第7話「最強の処女と最弱の童貞」

 場の空気が、凍った。

 晴れやかな祭の雰囲気が霧散する。

 変わって場を支配するのは、恐懼きょうくに凍る怯えた表情だ。

 だが、勲操イサオシミサオは見た。

 周囲が後ずさって顔を強張らせ、口々になにかをささやく中……レヴィール・ファルトゥリムが笑顔になる。それは、操が初めて見る慈母のような優しい表情だった。

 ぶるぶる震えて地面にひれ伏す老婆に、レヴィールは歩み寄る。

 そうして鏡込み、老婆の手を取り言葉をかけた。


「久しいのう、たしか……アステアじゃな? 第四次ウンディーネ会戦の時、ワシと共に帝国のために戦った魔法処女ウォーメイデン。違うかや?」

「仰せの通りにございます、レヴィール様。今はその力を失い、とついではや五十年……再びレヴィール様にお会い出来る日が来ようとは思いもしませんでした」

「そうかしこまるな、戦友ではないか」


 操はおぼろげにだが、なんとなく状況を察した。

 そして、小声で耳打ちしてくれるミレーニャの言葉で、理解する。

 昔、あの老婆は若き魔法処女だった。そして、己の力でレヴィールと共に、この国を守って戦ったのだ。だが、シリアル・オーナインにして祖銀しろがねの魔女、最強の魔法処女たるレヴィールだけが封印凍結され、歳を取らず魔法処女のまま。彼女が眠っている間に、老婆は伴侶を得て子をなし、ただの人になっていたのだ。

 ミレーニャは言葉を続けて説明してくれる。


「封印凍結され運用が続けられる魔法処女は、規格外の強い者に限られます。そうでない一般の魔法処女は、基本的に選択の余地があるのですが」

「じゃあ、あのお婆さんは魔法処女をやめれたけど、レヴィールさんは」

「レヴィール様はお一人で列強各国の総合戦力に匹敵する力の持ち主です。レヴィール様の健在こそが、このアルシェレイド帝国の繁栄のいしずえなのです」

「……それが、ミレーニャさんたち魔法処女の世界、なんだね」

「はい」


 だが、感涙にむせび泣く老婆と違って、周囲はざわついていた。

 そしてそれは、半世紀を経て再会した戦友同士に向けられるものではない。

 怯えてすくむ視線にさらされるレヴィール。

 それでも、彼女は老婆に親しみを込めて語りかけ、肩を抱く。気取った高慢ちきな印象が、操の中で霧散した。

 なんて優しい笑顔なんだろう。

 レヴィールは今、何度も眠りを経て君臨する最強の魔法処女には見えない。

 そこには、友を懐かしんでいつくしむ、一人の少女の笑顔があった。

 だが、そんな彼女へと吸い込まれる言葉がささくれだつ。

 周囲の市民たちは、完全に目の色を変えてしまっていた。


「おい、あれ……レヴィール、レヴィール・ファルトゥリム! あの伝説の」

「祖銀の魔女……ただ一人で無数の国を焼き消した、最強の魔法処女」

「二千万人以上の魔法処女をほふった、恐るべき絶対兵器……お、おい」

「ああ……さっきの魔力発電を見たろ? 一瞬だぜ? 女たちが一日かけて供出する魔力の量を、僅か一瞬で」

「……バケモノよ。私たち帝国臣民のために戦う、血塗れの殺戮装置キルマシーン

「同じ女とは思えないわ。私たちの魔力は民をうるおすけど、レヴィール様の力は」


 なんて言い草だろう。

 自然と操は怒りがこみ上げて、手に拳を握る。

 手の中に爪が食い込んだが、その痛みさえレヴィールが受ける仕打ちには程遠い。そして、周囲の声が聴こえていても、レヴィールは戦友の老婆アステアに微笑みかけていた。


「懐かしいのう! アステア、覚えておるか? ワシの両翼を固める魔法処女として、お主はワシを支えて戦ってくれた。そのことをワシは忘れはせぬ」

「覚えておりますとも、レヴィール様。私は必死でレヴィール様についていきました。他の者もです。皆、憧れておりました……お強く美しい、レヴィール様」

「よせ、アステア。この国を守ろうと思えばこそじゃ。そして、その決意と覚悟をワシはお主たちにも感じておった。一時の戦場とはいえ、お主たちと共に戦えたことをワシは誇りに思う」

「そんな、レヴィール様! もったいなき、お言葉……」

「老いたのう、アステア。よう長生きした、今後も余生を楽しく豊かに過ごせ。お主が生きて生き抜き、生き終えるであろうこの国……絶対にワシが守り通す故な」


 レヴィールは老婆アステアを支えて立ち上がると、周囲を見渡した。

 彼女の視線にさらされた誰もが、ビクリと身を震わせて恐縮する。

 だが、レヴィールは怒りを見せるどころか、笑顔で舌を出した。


「すまんのう、皆の者! ワシはレヴィール、。そして、こっちが戦友のアステア。アステアは第四次ウンディーネ会戦の折、ワシの右腕となって戦った英雄ぞ。お主らの父母、祖父母のために戦った女じゃ。もてなしてやってくれ」


