第19話「凍れる殺意、芽生える希望」

 周囲に結晶化した水分が舞い踊る。

 極寒の中で発生する、ダイヤモンドダストと呼ばれる現象だ。

 魔法処女ウォーメイデンノーヴェ……祖銀しろがねの魔女レヴィールを殺すためだけに生まれた直系の娘。その力は、炎に対して優位な水と氷だ。

 ミサオは、自分が寒さの中で凍えていないことに気付く。

 自分を浮かべているレヴィールが、魔法の結界で守ってくれているのだ。

 そして、冷たい表情のノーヴェにナナが対峙たいじする。


「ノーヴェ、やっつけちゃうよ! ゴメンしてもいいの、今だけなんだからね!」

「……それで? やるなら早くしてください。私の準備はとっくに整っています」


 ノーヴェは静かに天へと両手を広げる。

 浮かび上がる光が魔法陣を描いて、その中から低く唸るような声が聴こえてきた。

 そして、操はノーヴェの重魂エンゲージャーを目撃して目を見張る。


「な、何だっ! 何を……大きい!」

「ムッ、ノーヴェめ……このクラスの重魂を召喚するまで腕をあげておったか」


 隣のレヴィールも驚きの表情を見せた。

 魔法陣から出てきたのは、巨大な顎門アギトだ。

 異界と繋がったゲートの光を、自分から押し広げるように鼻先が突き出る。ノーヴェは魔力を注いでさらに魔法陣を構築してゆくと……異形の重魂がその全貌を露わにした。

 ようやく全身を露わにしたのは、山のように大きなおおかみ

 雪よりも白い毛並みで、牙を剥き出しにうなる巨獣だ。


「さあ、氷狼ひょうろうフェンリル……私と一つに。融合ユニゾン!」


 強烈な吹雪の中で、ノーヴェはフェンリルに触れた。

 そして、あっという間に一人と一匹が一つになる。

 魔法処女の力を極限まで引き出し、属性たる象素しょうその全てを使いこなす姿……禁忌きんきの力である神代禁術エイシェントドーンすら詠唱可能えいしょうかのうとする、魔法処女の真の姿だ。

 遠吠えに消えるフェンリルをその身に招いて、ノーヴェの肌があらわになる。

 胸元や股間のみに白い毛皮を薄くまとった、淡雪あわゆきのような半裸。その均整が取れた美しさは、両手両足が獰猛どうもうな狼そのものでたくましい。知りには白い尻尾がゆるゆると揺れていた。

 神狼フェンリルの乙女と化したノーヴェを前に、ナナもグググと両の拳を握り締めた。


「ナナだって、ナナだって……すっごい重魂、召喚できんだから!」

「能書きはいいので、さっさとしてください」

「わかってるもん! 今、やるもん!」


 だが、ナナはなかなか自分の重魂を召喚しようとしない。

 彼女はチラリとレヴィールを見て、そのまま操を見詰めてくる。

 明らかな戸惑いを見せるナナに、レヴィールも心配そうに言葉を選ぶ。まるで本当の母親のようだ。意外な表情を見せてくれたレヴィールに、ようやく操も気付いたことがある。

 ナナは召喚しないのではない。

 


「ナナ! おぬし……」

「だって、ママはさっき言ってたもん。魔法処女、やだって。パパも言ってた……勝者の重魂は敗者としなきゃ帰れない、そんなのダメだって」

「しかし、それはワシの勝手な――」

「ママが我慢してるもん! ナナ、ノーヴェもママも好きだもん……魔法処女じゃなくなったらヤだもん。あと、その、本当は好きな人としかチュッチュしちゃいけないんだもん」


 無垢むく無邪気むじゃきなナナは、彼女なりにレヴィールと操のことを気にしていたのだ。

 魔法処女の鉄のおきて

 それは、

 そうせねば召喚された重魂は帰れないのだ。

 故に、戦争の全権代理人たる魔法処女は貴重な戦力である。一度戦いに出れば、敗北は即ち力の喪失。絶対兵器として、人間どころか女性として扱ってもらえぬかなしみがあった。

