繁殖(2)

「……ねえ、ヒロ。結婚したら、私たち子どもが欲しいわよね?」


 クリスマスパーティと銘打ったデートのスカイラウンジで、花絵は華やかな笑みを浮かべてヒロに囁いた。


 ヒロは、少し驚いた顔で花絵を見た。

「え?子ども?……あんまり考えてなかったわ、今まで」

「……気が進まない?」

「そんなことあるわけないでしょ。あなたとの子どもなんて、素敵すぎるわ。——それに、考えてみたら楽しいわね。花絵が子どもと本気でケンカしてる図とか。……私も、自分の子どもに思い切り愛情を注いでみたい」

 ヒロも、新しい目標を見つけたような表情で答えた。

「そうでしょ。絶対楽しいの!……って、私子どもと本気でケンカなんかしないから」

 一拍遅れて、花絵はヒロの冗談にむくれる。


「ね、家族が増えるって、最高よね。今日本でも増えてるのよ。レズビアンのカップルで子ども育てる『レズビアンファミリー』って」

「なら、私たちもますます本気で考えたいわね。……でもそれって、実際どうやってるの?」

「一般的なのは、信頼できるゲイの男性から精子を提供してもらって人工受精するっていう方法みたい。異性愛の男性からでは、そのひとも結婚で子どもができたりすると、家族関係が複雑になるから……っていうことらしいけど。

信頼関係とか、自分達とどんな関係のひとから選ぶかとか……精子提供を依頼する男性を探すのは結構大変みたい。……普通はね」


「なるほどね。……って、ん!?」

「そう」

 花絵は、ヒロの眼を見てニッと微笑む。

「うちって、その点すごい好条件なのよ」


「パパ候補、ふたりいるじゃない……申し分ないパパが」

「そう。どっちもハイクラスよ、すごく」


 ふたりは美しい顔で、ふふっと笑い合った。


 



「……っくしょっ!」

「拓海、なんかくしゃみすごいね。なんかアレルギーとか?」

「いやー、そんなことない。……何だ、このくしゃみ?」


 日曜の夕方。

 ヒロさんと花絵が一泊デートからそろそろ帰ってくる頃だ。

 俺は昨日の夜から何だかくしゃみが出る。さすがにこの時期花粉飛んでないし……誰かに噂されてる?


「ただいまっ!ふたりともおりこうにしてた?」

 花絵の元気な声が玄関に響いた。

 ん、ふたりでおりこうに?……まあ、別に悪いことはしてないけどね。

「花絵と一緒に夕食の買い物もしてきたわ。昨日はそれぞれクリスマスも楽しんだことだし、今日はテキトーに鍋がいいかなと思って」

「あ、それいいね!これなら何にも準備しなくていいやー」

「ビールだけはいつもふんだんにあるから大丈夫だな」

 彼女たちが帰って来ると、静かだったリビングが一気に華やぐのはいつものことだ。


「さ、できたわよー」

 花絵がかわいいピンクのエプロン姿で準備した、かなり辛そうなキムチ鍋である。

「いただきます!」

「あ、待って、ビール注ぐから。……はい。じゃ乾杯ー!メリークリスマス!」

「これ、スープが相当赤いぞ、花絵?」

「やっぱりキムチ鍋は辛くなくちゃね!」

「花絵ってほんと辛いのが好きよね、昔から」

「うー、舌がちょっとヒリヒリするんだけど……」

「キムチ鍋って、特に豆腐が辛くなるよなー」

 日曜なのについビールが進んでしまう。リビングはもはや宴会のように賑やかだ。


「ところでね。実はあなたたちに、とっっても大切なお話があるのよ」

 宴もたけなわになった頃、花絵が満面の笑みでそう切り出した。

「あなたたち……って、俺たち?」

 どうやら俺と優をさしているらしい。ふたりで顔を見合わせてから、花絵に注目する。


「あのね……

私たちのパパになってほしいの」



「……へっ……???」


 こんなにぶっとんだ話の展開は、人生で初めてだった。



「……どういうこと?」

「まあ、今すぐって話じゃないんだけどね。

私たち、ふたりとも女でしょ?妊娠は出来るけど精子がない。……だから、子どもを生むには男性から提供を受けなきゃならないわよね」

「うん」

「私たち子どもがいたらいいねって、昨日ふたりで話してたのよ。どうしようかな……って思ったら、素敵なパパ候補が目の前にふたりもいたってワケ」

「子父さん、って呼ぶのよ。提供してくれる男性のこと」

 ヒロさんも冷静な笑みでそう述べる。


「——あなたたち、わたしたちの子供の『子父さん』に、なってくれる?」



 ……なるほど。

 話はよくわかった。

 優も俺と全く同じで、大事な授業を聴いた生徒みたいな顔になっている。


「……いいよな?別に」

「うん。全然問題ない。

……でも、僕はどうなんだろう?

