第24話 新しい顧客

 ドアに付いたベルは、物凄く慎重に開ければ高い音を響かせない。どうやらお客様は相当ゆっくり扉を開いたらしく、親子共々入店に気付けなかった。

 足が不自由な結子に代わり、みさきは急いでカウンターに立った。

 初めて見るお客様だった。

 二十代後半だろう、みさきより少し大きいくらいの小柄な男性。肩幅が広くがっしりしている。鼻が大きく眉毛が太く、顎がしっかりした男らしい人だった。

 ラグビーでもやっていそうな外見で、ゆっくり慎重にドアを開けたのかと思うとちょっと意外だ。

「いらっしゃいませ。お待たせしてすいません、お客様」

「すいません……声をかけようかと思ったんですけど、お話し中のようだったので」

 話し方もとても穏やかで丁寧で、みさきの方が恐縮してしまう。

「とんでもございません。クリーニングですか?」

 男性が持っているパンパンに膨らんだビニール袋に視線を移した。

「あ、そうなんです。これ、お願いします」

「ありがとうございます。お客様は、当店初めてでいらっしゃいますか?」

「はい」

「本日は当店をお選びくださってありがとうございます。では、まずこちらにご記入いただいてよろしいでしょうか」

 お客様の名前や住所、電話番号を記入する用紙をカウンターに広げた。

 これを雑に書く者もいるが、男性はとても丁寧に記入していく。生真面目な性格の彼が井上陽一という名前だと分かった。書いてる最中、井上様は窺うように視線を上げた。

「あの、先ほどのお話を聞いてしまったんですけど……クリーニングの配達もやってるんですか?」

 何の話だったか理解できるということは、休憩スペースでの反省会をかなり長く聞いていたということだ。もしかしたら興味が引かれたのかもしれない。新規顧客を得るチャンスとばかり、みさきはより一層笑顔を輝かせて説明した。

「はい。洗濯代行とクリーニングの宅配を行っております。洗濯代行の方は、ドライマークの洋服でなければ何でも洗濯いたします。ワイシャツもプレスしてお返しいたしますので大変便利ですよ。こちらの用紙の裏に詳しい料金が書いてあります」

 言いながら、洗濯代行サービスのパンフレットと料金表を提示した。

 井上様が持ち込んだのがスーツだったので、ワイシャツの洗濯に心が動くだろうと踏んでいたのだが、予想外の返答があった。

「あの、洗濯代行ではなく、クリーニングの配達のお話が聞きたいんですが」

 みさきは数度目を瞬かせたが、すぐに笑顔で答えた。

「失礼いたしました、配達ですね。配達は業務の一貫というより、外出が大変な方のために始めたサービスなんです。車の運転ができない方やお年寄りのために、一回百円で配達させていただいております。一応、お住まいがこの近所の方に限定されてしまいますが」

 洗濯代行ならともかく、若い男性でクリーニングの配達を頼むのは珍しい。見た所体に不自由はなさそうだし、一体どんな理由があるのだろうか。

 気になるが、お客様の事情を根掘り葉掘り聞くわけにはいかない。話してもらえないなら推理してみるだけのこと。

 ――配達は、出した衣類を取りに行くのが大変だっていうお客様が利用する。家を出るのが一苦労だったり、大荷物を持って帰るのが億劫だったりで。でもこの人は、まだそんな年じゃない。

 外出が大変、ではなく、外出したくない、という理由ならどうだろう。家をあまり留守にできない事情があるとか。

 ――郵便物が届く、とかだと家にいる理由になるけど、引き取りはいつでも構わないんだから問題ないよなぁ。毎日郵便物が届くっていうんなら外出は大変だろうけど。家を空けられない職業、とか?

 例えばデイトレーダーのように、株の値動きをつぶさにチェックする必要があってパソコン画面から目が離せない、というのはどうか。

 ――でも最近は、タブレットとかの端末さえあれば外出先でも確認できちゃうだろうしなぁ。

 考え込んでいると、同じように黙考していた井上様が口を開いた。

「それは、僕でもお願いできますか?」

「はい。お住まいがご近所でしたら大丈夫ですよ」

 先ほど記入してもらった住所を見ると、ごく近所のアパートかマンションに住んでいるようだった。

「ではこのスーツ、仕上がったら配達をお願いしてもいいですか?」

 一人推理で盛り上がっていたら、いつの間にか新規顧客をゲットしていた。みさきは内心ガッツポーズをしながら微笑んだ。

「かしこまりました。仕上がりのご希望日はございますか?」

「できれば、今週の土曜日までに届けてもらいたいです」

「土曜日ですね。お時間の指定はございますか?」

「事前に連絡いただければ、いつでも結構です」

 必要事項の確認を終えて会計を済ませると、井上様は足早に去っていった。どこか急いでいるようだった。

 スーツを作業台に運び、記入用紙を結子に渡す。

「ごめん、ファイルに入れといて~」

「オッケー」

 受け取った結子は、紙面を覗き込んだ。

「井上陽一様ね。……あ。この住所、多分駅近のコンビニの正面にある、あの古いアパートだわ。確か見た目の割に『グランドオーラ』とかいうスゴいアパート名だった気がする」

「あ~。あの、うちよりボロい」

 母の言葉で、築年数は一体いくつなんだと聞いてみたくなるほど古いアパートがイメージを結んだ。

 壁は黒ずんでひび割れ、屋根の塗装もすっかり剥げ落ちていた覚えがある。『ナントカ荘』という名称がしっくりくるような外観だった。

「あんな所に住んでそうには見えなかったけどな。普通に綺麗な服着てたし、このスーツも仕立てがよさそう」

 ネイビーのスーツは毛玉もスレもない。使い込んでくたびれた様子もなかった。

 首を傾げながら検品するみさきに、母が笑った。

「そんなことより、配達先が増えちゃったわね」

「……そうだった。うぅ、もう一度ルートを練り直さないと」

 せっかく道幅があって比較的運転しやすい道を計算していたのに。

 ペーパードライバーのみさきには井上様のちょっとした不思議よりも重要なことで、先ほどまでの疑問はすぐさま頭の隅に追いやられていった。

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