第9話「ホントの恋から始めよう」

 深夜の王宮内を、勲操イサオシミサオは走る。

 壁伝いに影から影へ、柱から柱へと息を潜めて進む。

 見回りの女官や衛兵の目を逃れて、彼は地下を目指した。

 脳裏に思い出される、ミレーニャの言葉。


『操さん。レヴィール様が封印凍結ふういんとうけつされるのは、この王宮の地下……そこは、魔法処女ウォーメイデンたちを管理し封じる施設でもあります』


 人を兵器として扱う。

 そして、使わぬ時は眠らせておく。

 それは、年頃の少女にしていい処置ではなく、あらゆる生命に対しての冒涜ぼうとくだ。だから、操の怒りは静かに燃える。脳裏では今も、寂しげなレヴィールの笑顔が忘れられない。

 シリアル・オーナイン、始まりの魔法処女……祖銀しろがねの魔女と呼ばれた女の子。

 誰よりも強い力を持ち、六百年以上もアルシェレイド帝国の平和を守ってきた少女。

 彼女は、操にとって……ただの同年代の少女だ。

 泣きもすれば笑いもする、普通の女の子なのだ。

 そして、その全てが常に許されない。一瞬たりとも許容されない。レヴィールには、最強の魔法処女として戦い以外は、なにも望まれず許可されないのだ。

 そのことをミレーニャは、切実に語ってくれた。


『おそらく、今夜を逃せばもう……レヴィール様と生きてお会い出来る機会はないかもしれません。大きな戦争があれば別ですが。が帝国わたしの母国を滅ぼしたことで、国家間の緊張は安定期に入りました。つまり、それは――』


 操にもそれくらいはわかる。

 戦争がないということは、レヴィールはその時代にはいらない人間だということ。常に頼って用い、兵器として戦わせるのに……一瞬たりとも平和を享受させはしない。彼女は自らの血を炎に変えて敵を焼くが、そうして生み出した平和の中では生かしてもらえないのだ。

 帝国最強の魔法処女は、安らぎを知らない。

 それでも国を守り、臣民しんみんを守って戦う。

 始原帝ファーストエンペラーと交わした約束、結ばれなかった恋を守るために。


「でも、そんなのは間違ってる! 僕はもっと、レヴィールさんと話したい。そして、彼女の生み出した平和に、彼女だって祝福されていいはずなんだ!」


 次第に衛兵の警備が増し、近衛このえの者たちの姿も散見するようになった。

 随分と地下にもぐったが、そろそろ目的地は近いのだろう。

 緊張感が増す中で、操は注意深く周囲を警戒する。

 その時、激しい振動が王宮全体を襲った。この地下まで激震が響くというのは、かなりのことだ。そして、それがチャンスだと操は知っている。

 ミレーニャが操とレヴィールのために作ってくれた、値千金あたいせんきんのチャンスだ。


「なっ、なんだ! なんの揺れっ!」

「上との連絡は!」

「なにぃ? 魔法処女が……暴走だとっ!?」

「この間、近衛に入った新米か! クソッ!」

「なに……はい、はい! 仰せの通りに、女皇帝エンプレス陛下! おい、使える魔法処女を呼べ!」

「本土防衛用に起きてる魔法処女がいる筈、回せーっ!」


 混乱が始まった。

 兵たちは壁の伝声管で叫び合う。

 ミレーニャは自ら、一番危険なおとりをやってくれているのだ。彼女が暴れることで、注意が宮殿の外側へ向く。その時、操にはチャンスが巡ってくるのだ。

 思った通り、武装した兵士たちは上へ向かっている。

 誰もが皆、緊張感に顔を強張らせていた。

 恐怖の表情ありありと見て取れる。


「クソッ、女の姿をしたバケモノめ! 暴れてくれるとはな」

「近衛にとりたてた女皇帝陛下の恩を、あだで返すつもりか!」

「い、嫌だ……魔法処女と戦うなんて、嫌だっ!」

「グズグズするな! 魔法処女の相手は魔法処女にさせろ!」


 周囲が慌ただしくなる中で、操はついに地下の中枢へと飛び込んだ。

 ひときわ荘厳そうごんな扉は、重々しい威圧感で操を出迎えてくれる。薄暗い中に等間隔で灯る明かりが、衝撃音とともに揺れていた。二度三度と王宮は揺さぶられ、

 操は最奥の扉を開き、その中へと駆け込む。

 そして、目の前の光景に絶句した。

 再開したレヴィールが、驚き操に振り向く姿が見えた。


「お主……なにをやっておるんじゃ。この騒ぎは……まさか、お主!」

「レヴィールさんっ!」


 そこには、神官らしき白い法衣ほういの男たちがいた。その数はざっと十数名。皆、顔まで白い頭巾と覆面で覆っている。真っ白な影は、それより尚も白いレヴィールを浮かび上がらせている。

