第5話「異郷の朝」

 目覚めの朝を迎えて、勲操イサオシミサオはベッドから飛び起きる。

 アルシェレイド帝国の王宮で与えられた部屋は、賓客用ひんきゃくようの豪華なものだった。一晩ゆっくり寝たので、頭が冴えてすっきりしている。

 カーテンを開けば、窓の外に異世界の街並みが広がっていた。

 操の知識で考えれば、恐らく文明のレベルは十九世紀後半くらいだろうか?

 部屋には電気が通っているし、トイレは水洗で上下水道も完璧だ。王宮と違って庶民の暮らしは少し程度が下がるだろうが、それでもかなりの文明だと思える。


「やっぱり、ここは異世界アスティリア……大変なことになったんだなあ」


 外を眺めて溜息を一つ。

 その時、背後でドアがノックされる。

 小さく「どうぞ」と言って振り向くと、見知った顔が入室してきた。以前と違って、正装と思しき姿のミレーニャがやってきた。褐色の肌を美しく際だたせるのは、白地に金のエングレービングが輝く軍服だ。女性らしさを誇示こじするように、胸元は大きく開いて、なだらかな肩もあらわだ。下はきわどいミニスカートである。


「おはようございます、操さん。あの……よく、眠れましたか?」

「ええ。ミレーニャさんは」

「その、あまり……緊張してしまって」


 トレードマークの長い長い三つ編みを、ミレーニャは手にもてあそんでいじりながらうつむく。翡翠色ジェイドグリーンの髪は、物憂ものうげな彼女とは裏腹に今日もつやめいて綺麗だ。

 ミレーニャはおずおずと操の前に来て、一緒に街を見やりながら喋り出した。


「わたし、キルシュレイラ陛下直属の魔法処女ウォーメイデンになるそうです。近衛兵インペリアル、ですね」

「それは……出世、ですよね。その、おめでとうって言えない気持ちですけど」

「わたしの故郷は帝国に滅ぼされましたから。わたしがレヴィール様に負けてしまったばかりに。でも、それがこの世界のいくさおきて……世の常なのです。魔法処女の勝敗は、そのまま国の勝敗ですから」


 それに、と言葉を区切ってミレーニャが弱々しく笑う。

 彼女の故郷は既に帝国のもので、そういう意味ではミレーニャの待遇がよかったことに操は内心ホッとしていた。だが、次の言葉にはわずかながら動揺してしまう。


「この世界で、伝説の魔法処女レヴィール様に負けて生きている者も、まだ魔法処女でいられる者も存在しません。わたし以外の誰も。わたしは、唯一レヴィール様と戦って無事でいられる魔法処女ゆえ、帝国は重要だと考えたのでしょう」

「と、いうと……ああ。つまり、他国には渡せないし、情報の流出も勘弁ということかなあ?」

「ええ。シリアル・オーナイン、祖銀しろがねの魔女レヴィール……彼女と戦って敗れた物の数は、二千万人をくだりません。時には異界の魔神デーモン熾天使セラフをも召喚し、重魂エンゲージャーとして自在に操ったといわれていますから」


 ――重魂。

 それは、魔法処女が本来の戦闘力を発揮するために召喚する、いわばパートナーだ。重魂と一体になることで、魔法処女は本来のすさまじい能力を解放できるのである。

 召喚された重魂は、敗北すれば死あるのみ。

 勝利した際は、敗れた魔法処女を犯すか殺して儀式を成立させなければ、元の世界には戻れない。そしてそれは、操には選べない選択肢だった。


「操さん、わたしはこれから生殺なまごろしというか、生かさず殺さずという感じです。本当なら封印凍結どころか、永久魔力発電に回されても不思議ではありません。でも……キルシュレイラ陛下はこんなわたしに御慈悲ごじひを……レヴィール様が口添くちぞえしてくださったみたいです」

「魔力、発電……? それは」

「この世界では、女性だけが持つ魔力こそ最大の資源。子をはらんで産むも女、魔力で街と国とをうるおすのも女、そして戦うのも女です」

「なんか……少し怖いですね」

「ええ」


 気になるように、ミレーニャはちらりとベッドを一瞥いちべつした。

 そして、頬を染めて俯きながら小さく呟く。


「操さん……元の世界に戻りたければ、その……い、いかがでしょうか」

「いかが、って……ああ!」

「わたしで儀式をすませれば……命でも、処女でも……ど、どうぞ」

「あ、いえ。それは別に」


 震えて緊張するミレーニャの前で、操は肩を竦める。

 そして、自分が固く守って過ごす童貞の誓いを語り出した。


「ミレーニャさん、女性の純潔というのは、愛する人へ捧げる大事なものだと僕は思うんです。ミレーニャさん、魔法処女というのは結婚は? ……できなさそう、ですよね」

「ええ。魔法処女は兵器ですから。でも……わたしも、その、少し……憧れます」

「当然です! 伴侶はんりょとなって互いに支え合い、未来を分かち合う異性にこそ純潔を捧げるべきなんですよ。だから、すみません! 僕はミレーニャさんには童貞を捧げられません。そして、ミレーニャさんの純潔をいただく理由もないんです」

