魔法処女と童貞王

ながやん

第1話「プロローグ」

 勲操イサオシミサオは混乱していた。

 いつもと同じ日常、いつも通りの夕暮れ。

 いつにもましてまぶしい夕日、それだけは覚えている。

 その茜色カーマインの光よりも強い輝きに、包まれた。

 全てが溶け消えるような中で、自分の重さが一瞬消えた。

 そして今、見知らぬ土地にいる。

 目の前には、褐色の肌の少女が震えていた。周囲は草原、曇天どんてんの空には稲妻いなづまひらめく。冷たい風が吹く中で、生い茂る草葉が揺れていた。

 眼前の少女は、全裸だ。

 へたりこんで大事な場所を手と手で隠している。

 彼女の唇が開かれようとした、その時……背後から声が走った。


「ワシの勝ちじゃな……フン、今の時代の魔法処女ウォーメイデンは弱いのう?」


 操が振り向くと、そこには……女体を象る美があった。

 絶世の美少女という言葉で形容しきれぬ、冴え冴えとした美貌が笑みをたたえている。彼女も裸だが、優美な曲線と膨らみ、そしてくびれの輪郭を隠そうともしない。堂々と腰に手を当て、たわわな胸を張って立っている。

 彼女は再び、よく通る美しい声で言の葉をつむいだ。

 まばゆい銀髪は長く長く風に棚引き、大きな瞳は燃える紅玉ルビーのようだ。


「これだけ手加減してやっても、圧勝じゃ。では……覚悟せよ。古来より、魔法処女のことわりは一つ! 破瓜はか烈痛れっつうで、己の敗北を持ってきざめ! この瞬間より、うぬはただの無力な小娘じゃ」


 銀髪の少女は堂々と、操を指差す。

 操を視線で貫き、背後で今にも泣き出しそうなもう一人の少女を指して笑う。

 不遜で不敵な笑みは、獰猛で暴力的な程に美しい。

 だが、操が呆気あっけにとられていると、彼女は眉をひそめて身を乗り出した。


「なんじゃ、なにをしておる」

「え? ぼ、僕?」

「お主以外に誰がいるのじゃ。ほれ、はようせい」

「ほようせい、と言われても」


 操には訳がわからない。

 理解がおよばない。

 ついさっきまで、中学校から帰る路地だったのだ。いつも通り図書館に寄って、少し勉強して、本を借りて。そうして帰路につけば、燃えるような夕日が街を斜陽しゃようで照らしていた。そういう、いつも通りの日常にいた筈なのに。

 そのことを口に出してみたが、銀髪の少女はそっけない。


「あ、あの、僕……図書館の帰りに、そういえば光に」

「そうじゃ。ワシが召喚したからの。それで、ワシと一つになったじゃろ?」

「ひっ、一つに!? ま、待って……それは本当なの!?」

「なんじゃ、覚えておらんのか? あのたけり、たかぶり……最低レベルのクズとは思えんかったわ。お主、まだわからんのか? ワシが魔法処女の力を使うべく、重魂エンゲージャーとして呼び出したのじゃ」

「重魂……?」


 訳がわからない。

 それに、ここは何処どこだろう?

 そして、二人の少女……恐らく、勝者と敗者なのかもしれない。全裸の二人は、その態度がまるで違う。最初に見た少女は、翡翠色ジェイドグリーンの長い長い三つ編みだ。恥辱ちじょくに震えてうつむいているが、見た目に怪我などはなさそうだ。

