第21話「死の凍土と、生の樹海と」

 勲操イサオシミサオの視界が白く煙ってゆく。

 時間すらも凍るような錯覚の中、フェンリルと融合ユニゾンしたノーヴェが放った神代禁術エンシェントドーン……その恐るべき絶対零度ぜったいれいどの力が、世界の全てを凍結させてゆく。

 だが、その爆心地の中で操はまだ詠唱を続けていた。

 融合している魔法処女ウォーメイデン、シングル・ナンバーズのナナの選んだ神代禁術を。


(あれ……どうして、僕は……熱い、温かい……これは?)

『パパ、安心して! パパとナナとは……必ず! 絶対! ママが守ってくれるんだもん!』


 ナナの言葉通りだった。

 少女の姿になった操の周囲を、強力な魔法の結界がおおっている。それが砕かれ凍る都度つど、再度張り巡らされて操を守っているのだ。

 その燃え盛る紅蓮ぐれんの結界によって、操とナナは必殺の魔法からレジストしていた。

 そして、その力を振り絞ってくれているのは……すぐ近くまで降りてきたレヴィールだった。


「世話が焼けるっ! じゃが、ワシを当てにしての決断、覚悟……その甘える気持ちっ、応えたくなるのう!」


 今、操とナナを守っているのはレヴィールだった。

 そして、そのことをナナは計算に入れていた。

 計算などというさといものではない……それで当然だとレヴィールを信頼していた。ママとなついてしたう心が、無条件にレヴィールの介入を前提条件にしていたのだ。

 レヴィールは祖銀しろがねの魔女と呼ばれた、シリアル・オーナイン……原初の魔法処女だ。

 その力は、重魂エンゲージャーと融合していなくてもはかりしれない。

 単純計算では、フェンリルと共にあるノーヴェには敵わない……しかし、持てる魔力の全てを防御に転じて、結界の強化に集中すれば話は別だ。


(そうか……ナナ、君が僕と神代禁術を! そして)

『そうだよっ、パパ! ママが防御してくれる……パパは、ナナとママと、二人の魔法処女と一緒なんだから! ナナ、パパのこともぉ……大好きになったんだから!』


 やっと理解した。

 わかる前に感じていた。

 レヴィールを母として生まれた、その因子を直接引き継いだ九人の娘達……シングル・ナンバーズ。その中でも、ナナが持つレヴィールへの信頼は厚い。

 本当にレヴィールを母として慕っているからこその荒技だった。

 そして、それを見たノーヴェが険しい表情で叫ぶ。


「くっ、卑怯な! 母さんを使うなんて!」

「魔法処女の戦いに多対一はない……それも、今までの話じゃ! そもそも、決闘の形式があるのは、互いに重魂と融合する、その都度重魂を召喚するからじゃろうて!」

「……母さんは、ナナは違うとでも言うんですか!」

「見ればわかろう! 敗者を犯さねば戻れぬ重魂など召喚しとうない……それをワシは願ったし、ナナがわかってくれたのじゃ!」

「そんな理屈!」

「理屈ではない! 感じた気持ち、想った心! それを今、わからせてやろうぞ!」


 究極とも言える破壊の吹雪が収まった。

 ノーヴェの放った神代禁術が、その力を出し切ったのだ。

 だが、操はナナと一体となって生きている。

 まだ、必殺の呪文を詠唱えいしょうしている。

 それというのも、単身で守ってくれたレヴィールのおかげだ。操という一人の重魂に大して、複数の魔砲処女がいてくれる。それは、今までの常識では考えられない戦術だった。


「くっ、魔法の力が……神代禁術の効果が、終わる……!」


 あらゆる全てを凍らせる力が、徐々に遠ざかってゆく。

 戦いに巻き込まれた土地の大自然だけが、白き死の中で沈黙していた。

 そして……レヴィールに守られた操とナナは、まだ生きていた。

 信頼で託した勝利への執念と共に、操はナナが脳裏に浮かべてくれる呪文の詠唱を拾い続けていた。

 そして、恐るべき地属性の究極魔法が炸裂する。


 萌えろ芽吹く息吹、我が胸を焦がす想いよ

 遥けき彼方の我の、未来のために

 その若き生命を輝かせて、星の海に、その広がる大洋に

 時空を超えて今、我の心を運んで旅せよ!


 詠唱が終わると同時に、操は絶叫していた。

 その声にナナの叫びが重なる。

 二人は今、一つになって声を張り上げる。


「わかる……わかるぞ! この呪文の意味! この神代禁術の意義! いっっけええええっ、グラン・ゾ・ヴォード!」


 ナナの助けを借りた詠唱が終わった。

 同時に、操は突き出す手に力を込めて呪文の成立を押し出す。

 長い長い詠唱の果てに、強力な神代禁術の力が炸裂した。

 フェンリルと融合して半人半狼となったノーヴェが、驚愕きょうがくに表情を引きつらせる。常に冷静沈着で自分のペースを崩さなかったノーヴェ……その怜悧れいりな表情が初めて見せる、明らかな焦りと恐怖だった。

 そして、ナナの持つ最強の魔法がノーヴェへと牙を剥く。

 ノーヴェは結界を強化しながら怯える心を叫んだ。


「ありえないっ! 二人の魔法処女をそれぞれ、攻撃と防御に振り分けるなど!」


 操でもわかる。

 自分がナナのお陰で選べた、それは常識外れの奇想天外な戦い方。

 そもそも、複数の魔法処女が一人の重魂を共有することがありえないのだ。

 だが、操は今はレヴィールの重魂であると同時に、融合するナナの重魂でもある。

 魔法処女の悲劇を否定したがゆえの、新しい戦い方だった。


「ノーヴェッ! 僕は絶対に君を死なせはしない! けどっ、少しおとなしくしてもらう!」

『感じて、ノーヴェ! ママの覚悟を! パパの決意を! ナナはね、ナナは……そんなママとパパとが、大好きになっちゃんだよっ!』


 地属性、対となる陰理と陽理が極限の魔法を励起させる。

 ノーヴェが撒き散らした極寒の冬が、真っ白な大地の上で徐々に消えていった。そして、ひび割れ隆起する地面から無数の植物が芽吹く。地属性を持つナナの力で、禁忌の爆発力を得た異界の草花が無数に成長し始めた。