だって、この瞳の色。……遺伝しちゃったら、その子はまたいろいろ聞かれて、その度に困るかもしれない……」


「そんな心配もあるわよね。だからこうしたらいいのよ!私たちの子父さんになるのは拓海で、あなたたちの子どもを作る時には優くんから精子を提供してもらえば!」

 花絵が、複雑極まりないことを満面の笑みでさらっと言い放つ。


「……えーーっと?なに??またよく呑み込めないんだけど?」

 俺たちはもうあたふたするしかない。

「つまり、私たちの子どもを儲けるために精子提供をしてもらうのは永瀬君。あなたたちも子どもを考えるならば、その時は優くんから精子提供を受けて、私か花絵が代理出産する、っていう案よ」

 ヒロさんが再び先生のように整理整頓して説明してくれる。


「……って、つまり僕の精子をヒロさんか花絵さんが受け取って、僕たちの子どもを出産してくれる……っていう意味?」

「ピンポーン。優くん分かりがいいわね」


 うわわわわ。

 すげー。


「……そんなこと、ほんとに出来るの?」

 優がおそるおそるヒロさんに尋ねる。

「普通の男女間でするように受精を行うなら、特に問題はないんだけどね。

現状では、日本で同性カップルが人工授精などの生殖補助医療を受ける事はできないわ。そういう医療を受けるなら海外になるし、お金もかかるのよね。

——でも、私たちは、絶対に諦めたくないと思ってる。

こうして家族を作る事を望んでいる私たちみたいなカップルが大勢いるってことを、社会に知ってもらわなきゃいけないのよ」

 ヒロさんは力を込めてそう言う。


「……もし、そんな夢が叶ったら……僕たち4人って、ほんとにがっちり家族じゃない?」

「うん……もう家族だな。——パパふたり、ママふたりの家族だ」


 実現すれば、これって本当にすごい。

 こんなに楽しい家族って、あっていいんだろうか。

 俺は思わず、俺たち4人を引き合わせてくれた神様に感謝していた。



 そんな浮き立つような雰囲気の中、優だけは——少し眼を伏せて、何か別のことを考えているようだった。

 




「——最近、子どもを持つことをずっと考えてたでしょ?

……そのことで、拓海にまだ話してないことがあってさ」


 その夜、俺の部屋で優は話し始めた。


「『子どもを育てる』って考えたとき……本当は、子どもを養子に迎えるっていうイメージが、僕のなかに強くあったんだ」

 彼は、今まで心に秘めていたものを打ち明けるように言う。


「養子か。……うん、それもいいよな。

俺は、子どもに愛情をかけることができるなら、その辺のところにこだわったりする気はないけどな」

「拓海は、そう言ってくれると思った」

 彼は少しだけ微笑む。


「——僕は、児童養護施設で育ったから、よくわかる。

僕のように親の愛情を全く知らずに育つ子どもが、たくさんいる。成長する時に欠かせない『家族の温かさ』に触れた経験のない子どもが、大勢いるんだ」

 彼は、自分の孤独な経験を吐き出すように言った。


「だから——そういう身寄りのない子を養子に迎えて家族になる、っていうことを、すごくしたかった。1人でも2人でも、3人でも迎えて。


でも……それも、今の社会では叶わないことなんだって知った。

——養子を迎える親は、男女の夫婦じゃなければいけないんだね」



 俺は、黙って優の話を聞く。

 社会の現状については、ただ黙って理解することが癖になった。

 いくら強く嘆き憤っても、何かがすぐに変わっていくわけではないのだ。



「——でも、『里親制度』を使えば、同性同士でも里親になることができる。

里親になれば、一時的に子供を『預かる』形で、その子を18歳まで育てることができることも知った。

親にはなれなくても……そうやって、孤独な子供を少しでも助けることができる。

そう思った。

なのに——

それですら、同性同士の里親とその子供は、社会からの批判や差別の目を避けることができないんだ」


 優の眼が、僅かに潤む。



「——僕たちは、無力だ。

こんな話、したくなかったけど……それでも、言わずにはいられなかった」



「優。——俺たちが無力なんじゃない。……少なくとも、それは違う」

 彼の肩に手を置き、濡れた瞳をしっかり見つめた。


「社会の現状が変わっていくように、自分たちも諦めずに行動する。多分、今はそれ以外にないんだ。

そんな行動をひとつでも起こすことが、俺たちが決して無力ではない証明になる。——きっと、そうなんだ」



「……そうだね」

 しばらく沈黙した後、優は少し微笑む。

「こうやって打ち拉がれているだけなんて、甘いよね」

 いつもの負けず嫌いの優が戻って来たようだ。



「孤独と闘う子どもを、ひとりでも救いたい。——こんな当たり前な願いが、理解されないはずがない。

同性のカップルも、異性カップルと同じように豊かな愛情をかけて子どもを育てることができる。それが社会にも認められる時が、必ず来る。

——そんな『本当に大切なこと』を、社会全体が見つめてくれるようになればいいな」



 先の見えない、今の社会。

 何がどう変わっていくかなんて、誰にも予想がつかない。

 それでも——ひとりでも多くの人が幸せになれる方向へと変わっていくことを、俺たちはひたすら信じるしかない。


 ——いや。

 信じるだけじゃ、きっとだめだ。


 勝ち取るんだ。

 さっき彼女たちが言ったように。

 社会の中で認められるには、俺たちが声を上げなければいけない。

 理解されるのをただ待っていてはいけないのだ。



 誰にも制限することなどできない、愛という気持ち。

 それを、願い通りに実らせる事ができる——そんな社会にするために。


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