第8話「その夜を超えた先へ」

 王宮に戻ってからのレヴィール・ファルトゥリムは、はしゃいでいた。

 無理に明るく振る舞って、メイドたちに酒と料理を運ばせるや……勲操イサオシミサオやミレーニャを巻き込んで乱痴気騒らんちきさわぎを始めたのだ。花の王宮、その宮廷庭園に女をはべらせ、飲めや歌えの酒池肉林しゅちにくりんだった。

 そうして笑う笑顔が、操には切なかった。

 そして、最後まで笑ってレヴィールは行ってしまった。

 今、アルシェレイド帝国に夜が訪れた。

 王宮の一室から見る帝都の夜は、眠りを知らぬ不夜城バビロンのよう。

 夜景を眺めていると、背後でドアがノックされた。


「どうぞ」


 振り向くと同時にドアが開かれ、操は自分と同じ気持ちを抱えた少女を見やる。

 先程別れたばかりのミレーニャは、うつむき目を潤ませていた。無言で入室した彼女は、背中でドアを締めて、そのまま立ち尽くす。

 レヴィールに半ば無理矢理にお酒を飲まされていたからか、まだ頬が赤かった。

 だが、褐色かっしょくの肌もあらわなミレーニャは、意を決したように前を向く。

 瞳の中に星の海を広げて、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「操さん……わたし、操さんにお願いがあります」

「……うん。もしかして、僕と同じことを考えてる?」

「ごめんなさい、それは……多分、違う、かも。だって……わたしはレヴィール様のことを想っても、レヴィール様に言われた通りにしかできないです」

「ミレーニャさん……」

「わたし、レヴィール様と約束したんです。そのこと、あるから……ちかったから。その義務を今、果たします」


 不意にミレーニャは、近衛このえの白い服を脱ぎ出した。

 そのまま衣擦れの音を肌に滑らせながら、一糸いっしまとわぬ全裸になってしまう。

 慌てて操は目を手で覆ったが、指の隙間から見てしまった。

 スレンダーな肌は痩せていて、触れるだけで壊れてしまいそうにさえ思える。

 恥ずかしげに胸と下腹部を手で隠しつつ、ミレーニャは近付いてきた。


「待って、駄目だよミレーニャさん……いけないんだ、それは」

「レヴィール様からの伝言です、操さん。どうか、わたしを」

「駄目だっ! ……そんなの、駄目だ」


 ミレーニャが身を差し出してくる、その理由は一つしかない。

 すなわち、操の元の世界への帰還。

 ミレーニャの純潔に破瓜はかの痛みを刻むことで、レヴィールに召喚された操は生まれた場所へと帰れるのだ。そして、ミレーニャは二度と魔法処女ウォーメイデンとして戦うことはない。

 敗者は犯され力を失う……それが魔法処女のことわり

 操がそれを拒んでも、ミレーニャを通してあのレヴィールが望んできた。

 そのことをミレーニャは、恥ずかしげに目をそらしつつ語る。


「レヴィール様は、再び決意なさったんです。……やはり、レヴィール様に帝国はてられないと。愛した者の故国を愛して、次なる戦いまで眠ることを選んだんです」

「それは……知ってる。わかった、から……だから、辛くて」

「レヴィール様が次に目覚める時、操さんが元の世界に戻ってないと……戦えないんです。一度の召喚で重魂エンゲージャーは一体しか呼べず、それが戻るまで次の召喚が行なえません」

「それは! つまり、僕がいると……」

「はい。操さんが帰らない限り、レヴィール様は次の重魂を呼べないんです」


 そして、ミレーニャは操の前で見上げてくる。

 手を伸ばせば届く距離に、外の街明かりに照らされた裸体があった。

 翡翠色ジェイドグリーンの長い三つ編みが、彼女の背中で僅かに揺れる。

 ミレーニャは震えながらも、操にまた一歩近付いた。

 もう、彼女の吐息といきを肌に感じるような近さだ。


「レヴィール様は今度は、己の力に相応しい重魂を呼ぶでしょう。祖銀しろがねの魔女と呼ばれたシリアル・オーナインの力……真の実力を前に、敵などいません。ですが――」

「僕は、最弱の重魂と言ったね。じゃあ」

「わたしのような半端な魔法処女ならまだ……でも、レヴィール様が次に覚醒される時、もっと強い重魂が必要です。次はもう、わざと負けようだなんて……そうしてまで欲しい自由すら、求めることが罪だとあの方は悟ったから」


