第29話「童貞の誓いを胸に」

 異世界アスティリアでも有数の軍事大国、アルシェレイド帝国。

 その王宮を今、ミサオは歩く。

 すでに疲労はピークに達し、全身がなまりのように重い。パートナーであるレヴィールに加えて、ミレーニャとも融合ユニゾンして戦ったからだ。本来、一人の魔法処女ウォーメイデンに対して、重魂エンゲージャーもまた一人。しかし、操はおのれの身に同時に二人の魔法処女を招いたのだ。

 足元が揺れてる気がして、視界がぼやける。

 だが、左右から二人の少女が支えてくれた。


「しっかりするのじゃ、操! ワシにつかまれ」

「操さんっ、あとはわたし達が……もうこれ以上は」

「言うでない、ミレーニャ。こやつは言って聞くようなタマではないのじゃ」

「そう、ですよね……そういうところに、レヴィール様は。わたし、は」


 周囲の衛兵や近衛このえの騎士は、満身創痍まんしんそういの三人を遠巻きに見るだけだ。

 当然だ……祖銀しろがねの魔女と呼ばれた零号の魔法処女シリアル・オーナイン、レヴィールはこの世界で最強の力を持っている。のみならず、魔法処女としてレベルの低いミレーニャでさえ、その気になればこの場の人間を一瞬で殲滅せんめつできるのだ。


 ――


 それは、この世界のことわり、そして摂理せつり

 国家間のあらゆる諸問題を解決する、犠牲を最小限に凝縮した戦争の使徒にして信徒だ。

 魔法処女は、二次性徴を迎える前後の女性が選ばれる。この世界では、純潔を守る乙女だけが、魔法の力を振るえるのだ。そして、特別に魔法適正の高い個体は、大人になることすら許されず、母になる未来を捨てねばならない。

 国歌の兵器として封印凍結され、戦争のたびに覚醒させられる。

 平時は勿論もちろん、戦時中でさえいままわしい殺戮兵器として恐れられる。

 そんな魔法処女達を、操は救いたいのだ。


「僕は……嫌、なんだ。レヴィール、そしてミレーニャさん……僕は、嫌だ。女性を、魔法が使える、からと、いって……兵器として扱うのは、間違いだと、思う」


 朦朧もうろうとする意識の中で、操のつぶやきがざわめきを広げてゆく。

 槍を構える衛兵達も、今ならばと気色けしきばんでいた。

 だが、そんな周囲をレヴィールが鋭い眼光で凍らせる。

 瀕死に等しい操は今、危険な火薬庫に繋がる導火線だ。自分の死という炎がともれば、たちまちレヴィールに引火するだろう。正気を失い怒り狂う彼女は、ミレーニャでも止められない。

 瞬時に、栄華を極めたアルシェレイド帝国は消滅する。

 地図から抹消され、歴史書の中にだけ記録される過去へと消えるのだ。


「あっ、操さんっ! し、しっかりしてください!」

「操っ! もういい、もう無理じゃ。ワシはもう、満足しておる。もう、おぬしが苦しむのは見とうない……許せ、ワシは弱い女じゃ」


 とうとう操は、玉座の間に続く回廊の中央で倒れた。

 すぐに抱き起こしてくれたミレーニャが、その胸に抱いてくれる。

 心配そうにほおに触れてくるレヴィールの目は、普段は見せぬうるおいにれていた。

 三人が立ち止まった、その瞬間を見極めて騎士達が剣を抜く。同時に、衛兵達が槍の鋭い穂先ほさきを向けてきた。包囲の中央で殺意と敵意に囲まれながらも、操は動くことができない。

 すでにもう、レヴィールとミレーニャ、二人が発する言葉の輪郭りんかくさせ定かではない。

 声がただの音になる、そういう疲労の極地にあった。

 だが、脳裏になつかしい声音が波紋を広げる。


『操、いい? これは、お母さんからのお願い……』


 とても優しくて、いとしい柔らかな声。

 身動き出来ずに倒れた操は今、遠き日に別れを告げた母と再会していた。

 それは恐らく、母のいる場所へ近付いているからだろう。

 だが、同じ天国には行けそうもない。


「かあ、さん……?」

「むっ、これ! 馬鹿を申せ、操! ミレーニャはお主の母ではない! 女の胸に抱かれて、言うことがそれかや!」

「あ、あの、レヴィール様……ぶたないで、あげてください。グーで、ぶたないで」


 ポカポカと叩いてくる声が泣いていた。

 この世界で最強の魔法処女が、操のために泣いてくれていた。

 同時に、自分を迎えて取り込むように母の言葉が響く。


『この願いはかなわない……叶わなくてもいいの。私のたった一つの望み。祈りのようなもの。それでも、操』


 母は、不幸な女性だったと思う。

 だが、そんな母から操は学んだのだ。

 人の幸せは全て、その人が、本人が決める。

 ただ子供を生むだけの存在、ゼロサムゲームのトロフィーである以上に意義を見出してもらえなかった母。父は母を、徹底して人脈や策略のために酷使こくしし、子を産ませておいて全く干渉してこなかった。

 そういう人をしかし、母は愛していた。

 だから、操が生まれて、育ったのだ。


『もしあなたが、自分と一緒に他者を気遣きづかえるなら……その余裕があるのなら。女の子を、守ってあげてね。八方美人はっぽうびじんでも、二股三股すけこましでもいい。女の子に笑顔を咲かせて。大切に思う人を決して、泣かせないで』


