第11話 噛み合わない
翌日、受付交代のための引き継ぎ中、来客があった。結子が素早く店舗に出ていく。
覗き窓から様子を窺うと、ネイビーのジャケットにチェックのシャツ、オリーブグリーンのスラックスを合わせた岡英一様の姿があった。
――あれ?昨日礼服を出したばっかりなのに、また何か持って来たのかな?
岡様は今日もスラックスを出している。母がにこやかに対応しているが、なんだか機嫌がよくないようだ。眉間にシワを寄せ、必要最低限しか口を開かない。眼鏡の奥の眼光に萎縮してしまいそうだが、あれが本来の彼のイメージだった。
岡様を見送ると、母は大きなため息をついた。
「ちょっと~、話が全然違うじゃないの~」
「ごめ~ん。おっかしいなぁ。ホントに昨日はあんな感じじゃなかったんだよ」
「というか、昨日来たのになんで今日も来たのよ。一回で済ませちゃえばいいじゃない」
結子は肩を落としながら、作業台にスラックスを置いた。
「そういえば、なんだか最近ちょこちょこ来るわね、岡様。前は一ヶ月に二、三度くらいの頻度じゃなかった?」
「しかも一度に出せばいいのに、なんで少しずつ持って来るんだろうね」
岡様の不思議な行動は、ちょっとした謎だ。みさきはつい彼の意図を推理してしまう。
「何か目的でもあるのかな?もしかして岡様までお母さん狙い?」
クリーニングをこまめに持ち込むのは、会うための口実なのかもしれない。
左手の薬指に既婚者の印があるし、娘もいるらしいからよくないが、想うだけなら自由なのだろうか。
披露した推理を聞くと、結子は半眼になった。
「岡様までって何よ」
もちろん例のあの人のことだ。何もかも分かっているというふうに、みさきは慈悲深い笑みを浮かべた。
「やだなぁ。分かってるくせに」
「こっちはあんたの頭の中を理解したくないのよ」
ぺちんと頭を叩かれ、くだらない会話は打ち切られた。
だが、話はそれで終わらなかったのだ。
◇ ◆ ◇
五日後、閉店間近の時間に千尋がやって来た。今日の彼はパステルイエローの花柄スカートにブルーグレーのブラウスを合わせている。袖の透かしレースから肌が僅かに露出していて、とても涼しげだ。
「こんばんは」
「こんばんは。久しぶりだね」
千尋は綺麗に微笑んだ。少し心配していたが、いつも通りの会話に安心する。この人とは気まずくなりたくない。
「まだ母は帰ってないんですけど、よかったらうちに上がっていてください」
みさきはまだ店番を続けなければいけない。住居スペースへと促すが、千尋は首を振った。
「誰もいない家に上がり込むのはさすがに悪いよ。君のお母さんが帰ってくるまで、一緒にいてもいい?」
「それは構いませんが、仕事があるから特にお構いもできませんよ?」
「いいよ。見ているから」
見ていても楽しいことは一つもないのだが。クリーニングの業務に興味があるのだろうか。だがタグ付けはもう終わっているので、備品の補充をしたり、連絡ノートに必要事項を書き込んだりなどの、クリーニング店でなくても日々行うような雑務しか残っていない。
――それに、見られてるとなんか緊張しちゃうし……。
何を言えばいいのか分からず返答に迷っていると、来客があった。
「いらっしゃいませ」
みさきは逃げるようにカウンターへ向かった。するとそこには、岡英一様の姿があった。グレーのジャケットにストライプのシャツ、スラックスと、いつも通り彼の生真面目さが如実に表れている服装だ。手ぶらで来たようなので、おそらく引き取りのみだろう。
「いらっしゃいませ、岡様」
返事はせず、岡様がおもむろにポケットから取り出したのは、二枚の引き換え券だった。確認すると、両方スラックスのものだ。
――あれ?礼服はいいのかな?
