第12話「これからのこと」

 目覚めた朝にまだ、勲操イサオシミサオはまどろんでいた。

 さえずる鳥の声を聴きながら、ソファに寝転がってぼんやりと目をしばたかせる。起きているのか寝ているのか、そしてこれは夢なのか。曖昧あいまいな時間にただよいながらも、カーテンの隙間すきまから差し込む朝日を見詰めていた。

 少しずつ頭が働くようになって、徐々に思い出す。

 昨夜、レヴィール・ファルトゥリムを助けて一緒になった。

 一つに融合ユニゾンして、魔法処女ウォーメイデンの本来の力を振るったのだ。

 二人の逃避行とうひこうは、ようやく彼女に恋を許したはずだ。

 恋する気持ちは確かにあって、操もそこから始めたいと願ったのだ。


「それから……ああ、そうだ。レヴィールさんにベッドをゆずって、そして僕は――」


 少しずつ昨夜の出来事を思い出す。

 国境こっきょう沿いの小さなこの村に逃げ込み、宿の女将おかみの親切に甘えた。部屋ではレヴィールが同衾どうきんを迫ってきたが、断ったらプンスカと怒られたのだ。

 だが、操の意思は固い。

 レヴィールの魔法処女の力を守っている訳ではないのだ。

 自分とレヴィールの貞操ていそうをこそ守り、純愛を貫きたいのだ。

 そこまで思い出して、操はソファから飛び起きる。


「あっ、レヴィールさんっ! ……やっぱり、いない! もしかして!」


 操なりに短い時間で、レヴィールの人となりはわかっているつもりだった。

 レヴィール・ファルトゥリムは、高潔こうけつで気位が高く、高貴で高慢こうまんちきで、そういう意味でなにもかもがお高い少女だ。この異世界アスティリアで、最も美しい最凶兵器……初まりの魔法処女シリアル・オーナイン。初恋の皇帝のため、アルシェレイド帝国を六百年間守ってきた祖銀しろがねの魔女だ。

 だが、操が知っているのはそれだけではない。

 最も強いゆえに、秘めたかなしみ。

 孤高、そして孤独の中を生きる少女……それがレヴィールだ。彼女の戦績は散らした命で飾られ、燃やした国は数え切れない。だが、そうした数字だけがレヴィールの全てではないのだ。

 操は急いで部屋を出ると、着替えもそこそこに階段を駆け下りた。

 酒場になってる一階のフロアに出ると、意外な声が行き交っていた。


「ほらっ、三番テーブルの肉が焼けたよぉ! 持ってっておくれ」

「心得た、女将っ!」

「今度は皿を割るんじゃないよぉ! ふふ、昔を思い出すねぇ……若くて綺麗で、仕事はさっぱりで」

「ワシはそんなに役立たずではないはずじゃ」

「なに言ってんだい! 掃除も洗濯もできない、乳やら尻ばかりプリプリとデカい生娘おぼこが。いいから働く、ほら、行った行った!」


 酒場では今、宿泊客たちへの朝食が振る舞われていた。旅人たちは皆、身支度を整え出されたパンに手を付けている。そして、様々な注文が行き交う中に操は、異様な光景を見た。