 もう一人の少女……銀髪緋眼ぎんぱつひがんの肉付きがいい痩身そうしんは、王者の貫禄すらある。否、女王か女帝か。

 どうやら特殊で特別な、尋常ならざる事態に操は巻き込まれているらしい。

 だが……いや、だからこそ。

 そういう緊急時だからこそ、操は真っ先に確認せねばならない、とても大事なことがあった。それを迷わず銀髪の少女へと告げる。


「待って、事情はよくわからないけど。一つ、一つだけ確認させて欲しいんだ」

「なんじゃ? ええい、こっちは急いでいるというに……言うてみよ!」


 れたように苛立いらだつ少女に、操ははっきりと告げた。

 自分にとって、命よりも大事なことを。


「さっき、僕と一つになったと言ったね……本当?」

「そうじゃ。覚えておらなんだか」

「よく、わからない。なんだか、身体が熱くて、燃えるようで……でも、それって」

「魔法処女たるワシの力じゃ」

「そう……じゃあ、一つだけ教えてくれ、ええと……君は」

「レヴィール。ワシはあの有名な、シリアル・オーナイン……祖銀しろがねの魔女ことレヴィール・ファルトゥリムじゃ。どうじゃ! 驚いたじゃろ」

「全然。それより――」


 目を点にするレヴィールを前に、操は言い放つ。

 命よりも大事な、自分が全身全霊で守ってきたもののために。


「一つになったと言ってた……僕は、! 教えてくれ、レヴィール!」


 静寂、沈黙。

 風の音に遠雷だけが虚しく響く。

 まばたきをしたまま、レヴィールは固まってしまった。

 背後では呆気にとられた青髪の少女の気配。

 だが、操は大真面目だった。


「僕にとって貞操ていそうは、童貞はとても大事なものだ! 真に愛すべき生涯の伴侶はんりょ、心に決めた女性へとささげる聖なる純潔じゅんけつなんだ! だから」

「待て、待て待て待て! ええと、お主は」

「僕の名は勲操、操でいいよ」

「うむ、操……お主、その、童貞かや?」

「勿論! 当然だよ!」

「そ、そうか……で、これから、その――」

「僕は、心から愛し合える女性以外に、童貞を捧げるつもりはない!」


 レヴィールは、ぐらりとよろけて顔を片手でおおった。

 そして、ぷるぷると震えながら深呼吸をして自分を落ち着かせている。

 見目麗みめうるわしい玉の肌もあらわに、美少女が全裸で身悶えていたが、操に動揺はない。操は、女性の裸体ではなにも感じない。それは母親であれ姉であれ、見知らぬ美女であれ同じだ。

 心を通わせておらぬ相手には、義理は立ててもナニはてない。

 勲操には決意がある。

 童貞を守ること、そして本当に愛し合う女性に捧げること。

 それは絶対の誓いだった。

 だから、裸であれなんであれ、女性に劣情れつじょうを感じたことはない。彼がオスとして血潮を集めて熱く熱く己自身を強張こわばらせる時は、恋と愛との末の末、果ての果てなのだ。

 そのことを伝えたら、レヴィールは大きな溜息ためいきこぼした。


「……つまり、お主は、あれか。心底好いて将来を約束したおなごとしか……その、え、ええと……ゴニョゴニョせんということか」

「勿論だよ! 僕は愛のある子作りしかしないし、子をなさない子作りなどしない!」

「そ、そうかや、それは立派だのう……はぁ。ううむ、困ったのう」


 レヴィールは操を見て、その後ろの褐色の少女を見た。

 そして、大きな溜息を一つ。

 そのあとに彼女は、心底呆れたような声ではっきりと告げた。


「ここはアスティリアと呼ばれる、お主のいた場所とは位相いそうことにする世界。そして……お主、童貞を守ってると……一生、元の世界には帰れんのじゃが」

「構いません! 童貞より大事なものなんて……って、え? ええーっ!?」


 操は絶句し、レヴィールを見詰める。

 レヴィールは真顔で一度、大きく頷いた。

 嘘を言っているようには思えない。そして、徐々にだが先程の記憶が脳裏に蘇ってくる。このアスティリアと呼ばれる異世界にへと召喚された、あの瞬間を。そしてそのあと……レヴィールと一つになることで、自分がなにをやらされたかを。

 それは、童貞を守るゆえに始まる、長い長い旅路たびじの始まり。

 操は今、重魂として魔法処女に召喚された自分のことを思い出していた。

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