 ああ、僕は駄目だな……操はぼんやりとそう思った。

 マザコンという訳ではないが、自分を育てることに母は全てを使ってしまった。そして、使い果たしてしまった。まるで、操を産んで育てるだけの機械のように、動かなくなってしまった。

 だが、母は父の野望のための手段ではない。

 操には、いつでも優しくて頼もしい、最愛の家族だったのだ。

 母の願いは祈りとなって、操の中に今も生きている。

 それを呪いと言うのなら、呪われてでも生きて探したい。

 母が命と共に失くした、女の子としての全ての笑顔を。


「……ああ、僕は……駄目、だな……ごめん、レヴィール。ミレーニャ、さんも」


 あのレヴィールが、目の前で泣いていた。

 彼女の涙を見ても、指一本動かせない。

 彼女の涙を常に振り払う、その涙が乾くまで抱き締める。そう誓ったのに。ミレーニャもそうだし、レヴィールの家族であるナナ、そしてシングルナンバーズの少女達もそう。

 むしろ、魔法処女として作り変えられ、管理される全ての乙女がそうだ。

 女の子を、守りたい……幸せにしたい。

 そのためにいつからか、

 次第に全身の感覚が失せる中、消えゆく思惟しいが声を聴く。


「どうした? 魔法処女達の希望を名乗る不敬者、たしか……そう、確か勲操イサオシミサオ。そこで終わりか? 私は……私は、ここだ」


 声のする方を、なんとか操は見上げる。

 揺れてかすむ視界に、一人の少女が立っていた。

 剣を片手に、護衛の者を下がらせるその姿……威風堂々、彼女こそがこのアルシュレイド帝国の女皇帝、キルシュレイラだ。

 臨月を迎えた腹に片手をあげて、妊婦の少女が操を待っていた。


「おのが信念、もはや捨て置けぬ。私もこの国を統べる女帝、なれば話を聞かぬでもない。だが……それはお主が、自らの力で我が前に立った時だけ」


 威厳に満ちて、りんとして響く声。

 すぐにレヴィールが叫んだが、キルシュレイラは揺るがなかった。


「キルシュレイラ! ワシの力は知っておろう! お主が息を吸って吐く前に、ワシは跡形もなくお主を焼き尽くせよう!」

「ですが、貴女あなたはそうしない。……できないはずです、我が師レヴィール」

「ぐっ!」

「私とて、皇族である前に一人の女……ただ一人の魔法処女だった時期もあります。子をはらんで力は失ったものの、魔法処女として戦った誇りは忘れはしない!」


 カツン! と床に剣を突き立て、キルシュレイラは再び操をにらんだ。

 それで操も、ミレーニャの抱擁ほうようをやんわり遠ざける。

 どうにか一人の力で立ち上がると、よろけながらも歩を進める。


「キルシュレイラ、陛下……お願いが、あり、ます……」

「許す、もうしてみよ」

「凍結されて、いる、魔法処女、を……全員、解放、して、くださ――」

「それはできぬ。お主も理解しておろう? 我がアルシュレイドが魔法処女を全て手放せば、たちどころに他国に侵略されよう。それも、一騎当千の魔法処女の軍団に」

「そうは、させませ、ん、から……」

「これはしたり……お主になにができる? 魔法処女の重魂でしかないお主が! まして、敗北者を犯して己の世界に帰ることすらできぬ、重魂の出来損できそこないのお主に、なにが!」


 正論だ。

 だが、ただ正しいだけの言葉でしかない。

 そして、正しさは常に誰をも救う訳ではない。

 誰もが正しいと信じて、この世界に狂気の法を生み出した。そして、そのいびつ縛鎖ばくさで己自信をしばってきたのだ。

 戦争の犠牲をなくすために、魔法処女だけを犠牲にして戦争を続ける。

 この世界のありかたそのものが、操が戦う敵なのだ。


「僕は……これからも、魔法処女を、助け続けます。救い、続けるんだ」

「そうか……ならば私も、この帝国を守り続ける。鬼と言われようが、一握りの魔法処女を道具としてあつかい、兵器として従え民を守る!」

「なら、やはり……魔法処女を、全て、解放、して」

「くどい! ならぬ……最強の戦力を失くして、誰がこの国を守るのだ!」

「それは……僕が! 僕達が、守るっ!」


 それだけ言って、操は再度倒れた。

 だが、荒げた息をつむいで繋ぎ、声を限りに想いを叫ぶ。


「僕は、戦う魔法処女とだけ、戦う! どこかを攻める魔法処女がいれば、そのと戦う! でも、殺さないし犯さない……僕は元の世界に、帰らない。大事な童貞は守るし、魔法処女ごと、彼女達が守っていたものを守り続ける!」

「ば、馬鹿な……そんなことが可能な筈が、うっ! くっ、うう……そうか。フッ、そうなのか。ぐっ!」


 突然、腹を抑えてキルシュレイラがその場にひざをついた。

 だが、彼女は駆け寄る臣下を手で制して、操を見詰めてくる。どうやら産気づいたようで、その顔には苦悶くもんの汗がにじんでいた。

 迷わず操は強く頷き、自分の言葉を未来の約束として確約する。

 次の瞬間、彼はその場に動けなくなって、意識を失った。

 どこか遠くに、赤子が泣き叫ぶ声を聴いたような気がした。

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