繁殖
優を俺の家族に会わせることができてから、俺と優は一層強く繋がった。
普段は遠く離れているはずの両親や姉妹なのに……身内に彼を知ってもらったことが、こんなに大きい安心感を与えてくれるのは不思議だ。
それが俺たちをより強く結びつけたことは、間違いなかった。
日本では、同性間の法的な結婚は認められていない。
だが逆に言えば、結婚式や婚姻届という段取りを踏まなくても、自分たちの同居生活をそうだと思えば、それはすでに「結婚生活」なのだとも言える。
共同生活を続けつつ、2組がここで事実婚をしたとても、俺たち4人の間には恐らく何の問題もないだろう。……世帯の人数がどっと増えない限り。
もう一組のカップル——ヒロさんと花絵は、クリスマスパーティということで昨日の土曜から一泊でデートに出かけた。
あのふたりの間こそ、誰も割って入れない強力なものがある。——例えば、ヒロさんの腕力とか。
俺たちは、ちょっと贅沢なスパークリングワインを一本だけ。
基本ふたりとも出不精だ。
夕食時、優がシンプルなラッピングの包みをちょっと恥ずかしげに差し出した。
「……はい、これ」
「ん?」
「この前欲しいって言ってた、ホーキ○グ博士の宇宙論の本。たまたま本屋にあったからさ」
「え、ほんと?これは嬉しいな……じゃ、俺からも」
後ろに準備していた包みを渡す。
「ポーターのビジネスバッグだよ。欲しいって言ってただろ?」
「え、すごい!嬉しい!!」
「じゃよかった。
——それにしても優のビーフシチュー、やっぱ美味いよな。これも俺にはクリスマスプレゼントだ」
「そう?よかった。今度ちゃんとレシピ教えるから、たまには僕にも作ってよ」
優はちょっと照れながら、そんな風に言う。
「そうだなー。マズいって言わなければ、作ってやってもいい」
「え?そんなひどいこと言わないよ!今までだって言ったことないし」
「フツー、とはよく言われるぞ」
「だってフツーなんだもん」
俺は思わず吹き出さずにいられない。
「……やっぱり料理のセンスに溢れた黒崎シェフにお願いしとこうかな。ケンカするのやだしな」
「やっぱり僕が作る。美味しそうに食べてもらう方が、やっぱり嬉しい」
そんなふうに、何気なく笑い合う。
「このワイン、すごく美味しかったね。僕が大体飲んじゃったかもなあ」
夕食の食器を片づけながら、ふわふわと優が気持ちよさそうに言う。
「アルコール弱いのに好きだから困るよな」
食器を洗いつつ俺も笑う。優はいつもそうだ。
「——もし僕が今、獰猛な獣に豹変したら、どうする?」
「え?ないだろ、それ」
冗談半分に聞き流そうとした瞬間、いきなり背後からガシッとヘッドロックをかけられた。
……かなりの腕力だ。
ヒロさん、優にいろいろ技を教え過ぎじゃないか?
「うぐ……」
「甘く見るな。僕もオスだ」
上気した頬を寄せ、彼は俺の耳元で美しく微笑む。
——やばい。
すごくヤバい。
*
優の肩が好きだ。
首筋から肩の、硬さと甘さの狭間にある伸びやかに白い曲線が、たまらなく好きだ。
「——拓海は、僕の肩が好きなんだね」
その夜、熱い息遣いで優に言い当てられ——火が出るほど恥ずかしかった。
社会人になった優は、ひたすら華奢だった大学の頃に比べて胸板や二の腕などが少し張り、本来のしなやかさに強さが加わった。
ワイシャツがクールに似合う、大人のオーラが漂い始めている。
翌日、日曜の朝。
シャワーの後にジーンズと白いシンプルなシャツに着替えた優を、頼もしく眺めた。
「優、コーヒー入れたよ。スティックで悪いけどな」
「あー、ありがとう。……ん、どうしたの?」
「いや。立派になったな、と思ってさ」
「なんだかお父さんみたいだね、その台詞」
ちょっと笑いながら優は言う。
「今は学生時代に比べてかなり動くし、割と体力仕事もあるからね。それに時々ヒロさんに空手レクチャーしてもらってるから。ちょっと逞しくなったかな」
「なんというか……大人になった」
「そう?それはよかった」
他人事のような返事が返って来た。その辺素っ気ないところも彼らしい。
「それよりさ——」
彼はダイニングテーブルの椅子に座ると身を乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。
「子どもが欲しいよね?僕たち」
啜りかけたコーヒーが完全に気管に入って思い切り咽せた。
「……なあ。今なんて?」
「あれ?拓海の実家に挨拶に行った時、拓海が言ったんだよ?子どもが必要ならつくる、って。……忘れたの?」
「……言った……かもしれないけど。……混乱した勢いで、というか……??」
「あのときから欲しくなった、すごく」
力のこもったキラキラした眼で俺を見る。
——逞しくなって、微妙に肉食化したのかな、優くんは?