 そこには、信じられない格好のレヴィールがいた。

 田舎娘いなかむすめ丸出しの野暮やぼったいスカートにエプロン、そして頭巾ずきんで長い銀髪を隠している。

 見るからに危なっかしい手付きで、彼女はウェイトレスとして懸命に働いていた。

 周囲の客達も、美貌の新米ウェイトレスが面白いのか、からかいの声をかける。それは悪意も害意もなく、面白がりながらも不器用な少女を応援しているようだった。


「ようよう、ねーちゃん! そんなへっぺり腰じゃ、また皿を割っちまうぞ!」

「女将の若い頃にそっくりだって? そりゃ災難だ、アンタも今は綺麗だがきもたまかーちゃんになるって訳だ!」

「それはいいけど、お茶のおかわりはまだ? さっきから待ってんだけどよ。しっかりしろよ、ねーちゃん!」


 笑いが満ちる朝の酒場では、すでに酒を飲んでいる者達もいる。夜通し働いた者や、夜の森で狩りをする男達などだ。国境に近いこの村では、チラホラと警備隊の姿も見える。

 だが、誰一人として夢にも思うまい。

 見目麗しい少女の正体が、魔法処女……それも、祖銀の魔女だということを。

 彼女は息を吸って吐く間に、この村を消し飛ばすことさえ可能だ。

 操という最弱の重魂エンゲージャーとの融合でさえ、あらゆる全てを瞬時に破壊、蹂躙じゅうりんする。

 立ち向かってくる全てを、戦いとすら呼べないレベルでほふる無敵の魔法処女なのだ。

 そんなレヴィールは、忙しい中で操の視線に気付いて振り返った。


「おお、操! 起きたかや? ……なんじゃ、ワシの顔になにかついておるか? まだ寝ぼけておるようだのう」

「えっと、おはよう……ござい、ます」

「うむ! よい朝じゃな」


 無邪気に笑うレヴィールに、ドキリと操はときめいた。

 こんな顔を見せてくれたのは初めてだ。

 今、アルシェレイド帝国という頸城くびきかれたレヴィールは、自由。あらゆる束縛を断ち切った彼女は、まばゆいばかりの美貌に笑顔を散りばめていた。

 客達もその見目麗みめうるわしい姿をでながら、朝食の時間を満喫している。

 そして、操のもっともな疑問にもレヴィールはすぐに答えてくれた。


一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩義を返さねば、ワシの気がすまぬ。のう、女将!」

「なに言ってんだい、生意気な娘だねえ! ははっ、そういうのは嫌いじゃないよ」

「であろ? さ、操もそこに座るがよいぞ。ワシが手塩にかけて朝餉あさげを振る舞うゆえ」

「ちょいとレヴィ! あんたは厨房ちゅうぼうに入るんじゃないよ。まったく……その歳で卵一つ割れないんじゃ、そっちのボウヤもかわいそうだ。あたしが仕込んでやらなきゃねえ」


 操はとりあえず、空いてるカウンターの席に言われるままに座った。

 レヴィ? レヴィールではなく? そのことに首を傾げていると、レヴィールは唇に人差し指を立てて見せ、ウィンクを投げつけてくる。どうやら彼女なりに偽名ぎめいを名乗って、周囲を気遣っているようだ。

 こんなド田舎でも、彼女の素性が知れれば状況は一変してしまう。

 おだやかでなごやかな空気は、あっという間に戦慄せんりつ恐懼きょうくに凍るだろう。

 レヴィールの名は常に、災禍ディザスターにも等しい力で無数の命を奪ってきたのだ。

 だが、見ててハラハラする操の気も知らず、元気よくレヴィールは働いている。気安く声をかける男たちもあしらって、しかしいつもの不遜ふそん慇懃無礼いんぎんぶれいな物言いは普段通りだ。そして、何故か老若男女を問わず誰もが、彼女の言動に笑っていた。

 ウェイトレスとして働くレヴィールに、気付けば操は頬杖を突いて目を細める。

 熱いミルクを出してくれた女将は、そんな操にそっと小声を潜めてきた。


「ちょいと、ボウヤ。いいかい? ……訳ありと見たけどねぇ」


 女将の声は緊張感の中に、優しさと気遣いが秘められていた。

 操は黙ってうなずく。

 それで全てを察したのか、女将は笑顔になった。


「あたしゃ何も聞かないけどねぇ……レヴィちゃんはイイ子じゃない。しばらく居ていいから、ちゃんと将来のこととかを考えるんだよぉ?」

「あ、ありがとうございます。あの、僕も決して考えてない訳では」

「あら、そうかい? どうするつもりかねぇ……あの子はきっと、身分の高い家の娘なんだろう? こんなになーんにもできない子なんて、ここいらにはいないからねぇ」

「ええ、まあ……とりあえず、その。あっ! そ、そうか……すみません、やっぱり考えてるつもりだったけど、考えてませんでした」


 ほらみろと言わんばかりに、女将は溜息ためいきをついた。

 操は言い返すこともできず、今までの自分を少し恥じる。

 健全な男女の交際をと思い、レヴィールと好意を交わし合う仲でも順序と手段をきっちりさせてゆくつもりでいた。気持ちを確かめ合う仲で距離を縮めて、お互いにわかり合ってから手順を踏むのが当然だと思いってた。