 その理に立ち向かう操とレヴィールを、ナナはナナなりに気遣きづかってくれていたのだ。

 だが、それだけで話は終わらなかった。


「ナナ、いっつもお手伝いしてくれる子、いるもん……でも、いつも勝ったらその子、ナナにあっち向いてなさいって。帰るためだけど、ずっとヤだった」

「それで? ナナ、貴女あなたはあまりに心が幼い。それでは我々シングルナンバーズの一角を担う資格はありません。重魂を出さぬなら、そこをどきなさい」

「どっ、どかないよ、ノーヴェ! ……ママ、パパ借りるねっ!」


 不意打ちだった。

 ナナはクイと指を空中にすべらせる。

 突然浮遊魔法の制御が切り替わって、操はナナに引き寄せられた。

 思わず「ふあっ!?」と声が漏れ出た、次の瞬間には……ナナの豊満な胸の谷間に顔が埋まっていた。全身で感じる彼女の柔らかさが、凍てついた空気の中でぽかぽかと温かい。

 そして、背後では珍しく気色ばんだレヴィールの声が響く。


「なんじゃ、ナナ! ワシの操を……待て待て、待てい! それは駄目じゃっ!」


 だが、遅かった。

 ぎゅーっと抱き締めてくるナナの中に、徐々に操は溶け始める。

 レヴィール以外の人間と一つになるなど、思いもしなかった。何より、心に決めた女性以外との同衾どうきんは意に反するし、それはただ重魂として融合することも同じだ。

 操は操なりに、戦うためのパートナーに独自の恋愛価値観や結婚観を持っていた。

 それでも、ナナはお構いなしだ。


「わ……パパ、弱い! 全然魔力を感じない……でも、なんだろ……気持ち、いい」

「ちょ、待ってナナ! 違うんだ、これは……レヴィール、ごめん!」


 そして、操の身体が変化を始める。

 レヴィールと一緒になる時と一緒だ。ナナとの意識が混じり合う中で、その力が自分を女性へと変貌させてゆく。レヴィールには情熱的な炎の熱さを感じたが、ナナは肥沃な大地の恵みのように温かい。

 そして、操は普段と同じ薄布のたなびく姿へ変身する。

 均整の取れた肉体は、レヴィールの時と同等に絶世の美少女をかたどっていた。

 見守っていたノーヴェも、わずかに片眉かたまゆをピクリと跳ね上げる。


「うう、ごめんよレヴィール。でも、何だろう? この力……いつものレヴィールとは違う」

『パパ! ナナの象素は土……陽理ようりは土、陰理いんりなの! 大地の力でやっつけちゃおうよ、パパ!』


 同時に、ノーヴェがやれやれと肩をすくめて首を横に振る。

 彼女があなどる程に、ナナと融合した操は弱いらしい。

 それはレヴィールの時と一緒で、もしかしたらさらに力は低い可能性だってある。

 だが、操は脳裏にレヴィールの言葉を思い出していた。

 操は召喚された幻獣や神々に比べ、水量の少ない蛇口じゃぐちだ。

 だが、その力をうまく使うことで、水圧を高めることはできる。

 限られた力をコントロールし、出し方に気をつければ戦える……勝負にならないとは思わない。そして、それはナナも一緒だった。


『なんか、なんかこぉ……パパの中、あったかいね! 気持ちいい……よーしっ、やるぞぉ! 頑張っちゃうんだから!』

「頼むよ、ナナ。それと……えっと、その、レヴィール?」


 背中に刺さるような視線を感じる。

 ちらりと肩越しに振り返れば、腕組み浮かぶレヴィールが平坦な目ですがめてくる。フラットな表情に浮かぶ双眸そうぼうは、露骨に怒りと嫉妬の光をたたえていた。

 