……でも、そういえば俺だって、優の大人の気配に惹かれるのは……どこかに、そんな欲求があるからだろうか……?
本能的な、繁殖の欲求。
「……でも、どうやるんだ?コレばかりは……いくらがんばっても……」
「あ、そっちを頑張るんじゃないからね?……当たり前じゃん」
急に顔を赤らめて優は俺を睨む。
……そうか。そりゃそうだ。冷静になれ俺。
「ふたりの皮膚からそれぞれ万能細胞を取り出して、精子と卵子を発生させて受精卵を作る……そんな最新の研究が進んでるんだって。——マウスを使った実験では、その方法で正常な赤ちゃんが生まれたらしいよ」
「そうなのか?……すごいな、それ。人間でも可能になれば、相手を異性にこだわらなくても子どもが生まれる、ってことだよな?」
「そう。倫理的な部分の議論がまだまだ必要らしいけど……もしかしたら、そう遠くない将来実現するかもしれないね。
ほんとすごいよね、正真正銘ふたりの子どもが生まれるって。
……日本でその技術がいつ使えるようになるかなんて、分からないけど」
「うん……でも、そんな技術がこの世に生み出されつつある、っていうだけで、もう何だか嬉しいよな……」
世界は、少しずつだが確実に、俺たちのようなふたりがより幸せに生きられる方向へ動いている。
「ね。いつか、僕たちの遺伝子を引き継いだ子どもができるかも」
やっとコーヒーを一口啜って、優は楽しそうに言う。
「うん。——パパがふたり、だけどな?」
「同性婚カップルの間で育った子どもは、家庭内での幸福度が高いんだってさ。同性同士だから、家事の分担や生活スタイルの不平等がなくて家庭環境がいいらしい」
「確かに、母親、父親っていう決まりきった分担から解放されたら、家庭の中は開放的で楽しいだろうな」
規則や制度……そのようなものに従った「常識」は、確かに大切だ。
しかし、それに縛られて社会が柔軟性を失えば、停滞感や息苦しさを生み出す大きな原因になる。
そして、「常識」が「絶対」になると、それが本当に正しいかどうかに関わらず、簡単には覆らない——それも、頑固で厄介な人間の特性だ。
もっと、自由でいいはずだ。
もっと自由で多様な社会になれば、間違いなくもっと楽しい。
——たくさんの人が幸せになれる自由を、社会はもっと叶えるべきだ。……そうじゃないか?
俺も優もスーツを着て、ランドセルを背負った子の手を繋いで入学式の門をくぐる。……明るい空と、桜の下を。
——漠然と、そんな風景を描いてみた。
「ところで……優、いろいろよく知ってるな?」
「当然。ちゃんと勉強してるから。……僕たち、絶対幸せになるんだからね?
ぼーっとしてちゃダメなんだよ、永瀬君」
そんなふうに言って、優は笑う。
孤独だった長い時間を乗り越えて——彼は、明るい方向へ一心に進もうとしている。
俺も、ただ漠然と彼の側にいるだけではいけないのだ。
……俺たち、絶対幸せになろう。
こうやってふたりで前を向いていけば、必ず幸せになれる。
——だって、目の前の何気ないひとときでさえ、こんなに幸せなんだから。
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