クリーニングでお困りですか?(旧題:みさきクリーニングで会いましょう。)

浅名ゆうな

第一章

第1話 謎のお客様

 ―出会いは、物語の始まりだと思う。


 みさきがフリーターになって早二年。現在、実家が営むクリーニング店、『みさきクリーニング』を手伝いながら生活している。

 業務にも慣れたもので、品物を見ればその人のパーソナルな部分や性格も、何となく分かるようになっていた。

『この人は営業だけど、スーツの裏地がスレと毛玉だらけで上っ面だけ整えてる』、『この人は自分の高そうな服ばかり出すからおそらく独身』、等々。そんな中、どうしても何も見えてこない人がいた。


 カラン カラン


 店の扉に付けられたベルが、軽やかな音を立てる。

「いらっしゃいませ」

 入店したのは、現実離れした美女。

 すらりと長い手足で、身長は175㎝を越えているかもしれない。バレーボール選手のように長身だ。

 栗色の腰まで届く艶やかな髪に、白いワンピースとカーディガンという清楚な雰囲気。小さな顔に、凛と涼やかな目元、スッと通った鼻梁、薄く形のいい唇が神の配剤のごとく並んでいる。長い睫毛に秘された、吸い込まれそうに澄んだ黒瞳に見つめられれば、同性のみさきでさえも言葉に詰まった。

 ブランドにこだわるわけではないようだが、いつも仕立てのいい服を着ている。間違っても、みさきのようにデパートのワゴンセールで買った服なんて着ないだろう。

 今日彼女が持ち込んだのは、スーツの上下とネクタイが一点ずつ。夫のスーツを妻が持ち込むのは普通のことなので、初めは既婚者だと思っていたが、彼女の薬指には指輪がなかった。

 指輪を付けない主義ということもあり得るが、果たしてこれほどの美人を、指輪も着けずに外出させるだろうか。みさきが夫だったら不安で仕事も手に付かなくなる。

 高そうな服を着ているから、経済的な理由で指輪が買えないわけではない。

 来店時間が平日の昼間だったり、夕方だったりまちまちなことから考えても、勤め人という感じではなさそうだ。ならば、職業的な理由で外している、という線もなくなる。

 みさきの推理では、やはり独身という結論に行き着くのだ。

 ――同棲してる恋人のスーツを出しに来てる?それとも父親?いや、デザインが若いから、父親の線は薄いな。

 推理に熱が入ってきた所で、美女が優雅に小首を傾げた。

「あの……?」

「あっ、大変申し訳ございません!えぇと、橘様ですよね。いつもありがとうございます」

 のめり込みすぎて対応を疎かにしていたみさきは、慌ててスーツの洗濯表示を確認する。次いでポケットに何か入っていないかを感触で確かめ、問題なければ畳んで専用のネットに入れていく。その際シミなどの汚れ、ボタンの有無、ほつれや傷、穴は開いていないかを素早く検品する。

 仕上がって来た品物に『こんな傷は元々なかった』などと文句を付けられるのはよくあることなので、あらかじめお客様に確認を取るための大切な作業だ。

 クリーニング業界のクレームは、職業別に見てもワースト一位。こういった確認マニュアルが普及してきたため減ってきてはいるものの、やはり不動の第一位なのだ。

「こちら、スーツセットとネクタイが一点ずつですね」

 点数確認も忘れない。とにかく不備を徹底的に排除することが、クリーニング受付の使命と言っても過言ではない。

 とはいえ謎の美女⋅橘千尋様は、今までクレームを付けてきたことのない善良なお客様。今回も仕立てのいいスーツには綻び一つなく、クリーニングの必要性を感じないほど綺麗だ。後はこちらが丁寧に仕事をすればいいだけである。

「お仕上がりのご希望日はございますか?」

「できれば、水曜日までに受け取りたいのですが」

「かしこまりました。では、火曜日に仕上がるようにしておきますね」

「ありがとうございます」

 会計を済ませ、女性が店を出ていく。

 ベルの音と共に、みさきは溜めていた息を吐き出した。あれだけの美女だと優しげな容貌でも緊張してしまう。

 クリーニング店にいると様々なお客様に出会う。人間観察は楽しいのだが、あの美女だけはどうしても、私生活が見えてこない。みさきの目下の目標は、彼女が何者であるかを推理することだった。

「お母さん、橘さんだったよ~」

 店舗の裏の小さな作業スペースにいる母に話しかける。

『みさきクリーニング』は、女手一つでみさきを育てた母⋅結子が店長である。とはいえここは品物を預かるだけで、洗濯物は業者が集荷し工場へ持っていく。いわゆる取次店というやつだ。

 ここで必要な仕事は受付と検品、洗濯タグを付けて出荷すること。工場から戻ってきた洗濯物を再び検品し、無事お客様に引き渡すことだ。

 たった今受け取ったスーツ一式を取り出し、みさきはほう、と息を吐いた。

「橘千尋様って、本当に美人だよね。何食べたらあんな綺麗になれるんだろ」

「遺伝子レベルで違う生き物に憧れないの」

「それ、お母さんにもダメージ返ってくるヤツだからね」

「私はあんたと違って未だにモテてるから、ダメージなんてないわよ~」

 みさきと母は、よく見ると顔立ちが似ている。だがよく見なければ分からない程、雰囲気に差があった。若い頃はかなり言い寄られたという結子に対し、悲しいくらい恋愛経験が乏しいみさき。人目を惹き付ける華やかさは、残念ながら遺伝しなかったようだ。

 悲しい現実に打ちひしがれながらも、手は動かす。ポケットの中を改めて確認し、洗濯タグを業務用の頑丈なホチキスで止めていく。

「緊張しちゃっていつもしゃべれないけど、今度来た時は日常会話くらいしたいなぁ。もっと情報を引き出さないと、いつまで経っても正体不明だよ」

 清廉な雰囲気がどうしても話しかけづらく、未だ業務以外の会話を交わしたことがなかった。親しい常連客にはほど遠い。

「さっさと聞いちゃえばいいじゃない。なんのお仕事なさってるんですか~って」

 みさきの目標を知っている結子が、呆れたように肩をすくめる。

「もう、つまんないこと言わないでよ。推理するのが楽しいんじゃん。これも推理作家になるための勉強なんです~」

「あんたみたいなそそっかしい子が推理作家なんてムリムリ。ま、私は店番任せられるから何でもいいけど」

 高校卒業後、みさきはかねてからの憧れだった推理作家という夢を叶えるため、就職も進学も選ばずフリーターとなった。簡単に叶うものではないが、目標に向かって日々邁進し続けている。

 だが生活費を払うかわりに店を手伝えと持ち掛けられれば、脛をかじる身としては頷く他ない。ちょっとした手伝いくらいしかしたことのなかったみさきが、今ではすっかり店番扱いだ。クリーニング店は暇な時間が多いため、合間に物語の構想を進めることができて文句はないのだが。

「とにかく!お母さんも絶対職業とか聞かないでよね!この事件、私が解決するんだから!」

「事件なんて起きてないでしょうが。推理作家になりたいなんて言うけど、あんたってたまに、ただカッコよく謎解きしたいだけに見えるよ」

「う」

 お母様の的確で華麗なツッコミが、今日もみさきの胸を抉るのであった。

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