 自分の娘にも等しいナナに、操を取られたと思っているらしい。

 あの自信家で尊大、唯我独尊ゆいがどくそんの最強魔法処女……シリアルオーナイン、祖銀の魔女と呼ばれたレヴィールが焼いているのだった。


「操! ……あとでオシオキじゃ」

「ご、ごめんレヴィール」

「じゃから、まずは勝て! ワシは炎を使う魔法処女、確かにノーヴェの象素とは相性が悪い。その上、炎は特殊な破壊の力、陰陽の二種が存在せぬ純粋な攻撃力なのじゃ」

「成る程……」

「ナナも聴いておろう? 操を補佐して上手く戦うのじゃ。水は炎に強いが土には弱い……森羅万象しんらばんしょうことわり、その優位性を上手くかすのじゃ!」


 操の中で『うんっ!』とナナが元気な返事。

 同時に、操はノーヴェを見据みすえて自分の力で飛び出す。

 あっという間に空気を切り裂き、ノーヴェの前に肉薄にくはく

 突き出したこぶしに意識を重ねれば、ナナの持つ魔力が集束してゆく。そのまま操は、自分で土の陽理を制御し武器を生む。

 巨大な水晶の剣が現れ、それを握った操はノーヴェを一閃した。

 魔力で作られた刃が、ヒュン! と冷気を切り裂く。


「よし、戦える……ナナ、ありがとう!」

『なんか……なんかね、パパ。すっごい嬉しい! ありがとう、感謝の言葉……ママ以外に初めて言われた! ナナ、頭悪いから……うん、頑張るね!』


 操が扱える魔力は少ないし、威力も数も圧倒的にノーヴェに劣る。

 その証拠に、フェンリルと合一ごういつしたノーヴェはゆうゆうと操の攻撃を回避した。

 だが、操の精神力はレヴィールという最強の経験値を持つ魔法処女と共にあるのだ。少ない魔力をまし、一瞬の爆発力を放出する術がすでにある。

 それが、水量ではなく水圧で戦うということ。

 キャパシティが少ないゆえに、強力な重魂と違って魔力の繊細なコントロールが可能なのだ。


「ふむ、成る程……見たこともない程弱い重魂ですが、なかなかどうして」

「ノーヴェッ! できるなら戦いをやめてくれ。レヴィールだってナナだって、望んでいない!」

「私はシングルナンバーズ、帝国の魔法処女……皇帝の勅命ちょくめいこそが全て。それを守れなければ、欠陥兵器でしかない」

「人は兵器じゃない! 乙女の純潔は、戦いに賭けてはいけないとうといものだ!」

「……理解不能、ですね」


 距離を変え緩急をつけながら、連続で斬撃を浴びせる操。

 魔力で生まれた水晶の剣を、振るう一瞬にナナの象素を乗せる。切っ先の加速が極限に達する瞬間、ほとばしる大地の魔力が鋭さをまして衝撃波を生んだ。

 だが、踊るように避け続けていたノーヴェがピタリと止まる。

 彼女は爪が光る巨大な手で剣を受け止めた。

 まるで力を使った素振りはない……まるで小枝こえだつかむような軽やかさだ。


「氷狼フェンリルの力、この程度ならば。そしてナナ、覚悟はできていますね? ……フェンリルを元の世界に返すため……貴女は血塗ちまみれで裂けるまで、繰り返し何度も」

「ナナッ、ノーヴェの話を聞いちゃダメだ! そんなこと、僕がさせないっ!」

「巨大な神獣に犯された魔法処女は、枚挙にいとまがありません。なぜなら……勝利し続けてきた私は、そのおぞましい惨劇を見続けてきたのですから」


 一瞬、ノーヴェの目が寂しさにかげった。

 それは操には、雪解ゆきどけのような光に見えた。

 だが、次の瞬間……脳裏にナナの悲鳴を聴いて吹き飛ばされる。あっという間にノーヴェの強靭きょうじんあしが、操をくの字に曲げて吹き飛ばした。その力は、無数の結界で守られた肉体へと、強力なダメージとなって貫通したのだった。

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