかしそうになる。

「きっと純白のドレスが似合うぞ、優」

 冗談混じりに言った途端、床にあったクッションをぼすっと投げられた。

「だから!僕は花嫁にも妻にもならないからね!」

「あはは、嘘だって。大切な君にドレスなんか着せるもんか」

「………」

 後半部分を真顔で言った俺に、彼は複雑な表情でまた赤面する。

 いつも冷静でクールな優がこんな顔をするなんて、他にはきっと誰も知らない。

 ——この部屋での彼は全部、俺だけが見られる優だ。


「……そうだ」

 むすっとパソコンに向かっていた彼が、ふと顔を上げた。

「あのさ、拓海。ちょっといいこと思いついたんだけど……」


「——お!いいな、それ!」

 優のアイデアに、俺も即座に同意した。





 花絵とヒロさんの結婚式は、華やかで温かく、最高の式になった。

 6月だが、真夏じゃないかと思うくらい突き抜けた快晴だ。

 どうやら花絵もヒロさんもダブルで晴れ女らしい。


 彼女たちは、本当に美しかった。

 純白に輝くウェディングドレス。リングを交換し、お互いのベールを持ち上げて誓いのキスをする姿は、最高に素敵だった。


 お互いの家族もすっかり馴染み合い、どこまでも幸せで賑やかな祝宴だった。

 ヒロさんの兄の煉さんは、あの端正な顔をぐしゃぐしゃにしておいおいと泣いていた。ヒロさんが「私より泣かないでよ!」と困ったほどだ。

 花絵の母は溌剌と若々しく、パープルのパーティドレスで装ったその可愛らしさに、ヒロさんの父は思わず見蕩れていた。しまいには夫人に脇腹をぐいっとつつかれ、頭をかく始末だ。すらりとダンディーなナイスミドルなのに……お茶目でドジな所が何となく煉さんに似ていて、ちょっと笑ってしまった。

 そしてそんな夫人も、幸せそうな微笑みを浮かべて美しく輝いていた。


「二人とも、本当におめでとう。——幸せに!」

 それぞれが心からの言葉で彼女たちを祝福し、強く抱きしめる。

 こんなに幸せな場面に立ち会っている自分自身が、信じられないほどだった。


 

 しかし、式を終えて普段の姿に戻るなり、彼女たちはいつもの彼女たちに戻った。

「今日はあたしたちが主役なんだから、君たちしっかりもてなしなさいよ〜」

 花絵が、式の酔いでも残っているようなハイテンションでそう言ってのける。

「全くもう、花絵は……あ、そうそう。永瀬君と優くんふたりで、その荷物全部部屋に運んじゃってくれる?悪いわねー。それからコーヒーも飲みたいなぁ」

「牛馬のようにこきつかってくれるね、ふたりとも」

「まあまあ優、ほら今日は特別な日だしさ」

「……それもそうだね。こんな大サービス今日だけだよ?」

「本当に優くんはかわいい。今日こそ食べちゃってもいいかな??」

「………ヒロさん、真顔で指ワキワキさせて言わないで。冗談に聞こえない」

「そうよ、結婚式当日に若くて可愛い男の子食べたりしたら即離婚だからね、ヒロ!」

 俺は笑いが止まらない。


 そんないつも通りの彼女たちが、俺たちはやっぱり最高に好きなのだ。



 ——そして俺たち4人は、これからも末永く一緒だ。







 そして、季節は巡り——

 また春がやってきた。



 桜の咲く日曜の午後。

 俺と優は、二人ともスーツを着て、ある場所へ向かっていた。


 俺たちの手には、一冊の本と——これからの俺たちを繋ぐ、一組のリング。



 優は、物語を書いた。

 ここにくるまでの俺たちをモデルにした、ほぼ実話の物語だ。

 そして彼の勤める出版社が、それを書籍化したのだ。



 思えば、こんな奇妙な形で結びついた俺たち4人のストーリーほど面白いものはないだろう。

 それはもう、とんでもなく奇抜で、ぶっ飛んでて。

 ——それでも、俺たちの選んだアルゴリズムに勝る方法は、絶対にあり得ない。

 今、はっきりと、そう言える。


 ——あるカフェから始まったこの奇想天外なアルゴリズムは、最高の幸せを俺たち4人に運んでくれた。

 あの日、あの店で一杯のアイスコーヒーが床にこぼれなければ……俺と優は、言葉も交わさないまま離れていったかもしれないのだ。


 俺たちの物語をスタートさせてくれたそのカフェ——「Cafe Algorithm」——そして、無口で温かいそのマスターに、心から感謝を伝えたかった。




 ドアを開けると、可愛らしいベルが頭上でチリンと鳴る。

 もう聞き慣れた、そして懐かしい音だ。


「こんにちは。お電話した永瀬と黒崎です」

「いらっしゃい。待ってましたよ」

 誰もいない店のカウンターで本を読んでいたマスターは、グレーの髭に覆われた口の端をちょっと持ち上げて微笑んだ。

 そしておもむろにドアを出ると、外のウェルカムボードを静かに書き換えた。

 ——「本日貸し切り」と。



「マスター、これ……僕達から、お礼の気持ちです。——こんなことくらいしかできませんが」

「ん、僕にかい?……何だね?」

 カウンターに戻った彼に、俺たちは相楽書房の包みを渡す。

「俺たちの人生を結びつけてくれたこのカフェのマスターに、是非読んでもらいたいものなんです。——彼が作者です」

「ほう……これは素敵な本だ。楽しみだな。——では、黒崎先生に、サインをもらっておこうかな?」

 そう言うと、マスターは今まで見たことのない暖かい微笑みを浮かべた。




 いつもの窓際の席。

 春の陽射しが、明るく暖かい。

 ちょっともったいない気もするが、少しだけブラインドを下げて——。


 向かい合わせに座る。

 ふたりの間に、一組のリングの入った小箱を置いた。

 シルバーのシンプルなリングだ。


「——優、左手出して」

 彼は、少し恥ずかしそうに手を差し出す。

 俺はその手を取り、白く綺麗な薬指にリングを填める。

 そして、彼に左手を預ける。

 彼の華奢な指が、俺の薬指に静かにリングを填めた。



「俺たちは、ずっと一緒だ」

「うん。——これからも、ずっと一緒だ」



 唇を重ねたいが——テーブル越しで届かない。

「……立とうか」

「え?立ってするの?」

「だって届かないし」

「でも……なんか恥ずかしいよ」

「大丈夫だよ、俺たちだけなんだから」

「うふふ、何だか初々しいねえ?」

「うわわっ!!」

 いきなり横から入って来たマスターに、ふたりであたふたと取り乱した。

「あの、マスター!?今俺たち取り込み中なんだけど……!?」

「仕方ないねぇ。

ほら、僕がここ座るから。永瀬君、キミは優くんの隣に行きなさい」

 マスターが俺のいた場所に座り、俺は優の隣に移動させられた。


 二人並んできょとんとマスターの顔を見る。

 すると彼は姿勢を正し、穏やかに微笑んで囁いた。


「——では、誓いのキスを」






 このカフェのドアの小さなベルが、俺たちのウェディングベルだ。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る