 それは、あっという間に空を逃げるノーヴェを捕捉する。

 まるで意志を持つ触手のように、つたが伸びて極寒の魔法処女を絡め取った。


「これしきのことっ! フェンリル! 私にもっと力を! ……フェンリル? どうした、氷の魔狼まろうたるお前が! これしきのことで!」


 ノーヴェは今、爆発的に広がる植物の中へと沈んでいた。

 それはもはや、草花や樹木といったレベルではない。

 ナナの神代禁術は、広がる荒野が絶対零度の冬に沈んだ中から……巨大な森を現出させていた。緑の海が波打って、あっという間に地上に広がってゆく。

 ノーヴェは、宙を乱れ伸びる植物の中に消えていった。

 操の目にも、はっきりとフェンリルが切り離されて消滅するのが見えた。


「ありがとう、ナナ……でも、ノーヴェは」

『大丈夫だよ、パパ! ナナ、全力全開だった! だから、全力全開で手加減したよ? ノーヴェは今、森の中に埋まってるだけ。元気だよ、生きてるよ!』


 静かにナナは、一体となった操の身体を大地に下ろす。

 融合が溶けて少女の肉体から脱出した操は、よろけながらも眼前の森に走った。そう、目の前には樹海と呼ぶに相応しい森が現出していた。

 そして、その中から大樹の枝がぶらさがる。

 その先には、足首に枝葉を絡ませたノーヴェが逆さまにぶら下がっていた。


「ノーヴェ、無事だね? よかった……待ってて、今すぐ降ろしてあげる!」


 操は躊躇ちゅうちょなく、吊るされたノーヴェに駆け寄った。

 ナナと融合して神代禁術を使ったこともあって、全身にけだるい疲れが満ち満ちている。歩くことすら億劫おっくうだが、それでもノーヴェは見捨てられない。助けたい。

 魔法処女として戦いを強いられる少女達を、全て救いたいのだ。

 その埒外らちがいに巨大過ぎる願いは、今も操を突き動かしている。


「お前は……馬鹿か? 私は敵だぞ!」

「今はね。でも、君も国家の都合で戦わされる魔法処女に違いないんだ」

「当たり前だ! 私は帝国のために戦ってきた。それを」

「国のために戦って、勝って負けて! その繰り返しはいつか、君が負ける未来へ繋がっている! その時、君は相手の重魂に乙女の純潔を汚されるんだ。それを黙って見ていられるか!」

「な、何を……お前は何を言ってるんだ!」

「女の子は! 自分の純潔を! 愛する人に! 愛する人にだけささげるべきなんだ!」


 操はどうにか、ノーヴェを植物から解放する。

 ナナが操と一緒にもたらした最強魔法は、なにもなかった不毛の土地に広々と森を広げていた。その中から、辛うじてノーヴェを救い出す。

 操はノーヴェを姫君のように抱き上げると、レヴィールとナナが待つ中へ歩み出した。

 先程までの敵意が嘘のように、ノーヴェは黙ってしまった。


「ナナ、そしてレヴィール。本当にありがとう。君達の機転のお陰で、ノーヴェは無事だよ」

「当然じゃ。しかし、操……肝を冷やしたぞ。よもや、防御の全てをワシに頼ってくるとはの」

「でも、ナナは信じてたよ? ママが助けてくれるって。だからナナ、一番いい魔法を選んだの! 一番強くて、ノーヴェを殺さずにすみそうな魔法。うー、うう、わーっ! 花さん、草さん、樹木さん! ありがとぉ! 今日もありがと!」


 全てを死の白が染めた大地には、青々とした森が広がっていた。

 そのことが結果の全てで、ノーヴェも敗北を認めているらしい。

 彼女が言うので、操はそっと抱えた少女を大地に立たせた。


「……私の負けと言わざるを得ないでしょう。操といったか? 君は元の世界に戻るべく、私を陵辱りょうじょくする権利がある。私も魔法処女だ、おきてには従う」

「ま、待って! 待ってください、ノーヴェさん」


 操が話そうとした、その時だった。

 不意にレヴィールが割り込み、ノーヴェの前に立つ。そして彼女は、緊張に身構えるノーヴェを突然抱き締めた。


「ワシ達はすぐに行くからのう……ノーヴェ、馬鹿な子じゃあ。お主は水と氷を操る故、ワシへのカウンターとして生きてきた。けど、そういう時代が終わろうとしておる」

「それは、つまり」

「操じゃ。操がこれから、魔法処女によって成り立つこの世界のことわりを、一切合切破壊してくれるのじゃ」

「そんな……無理です! どうやって」

「こうやって、じゃ。ワシは思えば、娘にも等しいお主等を抱いてやることすらしなかった。じゃがの、操はこういう世界を目指しておる。勝者も敗者もない、魔法処女が戦わなくていい世界を望んでいるのじゃ」


 ノーヴェの驚く顔に、操はうなずいた。即座にナナが抱き付いてきて、半ばぬいぐるみのように振り回される。

 だが、ノーヴェに自分の気持が伝わればいいと操は願った。

 今はわからなくてもいい、それを実感できる時代を築きたい……そう切に祈るのだった。

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