 だが、現状はそうしたことなど問題にしていないのだ。

 自分とレヴィールは逃避行の真っ最中で、今日も明日も寝床とパンにありつかねばならない。ここにずっとはいれないし、この先のことも考えなければいけないのだ。

 それは、交換日記がどうとか、手を繋ぐのは早いとか言う問題じゃない。

 互いの純潔の前に、今の操はレヴィールを守り、彼女との生活を守る必要があった。


「……女将さん、僕は馬鹿でした。なにも、考えてなかった……でも、真剣に考えるつもりでいます! そのためにも、僕もここで働かせてください」

「男手があるのは助かるよぉ、旦那はとっくに死んじまったからねぇ。でも、やる気だけじゃどんな仕事もつとまらないよぉ? 覚悟はあんのかい」

「はいっ! ここに骨を埋めるなどと、軽々しいことは言えません。僕とレヴィー、ル、ルルル……そう、レヴィは追われる身ですから、女将さんにもご迷惑はかけられませんし。でも、少しだけ……落ち着いて考えがまとまるまで、ここに置いて下さいませんか?」


 我ながら身勝手な話だと思ったし、女将の厚意を当てにしすぎている。無力な自分が恥ずかしいが、恥を忍んで操は頭を下げた。レヴィールのためにも、今はなんでもするし、頭くらい下げる。

 互いの純潔や清い男女交際ではない……レヴィールをこそ一番に守りたいから。

 女将は黙って笑顔で頷いた。


薪割まきわりに風呂焚ふろたき、宿屋には仕事が山積みだよぉ? ま、朝飯を食ってモリモリ働いておくれ」

「はいっ! ありがとうございます、女将さん」


 その時だった。

 甲高い音が響いて、誰もがその方向を振り向く。

 そこには、立ち尽くすレヴィールがギギギギとぎこちなく振り返る姿があった。彼女の足元では、割れた皿と一緒に料理が散らばっている。

 女将はやれやれと肩をすくめ、周囲からも「あちゃー」「またやったか」と声があがった。

 レヴィールは操が寝てる間に、祖銀の魔女に相応しいだけの破壊を尽くしていたらしい。

 彼女は珍しく申し訳なさそうに肩を落としつつ、上目遣うわめづかいで女将を見やる。


「そ、その、すまぬ……また割ってしもうたようじゃ」

「……レヴィ、いいからもうお前さんは下んなよぉ。別の仕事を用意してやるからね。片付けは……こっちのボウヤにやってもらうさね。ねえ、ボウヤ? あの娘の尻拭しりぬぐいも、しっかりこれからやっておくれよ?」


 赤面にうつむくレヴィールに、周囲から投げかけられる声は優しい。はやしたてるような声も皆、口々にドンマイと笑っていた。

 操はすぐ、朝食もそこそこに働き出す。

 レヴィールのためならなんでもできる、そう思えた。

 やっぱり自分は、彼女に恋をしているのかもしれない。

 だとしたら、やはりちゃんとした関係性を築かねばならない。そのためにも、今は彼女との生活を守って支え、やりくりしていかなければいけない。衣食住が満ち足りて初めて、人間は思考を巡らし互いを尊重できるのだから。

 そんな時、酒場のドアが開いて客が入ってきた。


「邪魔するぞ、女将。……昨夜、この村に若い男女が訪れなかったか?」


 操の表情が凍り付いた。

 そして、レヴィールの美貌が冷たく冴え渡る。目に鋭さが燃えて、ぞっとするような美しさが来客の女をにらんだ。

 そう、女……若い女、少女と言ってもいい。

 数はざっと五、六人。

 皆、マントにアルシェレイド帝国の紋章が入っていた。

 緊張感の中で操は、思わずレヴィールに駆け寄り手を握ってやる。なにも言えないが、手に手を重ねて寄り添う。既に魔法処女の顔になっていたレヴィールは……その白く綺麗な手は、小刻みにだが震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る