 レヴィールは全裸だった。

 真っ白な肌に、銀色の長い髪を揺らしている。

 まるで、人間ではないかのような……実験動物モルモットのような扱いだ。

 人の尊厳、乙女の純情を踏みにじっている。

 その光景を見て、操の激昂げきこうが静かにほとばしった。


「お前たち……お前たちっ! 女の子なんだぞ! 乙女の柔肌! それを、それを――」


 今まさに、レヴィールは封印凍結されようとしていた。

 よく見れば周囲には、無数の硝子ガラスひつぎがある。びっしり並んだそのどれにも、魔法処女が全裸で封じ込められていた。まるで人形のように、用がなければ使うときまで保存される……それは、人間が人間にしていい行為ではない。

 そして、レヴィールもまたその眠りに沈められようとしていた。

 驚きに目を見張る彼女は、恥じらうことも許されない。

 堂々としたものだが、操は知っている。

 彼女は健気で気丈で、そして優しい女の子なのだ。

 乙女なのだ。

 初恋と帝国のために戦い、次の戦いのために眠る。戦友を決して忘れず、自分を忌避きひして恐れる者たちを守るために戦い続ける。それは悲痛なほどに気高く、孤高というにはあまりにかなしい孤独だった。

 そのレヴィールが、目をしばたかせながら操を見る。


「お主、どうして……ま、まさか」

「そのまさかだよ、レヴィールさんっ! 僕と逃げよう……僕は、僕はっ! 純潔を踏みにじるような人間が許せない! レヴィールさんに普通の女の子でいることを許さない、この国が、この世界が許せないんだ!」


 えた。

 身を声にして叫んだ。

 しかし、驚きに固まるレヴィールに代わって、背後で声が響く。


「そこまでです、少年。……貴方が一時の感情で我が帝国を揺るがすならば、この国の女皇帝として、私もまた力を使いましょう」


 振り向くとそこには、多くの兵に守られた少女が立っていた。

 臨月りんげつの大きな腹をした、このアルシェレイド帝国の女皇帝……キルシュレイラだ。

 彼女は悲しげに目を細めて見せ、その後にあらゆる感情を顔から払拭ふっしょくする。


「レヴィール、貴女にはまた眠ってもらいます。全ては帝国の繁栄のため。そして……次に起きた時、新たな重魂エンゲイジャーを召喚できるようにしてあげましょう」

「まっ、待てキルシュレイラ! 操に手出しはならぬ!」

「わざと負けておかされ、ただの女になりたいなど……このような弱き重魂を召喚するなど。民も私も許しません! ……許したくても、許せないではないですか、レヴィール」


 操の周囲を、多くの兵たちが取り囲もうとした。

 ようやく操は理解した。

 自分が最弱の重魂、レヴィールが自ら敗北を望み、それをかなえるためだけに召喚したオスだということを。そして、自分はレヴィールが次の雄を召喚できるように、この場で殺されてしまう。元の世界へ戻ることを拒否したから。敗者となった魔法処女を犯すことを、かたくなに拒んだから。

