第6話「帝都の街ゆく魔法処女」

 アルシェレイド帝国の帝都は、活況に満ちていた。

 やはり勲操イサオシミサオが歩いて接すれば、十九世紀の欧州ヨーロッパ程度の文明がある。臣民しんみんは皆、身なりから見てそれなりに文明的な暮らしをしているらしい。

 そして、往来ではそこかしこで屋台や出店が賑わっている。

 今日はどうやら、アルシェレイド帝国がトンターク王国に勝利した、戦勝記念の祝祭のようだ。

 ふと、操は隣を見る。

 そこには、操と同様に驚きの目で周囲を見渡すミレーニャの姿があった。


「あの、ミレーニャさん?」

「ふぁ……す、凄い大都会です。トンターク王国の首都とは、まるで違う……流石さすがは超大国、アルシェレイド帝国です」

「そ、そうなの?」

「ええ」


 ミレーニャは帝国の近衛兵の制服を着ている。彼女を見て、行き交う誰もが親しみを込めて頭を下げた。それでも、三つ編みの少女は長い翡翠色ジェイドグリーンを揺らす。本当に物珍しいようだ。

 そんなミレーニャを隣に見ていると、不意に操は背後から声をかけられる。


「なんじゃ、ミレーニャ。操も。そんなに帝都が珍しいかや?」


 振り向くとそこには、レヴィール・ファルトゥリムが立っていた。豊かな胸をそらして、ヘソ出しルックのミニスカートにベストを羽織はおっている。きらめく銀髪をひるがえす彼女は、ミレーニャとは別の意味で目立った。

 だが、全く気にした素振りも見せずにレヴィールは堂々と歩く。


「久々の食事じゃ、まずは……酒じゃな!」

「レヴィールさん、朝っぱらからですか?」

「なんじゃ、操……ワシは何年も眠らされておったのだぞ? そして今夜にはまた封印凍結ふういんとうけつされるのじゃ。飲むだけ飲んでおかねばの! お主も付き合えぃ!」

「そんな、行き遅れの三十路みそじのお局様つぼねさまが有給消化で朝からワイドショー見て飲酒するみたいなこと、言わないでくださいよ」

「……よくわからんが、馬鹿にしとるな?」


 むー、と操に顔を近付け、レヴィールがまゆをひそめる。

 目の前に迫る美貌に、思わず操は黙るしかない。

 天使か女神か、その両方か。

 レヴィールは見た目だけは、完璧に美しい。数多の宝石で飾った、硝子細工ガラスざいくの神像のようだ。ここが天国なら、歴史上の芸術家たちが苦心して生み出した大合作と言われても信じるだろう。