結婚式が近付いていると言っていたのに、まだ引き取らなくて大丈夫なのだろうか。引き換え券を忘れて来店してしまったのか。
「ではこちら、スラックスが二点ですね。ただいまお持ちいたしますので、少々お待ちください」
もう礼服は受け取ったのか、と確認したいが、今日の彼は打って変わって話しかけづらい雰囲気だ。どうしたものかと考えながら、保管場所から岡様のスラックスを選び取る。通し番号をもう一度確認する。
「岡様、お待たせいたしました。お品物はこちらでよろしいでしょうか」
念のため本人にも確認をしてもらう。やはり頷くだけで口は開かない。
――どうしよう。礼服のこと忘れてませんか?はさすがに失礼すぎるし……。
穏やかな方が相手ならまだしも、岡様は早く寄越せと言わんばかりの空気を醸し出している。
みさきは必死で頭を働かせながら、スラックスを差し出した。その際、何気ない会話を装って質問する。
「あの、お嬢様の結婚式は、いつ頃なんですか?」
これで礼服の存在を思い出してくれれば、と思った。精一杯考えた末に弾き出された、角が立たない聞き方。
だが以前のように、岡様の表情が和らぐことはなかった。
「結婚式?」
「はい。あの、先日、」
「そもそも私に娘などいないが」
「え?」
「他の方と間違えているんじゃないですか。では、失礼」
さっさとスラックスを受け取った岡様は、さっさと決め付けさっさと出ていってしまった。後に残されたのは、茫然自失のみさきだけ。
なぜ、会話が噛み合わなかったのだろう。
礼服を出した時、あんなに嬉しそうに話していたのに。向こうが嘘をついた可能性もあるが、ただのクリーニング店員相手にそんな必要どこにもない。
「……………なんで」
「どうかしたの?」
独り言に応える声があって、みさきは肩を揺らした。休憩スペースから千尋が顔を覗かせている。一瞬、彼の存在を忘れ去っていた。
「あ、あの、今の方、以前礼服を持って来たんです。娘さんの結婚式があるって。なのに今日になって、娘はいないって言われて……」
混乱したまま説明するも、みさきの驚きは少しも伝わらなかった。千尋は当然のように頷く。
「聞いた通り、そのままの意味なんじゃないかな」
「………え?」
言葉の意味が理解できなくて、再び頭が真っ白になる。千尋を見つめたまま機能を停止させたみさきに、彼は目を瞬かせた。
「え?分からないの?」
「えぇ?ってことは、分かるんですか?」
聞き返しながら、これは以前と全く同じパターンだと気付いた。田之倉様からスーツを妻に渡すなと連絡があった時と。
当事者であるはずなのにみさきだけが何も分からず、千尋は超越者然として微笑んでいる。推理作家を目指す身としては悔しい。
「橘さん、なにが分かったんで―――」
「ただいま~!」
底抜けに明るい声が話の腰を折った。元気よく帰ってきた母は、みさきと千尋に大きなレジ袋を掲げて見せた。
「じゃ~ん!今日は焼き肉よ!」
「え。この暑い日に?」
岡様のことは気になったままだが、結子のあまりに能天気な様子に応えてしまった。
今日は雨が降らなかったため、湿度が高く蒸し暑い。どちらかと言えばさっぱりした物を食べたい気分だ。というか、次の食事会は唐揚げを作ると言っておいたのに。絶対急に食べたくなったに違いない。
「暑いからこそ焼き肉がおいしいんじゃない!千尋君、久しぶり~」
「お邪魔しています。よかったらお持ちしますよ」
微笑み返した千尋が、さりげなく荷物を預かった。
「あら、ありがとう。千尋君もたくさんお肉食べて行ってね!」
「ありがとうございます。ご馳走になります」
母と千尋が連れ立っていく。母は着替えてくるのだろう。
話がすっかりうやむやになってしまったが仕方ない。もっとじっくり考えてみよう。
決意を固めていると、千尋が戸口で振り返った。
「後で話そうね」
その台詞の意味を汲み、みさきは目を丸くした。
「え?教えてくれるんですか?」
前回は自分で考えろと丸投げされた。どういう心境の変化だろう。
間抜けな顔をするみさきに、千尋は悠然と微笑んだ。
「うん、ヒントくらいはあげるよ」
「あ。やっぱり結局は自力なんですね」
これくらいで腹が立たない程度には、千尋の考えが読めるようになっていた。
消えていく背中を見送りながら、親しくなったものだな、と感慨にふけった。
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