第23話 根本的なこと
どこをどう運転したのか分からないまま、みさきはいつの間にか家に戻っていた。慌てて振り返ると、後部座席には数軒分の預かった洗濯物。よかった。意識はなくても何とか仕事をしていたらしい。
運転技術に不安があったが、特に問題なく戻れたということは、気負わず運転した方が上手くいくという証明なのか。いや、考え事をしながらの運転はやはり危険だ。今後は気を付けよう。
混乱と現実逃避で、思考が脇道にそれるのを止められない。目の前が真っ暗だった。
「おかえり~。お疲れさま、どうだった?」
休憩スペースの椅子に座ったまま、母が能天気に出迎える。だがみさきの顔色を見た途端、さっと表情を改めた。
「どうしたの。何かトラブルあった?」
真剣な口調で問われ、首を振った。仕事に問題がなかったことは、どうにか伝えなければ。
「大丈夫。配達は無事。……ちょっと、衝撃的なことを思い知らされただけ」
「出先でなにかあったってこと?」
集荷した洗濯ネットを全て運び終えると、みさきはがっくり項垂れた。
「私、考えてもみなかった。自分のアホさ加減に呆れちゃって」
「なに。なにがあったの?」
仕事は関係なくとも、娘のただ事ならぬ様子に結子の顔も再び強ばる。母と目を合わせ、みさきは力なく呟いた。
「考えてもみなかったの。千尋さんが……………ゲイかもしれないなんて」
……しばらく、時が止まった。
娘の世迷い言に、結子は頭を抱えた。
「……あんたはまた何を言い出したの」
「よく考えれば、その手の話をちゃんとしたことなかったんだよね。もっと早く確かめておけばよかった」
男性が女装をしている理由は様々あろうが、最も可能性が高いのは、『男性を恋愛対象にしている』だろう。そのことになぜ今まで思い至らなかったのか。
千尋が誰を好きでも関係ないと思っていた。誰を好きでもみさきの気持ちは自由だし、どれだけ見込みがなくても振り向いてもらうための努力だけはしようと。
でももし男性しか愛せないのだとしたら、根本的な問題だ。可能性はゼロになる。
「もし千尋さんがゲイだとしたら、本当に私の気持ちなんてただ迷惑なだけなんだなって、気付いちゃって」
「ゲ、ゲイじゃないよ。そんな素振り見せたことなかったでしょ」
「でも、ゲイじゃないって断言もできないでしょ?」
千尋の想う相手を察している結子としては『断言できる!』と言い返したい所だったが、なぜ分かるのかと追及されれば困ってしまう。下手をすると『そんなに以心伝心ってことは、やっぱり二人って……』なんて誤解を再燃させかねない。
「ゲイじゃなく、バイかもしれないじゃない!」
「バイか……バイなら私にも、チャンスはあるのかなぁ……でもネコだったら、」
「タチかもしれないじゃない!」
力強く叫んだ母はハッとした。落ち込む娘を励ましたい一心で、かなりおかしな会話になっている。結子は眉間の皺をほぐしながら、一旦話を整理しようと思った。
「……とりあえず、なにがあったの?」
みさきは俯いたまま答えた。
「千尋さん、男の人と歩いてた。多分恋人だと思う」
「なんで決め付けるのよ。友達の方があり得るでしょうが」
「そうじゃないと説明つかないくらい仲がよさそうだったの!……それに、スゴくお似合いだった」
一気にしぼんでいく声に、結子は嘆息した。
「あんた、そっちが本音でしょ」
みさきの肩がピクリと動く。
「自分に自信がないから、恋人だって決め付けたいんでしょ。自分が隣にいたらどう見えるのか、怖くなったのよ」
みさきが恋に臆病なのは知っている。高校生の頃に辛い恋をしたせいで、驚く程自分に自信がないことも。でもいつまでも縮こまったままではいられない。前に進むと決めたなら、みさき自身が変わらなくては。
「自信が持てないなら、並び立てるよう努力するのよ。自信が持てるようになるまで自分を磨くの」
俯いていたみさきが、顔を上げる。怯えを含んだ暗い目に、僅かに光が灯った。
みさきだって、変わらなければいけないと気付いていた。過去を完全な思い出にして、決別しなければと。今自分の思いから逃げるのは、引きずっているという何よりの証拠だ。
怯みながらもしっかり見返したみさきに、結子は満足そうに微笑んだ。
「じゃあしばらくは、配達業務に専念しなさい」
みさきは瞬きも忘れて母を見つめた。話題の急な展開についていけない。
「………なんでそうなるの」
「外見を磨くことも大事だけど、中身もとっても重要だからよ!だから、配達をガンバりなさい!」
『だから』の意味が分からない。
「よし!納得したなら反省会をしましょう!」
「納得してないんだけど」
「今日の配達をした感想、改善点、気付いたことがあればどんどんお願いします!」
何を言っても無駄だと気付いたみさきは、ため息一つで頭を仕事に切り替えた。
「う~ん、碓氷様のお宅に伺う時、駐車に困ったかな。駐車スペースがないから、家の前に縦列駐車しなくちゃいけないでしょ?あそこの側溝、蓋がないから怖くて」
怖がるあまり端まで車を寄せられなかった。狭い道なので通行の迷惑になってしまうからと、あまり長居もできなかった。渋澤様と同じく訪問を楽しみにしていたのだとしたら、悪いことをしてしまったと思っている。
「なるほどね……。一、二回ならともかく、一ヶ月になるかもしれないならマズイわね。碓氷様の家の隣に、ドラッグストアがあるでしょ?あそこの店長はうちの顧客だから、融通がきくかもしれないわ。駐車場が広いし、平日昼間の一時間くらいなら停めさせてもらえるかも。後で連絡してみるわ」
結子は思案げに何度か頷いた。みさきはそれでも懸念がなくならなかった。
「でもあそこ、水曜日と土曜日はポイント3倍デーで、駐車場が一杯になるくらい混むよね。そういう日はさすがにムリじゃない?」
「そっか、そうだったわね。……平日の中でも水曜日は碓氷様の家に回らなくてもいいようにするか。碓氷様にも連絡しておくわ」
「ごめんね。私が運転下手なせいで」
「なに言ってんのよ、そんなこと気にしないの」
その後も洗濯代行サービスについて二人は熱心に語り合った。話に夢中になりすぎていたのか、受付にお客様がいることに気付かなかった。
「あの……」
店舗側から聞こえた声に、みさきと結子は顔を見合わせて目を丸くした。
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