 だが、性格は最悪だ。

 どうしてここまで野放図のほうず自堕落じだらくな人間なんだろう。

 それが、この世界で最強の魔法処女ウォーメイデンだというのだ。

 レヴィールはフンと鼻を鳴らすと、二人の前を歩き出す。

 苦笑しつつ、操はミレーニャと並んであとを追った。


「なにから飲んだものかのう? 蒸竜酒ウォトカもいいが、やはり最初は黄金酒ビールかのう! ナマで! チュウで! ドドプッと!」

「やらしいですよ、レヴィールさん」

「なにを言う、酒こそが人生の楽しみ、その最たるものぞ? お主は酒の他になにかあるかや? 人生を燃やして生きる糧となり、魂が震えてたかぶるような喜びを」


 そう言われて、ふむと操は腕組み考えた。

 そして、真っ先に浮かんだ答えを即座に口に出す。

 言ってみてから、あとでしまったと思ったが後の祭りだった。


「恋、ですかね……恋愛。……あっ、いや、一般的な話! 普通に考えての話です!」


 だが、レヴィールは目を丸くして、そのあとで背を向けた。

 華奢きゃしゃな肩がプルプルと震えている。

 やがて彼女は、真っ白な腹を抱えて爆笑し始めた。


「プッ、ハハッ! こいつは傑作ぞ? く、苦しい……笑わせるでないわ。クッ……ププ」

「あの、レヴィール様……そんなに笑われては、ふふっ、失礼ですよ」

「聞いたかミレーニャ! 恋とか抜かしおったぞ!」

「素敵じゃないですか、でも……真面目なお顔で、操さんったら」


 凄く、面白くない。

 だが、レヴィールとミレーニャにはおかしくてしょうがないらしい。

 道行く誰もが笑顔で振り返って、二人の少女に目を細めた。

 操の目にも、それはとても綺麗な、大輪の花が咲くかのような光景に見える。


「笑うことないじゃないですか。レヴィールさんはともかく、ミレーニャさんまで」

「ごめんなさい、操さん。でも、わたし……操さんは普通の男の子なんだなって思ったら」

「そうじゃ、そうじゃぞ操! ……ん? なんでワシはともかく、なんじゃ? どういう意味じゃ!」


 レヴィールが唇を尖らせて、操の耳をつねった。そしてそのまま、引っ張りながら歩き出す。痛みにうなりながらも、しぶしぶ操は彼女のゆく先へと進んだ。

 まだクスクスと笑うミレーニャが、フォローの言葉をくれる。

 だが、それがフォローなのかどうかは微妙なところだ。


「操さんは、流石は清い童貞を守られてる方です。人生のうるおい、それは恋だと」

「ミレーニャさん、それちょっと傷つきます」

「あっ、そうでした! 年頃の男の子は、童貞というのは――」

「そっちじゃないです。僕はむしろ、自分の純潔に誇りを持ってますから。でも、恋じゃいけませんか? 女の子だって同じだと思うんだけどなあ」


 だが、ミレーニャは優しい眼差まなざしにわずかにうれいを滲ませる。

 パチン! と引っ張るだけ引っ張って操の耳を手放すと、レヴィールは歓声をあげて走り出した。なにか見つけたようで、その背中が小さくなってゆく。

 そして、ミレーニャは心なしかレヴィールを見詰める視線に同情を垣間見せた。


「わたしたち魔法処女は、恋など知りません。……兵器ですから」

「あ、そうか……ご、ごめん」

「いえ、操さんが謝ることでは。強い魔力を持った者は、国のために魔法処女として造り直されるのがロウですから。死ぬまで国のために戦い、純潔を守る。恋することも許されずに。そして、レヴィール様はそうして六百年以上も生きてこられたのです」


 世界最強にして最初の魔法処女、レヴィール・ファルトゥリム。シリアル・オーナイン、祖銀しろがねの魔女。その恐るべき力をもって、このアルシェレイド帝国は異世界アスティリアの超大国へと成り上がった。

 だが、そこにレヴィールの青春を犠牲にした過去がある。

 そして、レヴィールが殺した魔法処女は二千万人をくだらない。

 圧倒的なキルレシオを誇る、絶対的な力の権化……それは、見目麗しい暴力的な美貌の少女として結晶化している。その輝きが眩しいのは、人の欲望と願望が反射する光だ。レヴィール自身はなにも許されず、祈りも願いも知らない。ただ、人のエゴを写して力とする鏡のようなものだ。


「あれ? そういえば……僕はレヴィールさんの重魂エンゲージャーだけど。なんか変なこと言ってたなあ。僕なんかでも、って。それって――」


 ふと、思い出して操はひとりごちる。

 レヴィールもミレーニャも、そして女皇帝のキルシュレイラも言っていた。

 操のような重魂を持ってしても、レヴィールの力は絶大だった。

 その意味とは?

