策略

 夏の始まりと同時に、街もさまざまなイベントで浮き立つ。

 来週の土曜には、近所で花火大会が催されるらしい。


「ねえ、みんな行くよね? すごい楽しみ!」

 花絵のイベント好きはいつものことだ。子どものようにはしゃいでいる。

「そうね、せっかくだから、行ってみようか?騒々しいのは嫌いだけど、花火大会なんてほんと久しぶりだし」

 ヒロさんも同意する。

「打ち上げ花火、いいですよね! あの音、好きだなぁ……身体に響くあの感じ、夏だーって気がする」

「うん、じゃみんなで行く? 携帯とか忘れず持ってかないと、人多そうだしね」


 ウチの中は最近、時々微妙な空気が流れる。

 主にそれは花絵と優くんの間に流れるものだった。

 決して激しい衝突ではないが……空気が突然ギクシャクする瞬間があるのだ。

 特に花絵は感情がすぐ顔に出るタイプであり、俺は内心気が気ではない。


 こういうイベントで一緒に行動すれば、そんな距離も少し縮まるかもしれない。

 それに、こんなふうに仲間とワイワイ花火大会なんて、何年ぶりだろう? 忘れていたワクワクする気持ちを久しぶりに思い出した。


「よし、じゃ早速いろいろ準備しなきゃね」

 と、ヒロさんがそんなことを呟く。

 準備?……ウチワとか虫除けスプレーのことかな? まあいいか。とにかくやっぱり夏はいい。



 その数日後。残業で少し遅くなった。

「ただいまー……おわっ!?」

 帰宅した俺は、焦った。

「お帰りなさい」

 浴衣姿のすごい美女が出迎えたのだ。

「……えーと……?」

「やだなあ。何焦ってんの」

 淡い水色の地に紺の撫子の模様の入った、艶やかな浴衣を着たヒロさんだった。メガネを外し、いつもの大ざっぱなポニーテールをほどいてゆるやかに横にまとめている——あまりの色っぽさにめまいがした。


「拓海、おかえりー」

「お帰りなさい」

 リビングに入ると、全員浴衣だ。

「ねえ……みんな? どうしたのか聞かせてくれる?」

「だから、今度の花火大会の準備よー」

 花絵は、白地にピンクの牡丹の描かれた鮮やかな浴衣で上機嫌だ。小柄だがメリハリのあるボディラインと華やかな顔立ちがいっそう引き立つ。髪を束ねてアップにした後ろ姿も……再びくらっとした。

「これ、全員分ヒロさんが揃えてくれたんです。なんだか悪くて……」

 そして優くんも男物の浴衣がやたらにしっくりと似合う。涼しげな紺絣こんがすりの生地に黒の角帯が大人びて、ただならぬ色気が漂う。

「もちろん永瀬君のもあるわよ。ちゃんと合うか、試着してみて」

 黒の絣の生地に、灰色の角帯。いや、着る自信ない。

「うーん俺はいいよ——」

「ほら、黙って着替える」

 半ば強制だ。帯の結び方も、ヒロさんは完璧にマスターしているようだ。後ろできりっと結んでくれた。


「……出てる」

 気恥ずかしい顔でいる俺をじーっと見つめ、花絵がぼそっと言う。

「え? 何が出てる? 着方がどこか違う?」

「いや……フェロモンが出てる」

 ヘンな冗談はよしてほしい。

「やっぱり。すごい似合うよ、永瀬君」

「ヒロさん、準備ってこれのこと?……全部買ったら相当な金額になるよね? どうして……」

「いいのよ。優秀な一級建築士はボーナスもすごいんだから」

 当惑している俺に、ヒロさんはニッと笑う。


 ……何か企んでるな?

 俺の勘が、一瞬そう言っていた。





 花火大会当日の午後6時。打ち上げ時間より1時間ほど早く、俺たちは会場に着いた。天気もよく、風もない。絶好の花火日和だ。道路沿いに屋台が軒を並べ、既に大勢の人で賑わっている。

「どの辺で見ようか? いい場所取れるかなぁ」

「まだ時間もあるし、屋台覗くのも楽しそうね」

「みんな、ちょっと待って。これ、引いてくれる?」

 歩き出そうとしたところで、ヒロさんが折り畳んだ紙を4枚、巾着から取り出し手のひらに乗せた。

「なに? これ……私、①って書いてある」

「僕①です」

「俺は②……」

「私も②。はい、決まり。

 今日は、花絵と優くん、永瀬君と私のペアで行動しない?」

 そう言って、ヒロさんは美しく微笑んだ。


 ……なるほど。そういう企みか……ヒロさんも策士だ。

 誰からも異論は出ない。おそらく考えていることはそれぞれなのだが……


 花火という高揚感たっぷりのショーを背景にして、何が起こるか——。そんな感覚が、全員にあるような気がした。





「あっち、大丈夫かなあ」

 俺は、別行動になった花絵と優くんがやたらに気になりはじめていた。

「何がそんなに心配なの?」

 ヒロさんが、いたずらっぽい笑顔で言う。

「だって……ほら、その……」


 二人が俺を間にして張り合っている……なんて、とても言うわけにいかない。竹内ま○やの歌じゃないし。


「まあ、クジで偶然組んだだけだし、そんな気をもむこともないのかな……」

「……それが違うんだな」

「え?」

「あのクジ、実はちょっと細工をしてあったの。

 花絵は昔からピンクが好き。優くんは、普段ブルー系のシャツがお気に入りみたいだったから、多分ブルーが好きなんだと思った。だから、4枚のクジのうち1枚は淡いピンク、もう1枚は水色の紙にして、その2枚に同じ番号を書いておいたの。案の定、二人とも自分の好きな色のクジを引いたわ。……うまくいくかはわからなかったけど」

 そんな企みをさらっと暴露し、ぺろっと舌を出して笑う。

 ヒロさん、恐るべき策士だ……ほんとにあっちは大丈夫か!?


「あの子たち、二人でちゃんと話す機会がなきゃダメなんじゃない?」

 ヒロさんは、少し真面目な顔になって言った。

「犬がケンカするみたいに牽制し合ってちゃ、いつまでたっても何も変わらないもの。……子どもじゃないんだから、大丈夫よ。

 二人がどんな話をするか分からないけど……きっと、何かが変わると思うわ」


 うん……そうだよな……。確かに、二人で話す時間を無理にでも作らなきゃいけないのかもしれない。

 ヒロさんの賢さには言葉もない。

「はいっ、じゃまず焼きそばとビールと座る場所の確保!」

「へっ?」

「花火見に来たんでしょ? 見る時は集中して見ないともったいないわよ! 目標は一発も見逃さないこと!」

 そう言って、ヒロさんは俺にビール購入を指令し、自分は焼きそばの列の中へ乗り込んでいったのだった。



 ……そして、花火大会がお開きになる頃、花絵と優くんの様子に慌てることになるなんていう予想も、この時にはまだできていなかった。




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