 だが、周囲できらめく刃が、次々と粉々に砕ける。

 兵士たちが身震いに飛び退くと同時に……ゆっくりレヴィールが歩いてきた。


「操、何故じゃ……何故、ミレーニャと交わり元の世界に帰らぬ」

「僕はっ、僕が恋して愛した人にしか童貞どうていを捧げられない! それは曲げられない!」

「では、ミレーニャの想いはどうなる?」

「僕がミレーニャさんを抱けば、それは別れを意味する。そんなのは間違ってる……僕はミレーニャさんの恋心にだって向き合ってみせる! そのためにも――」


 操は、はっきりと明言した。

 母から教わり、自分でも学んだ。

 女性を想い、大事にして、そして寄り添う。そのための清く正しい男女交際を操は知っている。母が教えてくれた、母には許されなかった恋愛。


「そのためにもっ、まず! 僕は……ミレーニャさんとは、!」


 周囲が沈黙した。

 目の前まで歩いてきたレヴィールも、目を点にする。

 皆が皆、首を傾げて黙ってしまった。


「お主、なんじゃ……その、コウカンニッキというのは」

「恋する男女の正しい交際の形、その最初の心の交流だよ、レヴィールさん!」

「ああ、なるほど……日記を交換するのかや? ……何故?」

「お互いの想いをつづり、それを伝える! そこから始めなきゃ駄目なんだ!」


 大きな瞳を瞬かせ、レヴィールははと豆鉄砲まめでっぽうを食らったような顔のあと……不意に笑いだした。たわわな胸の実りを揺らして、裸で腹を抱えて大爆笑した。


「これは……ふふっ、はははっ! これは愉快じゃ! なんじゃあ、お主……それが男女の仲だと思うのかや? 互いに睦言むつごとを連ねて、それで……そんないとしい、愛おしいやりとり……ワシに許されると思うてか」

「思う思わないじゃない、そうするんだ! ……僕は、レヴィールさんとだってそこから始めたい。そう、僕は……レヴィールさん。貴女を大事にしたいんだ!」


 大爆笑したレヴィールは、そのまなじりに光をともしていた。

 だが、その涙は零れない。

 ようやく一息ついたレヴィールは、いつもの不敵で不遜な美貌を輝かせ始める。


「よかろう、操……お主はワシにまだ眠るなというのだな?」

「そうです、レヴィールさん。ミレーニャさんが僕を想ってくれたように……僕も今、レヴィールさんを想い始めてしまった! そして、レヴィールさんは……僕には普通の女の子でしかない! そうであって欲しいから、僕は!」


 その時だった。

 レヴィールがそっと、操の胸に手で触れてくる。

 彼女の全身が眩い光を放って、銀色の髪が逆巻いた。そして、ゆっくりとレヴィールの手が、操の中へと埋まってゆく。重魂たる操へと、レヴィールが融合ユニゾンを試みてくる。

 それは、魔法処女が本来の力を発揮するための交わり。

 二人は今、一つになろうとしていた。

 その中でレヴィールは、一度だけキルシュレイラを見やる。


「すまんの! ……れてしもうた。しばし帝国を留守にすること、許せ!」


 操は溢れる高揚感にあぶられながら、熱を感じた。

 あっという間にレヴィールが、輪郭を崩して自分の中へと入り込む。そして、操の肉体は変化し始めた。着衣が弾けて、全身が女性へと変化してゆく。レヴィールを思わせる胸の膨らみに、もともと細い腰が強烈にくびれてゆく。各所が女性らしい細さと柔らかさとで、曲線美を織り成す中……白い肌を銀色の戦衣ドレスが包んだ。

 そこには、操の意思を灯した銀髪の魔法処女が立っていた。

 露出もあらわな戦衣が、ゆらゆらと自身から発するオーラに揺れている。

 周囲の兵士たちはキルシュレイラを守りながらも、カタカタ折れた剣を揺らしていた。


「ひっ、ひいいいいっ! 重魂と融合した!」

「こ、これが世界最強の魔法処女……シリアル・オーナイン!」

「しっ、祖銀の魔女! レヴィール・ファルトゥリム!」


 操は今、レヴィールの全てと重なっていた。

 そして、脳裏で彼女の声を聴く。


『馬鹿じゃな、お主……ワシに皆と同じ時間を生きよというのか?』

「それが愚かなら、僕は愚か者で十分だ! レヴィールさん、僕と同じ時間を生きてくださいよ! 僕も、その中で確かめたい……本当の恋がしたい!」

『……よかろう、お主に全てをゆだねるも一興いっきょう。ふっ……人生最後の恋にも二度目が来るとはのう。操、ワシの力は今、全てお主のもの! 振るえ、最強の力を!』


 瞬時に、操は燃える気持ちのままに両手を広げる。

 満ち満ちた全身の力が、あっという間に光となった。

 広がる炎が紅蓮ぐれんに燃える中で、その輝きがなにもかもを飲み込んでゆく。だが、わかる……感じる。操は今、レヴィールだった。そしてレヴィールは常に、操であり続けてくれる。重魂と一体化した魔法処女の力が、全てを光に飲み込んでいった。

 だが、誰も殺さず生命を奪わない。

 そのレヴィールの想いを、操は確かに形にして放っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る