 それを聞こうとしたが、広場で振り返ったレヴィールが笑顔を輝かせて叫ぶ。


「なにをしておる! はようこんか! こっちぞ!」


 手を振りピョンピョンと跳ねてから、レヴィールは広場の混雑に消えた。

 そして、ミレーニャと続く操は奇妙な光景を見る。

 広場には市が立っているらしく、大勢の臣民で混雑していた。その中央には、ぼんやりと光る奇妙な装置が突き立っていた。天を貫く尖塔せんとうは、それ自体がほのかな光を周囲に振りまいていた。そして、その周囲では誰もが笑顔で食事をしている。

 操は気付いた。

 そこで豪勢な朝食を食べているのは、女性ばかりだ。

 そのことに違和感を感じた時、レヴィールが塔の前で振り返る。


「うむ、皆の者! 今日も朝から魔力の供出きょうしゅつ御苦労じゃな!」


 すぐに操にミレーニャが耳打ちしてくれる。

 これが、どこの国でも行われているだ。この小さな塔は、周囲の女性から魔力を吸い上げる。代わりに、体力の消耗や奉仕への感謝として、食事や酒が振る舞われるのだ。純潔の女性のみが持つ魔力は、こうして臣民の中からも吸い出される。

 ここでは女性こそが力の全てをつかさどり、男性は彼女たちの補佐として生きている。

 魔力ということわりで決められた、女尊男卑じょそんだんひの社会がそこにはあった。

 だが、レヴィールは機嫌がいいのか、すらりとした身を伸ばして手を掲げる。


「今日は義務など放棄せよ、ワシがおごるぞ! 皆で酒宴しゅえん、大宴会じゃ! 特に若くて美しい男を歓迎しようぞ……男も女もワシと酒にきょうじよ! 魔力発電など、こうじゃ!」


 レヴィールに力んだ様子はない。彼女は笑顔で、手を塔へと向ける。

 すると、塔の輝きはまばゆいまでに膨らんでいった。

 周囲から驚きの声があがる。


「まあ……なんて魔力なのかしら!?」

「ウソ、今日のノルマが……やだ、これじゃ一月分にだって余る量よ?」

「じゃあ、今日は魔力発電の奉仕は……終わりってこと? 凄いわ!」

「これなら朝食のあとは遊びにいけるわ。それより、あの娘のおごりですって?」

「誰? どこの御令嬢かしら。綺麗……さあ! 男たち、酒と料理を運んで!」


 周囲がたちまちお祭り騒ぎになる。

 あっという間にテーブルと椅子が運ばれ、御満悦ごまんえつのレヴィールへ酒と料理が並び出す。チョイチョイと手招きで操たちを呼びながら、レヴィールは顔立ちの整った少年におしゃくをさせた。

 その周囲では既に楽団が慌てて駆け寄って、弾んだ調子の音楽を奏で始める。

 気圧されつつ操も、ミレーニャと共にレヴィールの隣に座った。

 街の広場はそのまま、巨大な宴会場と化した。

 酒を断りミルクを注いでもらい、ミレーニャが取り分けてくれたサラダを食べる操。食事は地球とは変わらないが、野菜の彩りは少しばかり操の世界とは違う。並ぶ肉も魚も、初めて見るものばかりだった。

 だが、歓声に満ちて盛り上がる中で、突然グラスの割れる音が響く。

 誰もがその方向を振り返ると……一人の老婆がレヴィールを見て震えていた。


「あ、ああああ、あっ! あっ、あっ、貴女様は……レヴィール様! 祖銀の魔女レヴィール・ファルトゥリム様! お、おお……お久しゅうございます」


 老婆は突然、レヴィールを見て涙を流しながらひれ伏した。

 その顔に見覚えがあるのだろうか? レヴィールはすぐに席を立つや、グラスを置いて駆け寄る。そして、操は見る……魔法処女と呼ばれる美しき絶対兵器の残酷な運命を。

 レヴィールの名を聴いた周囲の民は、戦慄せんりつに表情を固くしていた。

 先程までの歓迎ムードが嘘のように、周囲を冷たい緊張感が包んでいった。

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