 それだけ言って、そっとミレーニャが操の頬に触れる。

 そして、そのまま瞳を閉じた。

 つやめく桜色の唇が捧げられようとしていた。

 だが、操はくちづけを拒んで、代わりに胸の中にミレーニャを抱き締める。驚き目を見開くミレーニャは、やはり震えていた。

 彼女の髪を撫でながら、操は強く抱いて耳元にささやく。


「僕は……ミレーニャさん、貴方の純潔を奪うことはできない!」

「でも、それでは」

「勿論、レヴィールさんも見捨てない! 再び戦うためだけに眠らされるなんて、女の子にしていい仕打ちなものか!」


 操の中に、純然たる怒りがあった。

 そして、それは彼が己の純潔、童貞を守る誓いへと火を付ける。

 初めて操は、他者に、それも異性に打ち明ける。

 己が絶対と心に決めた、童貞を守る男の誓いを。


「ミレーニャさん、聞いて。まず、ミレーニャさんは魅力的な女の子で、とてもかわいくて、こうしてると暖かくて柔らかくて、いい匂いがする。だけど」

「……だけど?」

「僕はミレーニャさんの純潔を奪うことも、ミレーニャさんに純潔を捧げることもできないんだ。何故なら……」

「童貞を守ってるからですか?」


 小さく操は頷く。

 胸の中で自分を見上げてくるミレーニャは、切なげに目を細めていた。

 もう、星屑ほしくずのような涙が今にも溢れそうだった。


「あの、操さん……わたし、操さんになら……いい、です。むしろ、操さんが、いいんです。決して、レヴィール様に言われたからだけじゃ、ないんです、よ?」

「ミ、ミレーにゃさん?」

「わたし、元からレヴィール様に……帝国の魔法処女に勝てるなんて、思ってませんでした。わたしの国は小さかったし、わたし自身も強くは。でも、操さんは……そんなわたしをはずかしめなかった」

「それは……完全に僕の都合だよ」

「だとしても……このときめき、わたしだけのものにしたくな、です」


 操は思わず、ミレーニャを再度抱き締める。その草原のような髪を撫でて、胸の中にミレーニャの涙を閉じ込める。

 そうして、ついに語り出した。

 自分が綺麗な身体で居続ける訳を。


「僕の母は……俗に言う、政略結婚だった。こっちの世界は、多分そういうのは珍しくないだろうけどさ。帝国だ王国だって世界だから。でも、僕の世界は違う」

「違う、とは」

「少なくとも僕の国は、自由な恋愛、男女の気持ちが通わなければ結婚はありえない。……普通はそうだったんだ。でも、母は違った。愛する人と引き裂かれ、父にとつがされた」


 こんなこと、操は初めて話す。

 母は、それでも操を産んで、育ててくれた。父に取って、母の実家との繋がりをえるための結婚だったが、子をなし父を支えて、母は懸命に生きた。

 その母を家に閉じ込めたまま、父は外に無数の女を持ったのだ。

 母には、子を産むこと、富と権力のいしずえであることしか求めなかった。

 無論、愛はなかった。

 跡取りが必要で、その血の半分が母の一族に連なっている必要があった。

 それだけだった。


「母は、僕に言った……言い残してくれた。一生を賭けて、、と。大恋愛をして、本当の愛をはぐくみなさいと言ってくれたんだ」

「あの、お母様は」

「ずっと前に……父は、その時も家に帰ってこなかった。僕は……父のような男にはならない。僕のような子供を絶対に増やさない。天国の母に誇れる恋を探したい」


 諦めたようにミレーニャが、操の胸に手を当て離れる。

 だが、そんな彼女の手を握ると、さらに手を重ねて操は微笑んだ。


「変な話をしちゃったね、ごめん……服を着てくれるかい? ミレーニャさん」

「……はい。でも、わたしの気持ちは……レヴィール様の想いは」

「僕は、決めた。ミレーニャさん、力を貸して欲しい。僕は……レヴィールさんを助ける」


 ミレーニャの大きな瞳が、より大きく見開かれる。

 だが、静かに操は決意を述べた。


「純潔というのはね、ミレーニャさん……いつかめぐう愛まで、守り通すものなんだ。戦争のためだけに後生大事にするなんて、間違ってる。それに、それにね」

「はい」

「戦うために眠らされる女の子なんて、悲し過ぎる。それがこの国の、帝国の平和だというのなら……僕はそのいつわりを、破壊する。誰かの犠牲で守られた平和なんて、間違ってるんだ」


 それだけ言うと、操はミレーニャの華奢きゃしゃな両肩に手を置く。

 もうミレーニャは、自分との同衾どうきんを迫ってこなかった。


「……わたし、振られてしまったんですね。レヴィール様も仰ってくださったのに。想いがあるなら、ぶつけてみろって」

「ごめん、ミレーニャさん」

「ううん、いいんです。わたしも……レヴィール様のことがずっと気がかりで。だから、操さん。そう言ってくれた操さんが、わたしは好きでした」

「ありがとう。……僕に力を貸してくれるかい? ミレーニャさん」


 笑顔で頷くミレーニャの頬を、光が伝った。

 その涙のしずくを指ですくって、操は決意する。

 既に時刻は、レヴィールが封印凍結される時間に迫っていた。

 自分になにができるとは言わない、だが……なにもせずにはいられない。

 操は無自覚に燃えていた。

 銀髪緋眼ぎんぱつひがんの少女に、再び会うことを決めたから。

 その先でなにか、自分が伝えたいことがあるような気がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る