 それだけ言って、最後にレヴィールはアステアと包容を交わす。

 周囲の市民たちは我に返ったように、慌てて椅子や料理を用意し始めた。

 そんな中で、レヴィールは微笑みアステアを民の輪の中へと送り出す。


「達者で暮らせ、戦友。お主がなした子、その子と孫、さらに続く子々孫々ししそんそんまでをワシが守ろう。安心して暮らすがいい。救国の魔法処女アステア、お主をワシは決して忘れぬ」

「レヴィール様……」

「ワシは今夜、封印凍結されまた眠る。今生こんじょうの別れじゃが、なに。お主は立派に生きて血を連ねた。そうであろ? 子や孫は元気かや? うまくやりおったのう、わはは!」

「孫たちも皆、成人しました。私はレヴィール様のことを語り継ぎましょう……この帝国の礎たる、気高き魔法処女の伝説を」

「よせよせ、恥ずかしいわ! では、の。さらばじゃ。操! ミレーニャも! ちと悪ノリしすぎたわい。王宮に帰ろうぞ」


 周囲の者たちが、老婆を迎えてもてなしはじめる。

 それを見て、レヴィールは歩き出した。

 彼女の唯一の休日が終わろうおとしている。まだ昼前なのに、名が知れた場所ではレヴィールに自由はない。そして、自らが守って戦う帝国の臣民ですら、あまりに強過ぎる彼女を悪魔のように恐れていた。

 そのこともレヴィールはとがめない。

 怒りも表さず、嘆きもしない。

 ただ、穏やかな笑顔だけが彼女を彩っていた。

 立ち去るレヴィールの背中を、慌てて操はミレーニャと共に追う。

 追いつき並んで覗き込むと、レヴィールはニコニコと笑っていた。


「レヴィールさん、あの」

「言うな、操。お主とて怖かろう? 何百年も生き、戦の度に起こされ多大な流血を強いる魔女……それがワシじゃ」

「それでも、そんなレヴィールさんをあのお婆さんは。いつかは他の人も」

「ふふ、ワシにはつい先日のことじゃ。第四次ウンディーネ会戦……アステアと共に戦場を舞った日は、ワシにはついこの間のことなのじゃ。じゃが、アステアは子をなし老いて……わはは! これは妙な話じゃのう、うはははは!」


 からからと笑うレヴィールは、全く悲しみを見せない。

 その気丈な振る舞いが、操にはかなしかった。

 その時、ミレーニャが手を叩いて前へと飛び出す。操とレヴィールの前で振り返った彼女は、両手を広げて声を弾ませた。


「レヴィール様! まだ夜までは時間があります。戻ったら、とびきりのお酒とお料理を用意させますので……わたし、レヴィール様のお陰で近衛このえとして生きることになりましたし。なんでも都合します、今日はおもいっきり騒ぎましょう!」

「おうおう、それは嬉しいのう。……ミレーニャ、お主も妙なおなごじゃのう」

「そうですか?」

「ワシと戦い生きながらえて、その上で何故ワシを恐れぬ」

「そ、それは……ええと」


 ちらりとミレーニャは、操を見た。

 何故か彼女は、操を見て頬を赤らめ、そしてまた前を向く。


「伝説の魔法処女、レヴィール・ファルトゥリム様……でも、わたしの印象は全然違いました。ううん、その強さは本物、聞いていた以上に絶対でした。操さんみたいな重魂エンゲージャーを召喚しても、わたしとは勝負にならないくらいお強い。でも!」

「でも? なんじゃ、こそばゆいのう」

「操さんが、わたしを犯して儀式を執り行い、自分の世界へ帰ることを拒んだから……何故か、わたしを辱めて魔法処女の力を奪うことを、やめてくれたから。それって、不思議です。変です。なのに、嬉しくて……だから、操さんを重魂に選んだレヴィール様も怖くないです」


 微笑むミレーニャから、レヴィールは目をそらした。その顔がほのかに赤い。

 そして、操はやっぱりミレーニャの言葉が気になった。


「あの……前からチョコチョコ言われてましたけど、僕ってそんなにですか? えっと、重魂? としては」

「ああ、操。そうじゃぞ? お主、。ワシがそう願って召喚した、この世で最も弱い、使えなくて無力な重魂なのじゃ」

「えっ……だって、ミレーニャさんに勝ちましたよ!?」

「そうじゃ、そうなのじゃ……重魂を招いて一つになった、ワシが強過ぎるのじゃなあ。負けたくてお主のような最低レベルを召喚したが、勝ってしまった」


 ミレーニャが申し訳なさそうにうつむく。

 操はようやく合点がいった。

 自分の今までの扱いが理解できた。

 当たり前だ……例えばミレーニャなど、竜を召喚して心身合一シンクロするのである。それが、操はただの普通の少年だ。そして、なんでもないただの人間とでも、レヴィールは圧勝してしまう。

 最強の魔法処女が召喚した、最弱の重魂。

 それが操の正体なのだった。

 そして、その操はレヴィールが負かした魔法処女を犯さぬ限り、帰れない。

 操が帰れないので、レヴィールも次の重魂が召喚できないのだった。

 だが、疑問は残る。

 何故、レヴィールはわざと負けようとしていたのか?

 無敗無双の最強魔法処女、シリアル・オーナインと呼ばれす祖銀の魔女は……どうして敗北を望んでいたのか。そのことを聞こうとしたが、言葉が見つからない。

 そして、レヴィールは笑顔でミレーニャの肩を抱くと、意気揚々と王宮へ戻り始めたのだった。

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