「わたしは、その……理由なら、あるん、ですけど……」


 なんだか恐縮してしまって、相変わらず三つ編みをいらいながらミレーニャが赤面する。耳まで赤くなって、彼女は濡れた視線を床に落とした。

 だが、操は気付かない。

 目の前の少女が、自分に好意を持ってくれてることがわからないのだ。

 皮肉にも、彼女の命と純潔を尊重するが故に、操は無自覚に自分の男を上げているのだった。


「ミレーニャさん、僕は結婚するまで童貞を守るつもりです。決して女性と同衾どうきんせず、清らかな身体でいたいんです。僕だってそりゃ、ムラムラするし、スケベだし」

「あの、操さん?」

「よくあるラノベの主人公みたいに、本を開いて15ページくらいの冒頭で全裸のヒロインとスキンシップしたいんですよ! でも、そういうのはよくない……僕は、決めてるんです。あの人に代わって……大事な人に望まれたから、彼女の代わりに――」


 思わず操の言葉が熱くなる。

 彼の脳裏に、親しい女性の姿が浮かび上がった。

 それは、十代の少年とは思えぬかたくなな生き方を操に決意させた人間だ。

 そのことを話そうとしたが、不意に典雅てんがな声が響き渡る。


「ここじゃったか、操。ふああ、眠いのう……これから封印凍結で眠らされようかという時に、寝すぎてしもうたわ。お? ミレーニャも一緒かや。丁度よいのう!」


 突然、ドアの前にレヴィールが現れた。

 しかも、毒々しいスケスケレースのネグリジェ姿でだ。

 白い柔肌が今、薔薇色ばらいろの薄布を内側から盛り上げている。その優美に過ぎるたわわな実りから、思わず操は目を背けた。

 童貞の誓いは固く、不退転ふたいてんの決意だ。

 だが、そんな意思を内包する肉体は十代の少年なのだ。

 構わず裸足でぺたぺたと、レヴィールは二人の前にやってくる。


「夜までまだ時間がある。暇潰しに街へ出ようぞ。のう? ミレーニャも来るのじゃ。ちっくと付き合えい。まずは朝食、そして酒じゃ」

「え、あ、はい……レヴィール様がおおせなら。すぐにキルシュレイラ陛下に許可を」

「よいよい、あれには適当にワシから言っておく。なにせワシは、女皇帝陛下が寝小便おねしょをしてたころからの付き合いぞ。それより、街が……民の暮らしが見たい。共をせい!」


 それだけ言うと、レヴィールは堂々と胸をたゆんと揺らして行ってしまった。部屋を出て廊下に去る背中を、あとからメイドと従者が追いかけてゆく。

 やはりこの帝国ではレヴィールは、特別な人間らしかった。

 操は驚きつつも……再び窓へと向かって外を眺める。

 平和な街並みは今、朝日を浴びてきらめいていた。窓を開ければ風は涼しく、差し込む日差しは温かい。ミレーニャと並んで耳を澄ませば、街の喧騒が音楽のように聞こえてきた。

 民の息遣いと、活況かっきょうに満ちた生活の営み。

 帝都は今日も、魔法処女が戦って勝ち取る平和を享受きょうじゅしているらしい。


「街かあ……ちょっと興味があるな。どうせ帰れないんだし」

「操さん? あの」

「僕にミレーニャさんの処女は奪えないよ。勿論、命も。でも、そのことに後悔はないんだ。そんなことをすれば、僕は自分を誇れない人間になってしまう」

「……そういうことを言われては、わたしは……わたしの気持ちは」

「さ、とりあえず着替えなきゃ。ちょっと外で待っててね」


 なにか言いたそうなミレーニャを一度部屋から追い出し、操は着替えを探しながら寝間着を脱ぐ。彼の学生服は、既に洗濯を終えて用意されていた。

 それに袖を通すと、こんどは空腹が感じられる。

 街に出たらまずは朝ご飯だと思えば、異国の料理へと心が揺れる。

 そのことを考えていれば、操はのことを忘れていられた。自分の純潔を守って欲しい、愛する人に捧げて欲しいと祈り願った、とても大事な人の思い出。それは誰にも話したことはないのに、ミレーニャの前では口が軽くなる。そして何故か……レヴィールに語れば、わかってもらえると思える不思議な確信があるのだった。

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