第5話 奇妙なお茶会

 店舗と繋がっている住まいは、シングルマザーには有りがちだがとても狭い。

 そんな狭小住宅のリビングに、花のように美しい人がいる光景は、筆舌に尽くしがたい違和感があった。

 ――掃き溜めに鶴……イヤ、鶴よりスゴいから、亀かな?でもそれだと、何か橘様のイメージじゃないか……。

 みさきは現実逃避気味に考えながら、自らが用意した冷たい麦茶に口を付ける。

 現在、五時を回り閉店時間になったので、片付けなどの業務を後回しにして三人でテーブルを囲んでいた。

 人数分のグラスの他に、チョコレートのロールケーキが用意されている。この辺りでは有名な洋菓子店のものだ。

 みさきの隣では、美女にしか見えない青年が、美味しそうに麦茶を飲んでいる。我が家の安いグラスが甚だしく似合っていない。この人の前では、ロールケーキも純白の生クリームと金箔でデコレーションされているべきだ。

 けれど、本人は至って満足げに微笑んだ。

「麦茶、久しぶりに飲みます。ペットボトルだとどうしても、緑茶とかウーロン茶を買いがちだし、パックから煮出すというのも一人だとしないので」

 彼の言葉にみさきは食い付いた。

「ってことは、橘様……さん、て一人暮らしなんですか?」

 いつまでも『橘様』だとおかしいので、呼び方を変更する。

 千尋は笑みを深めてみさきを見下ろした。

「興味ある?」

 楽しげに瞬く瞳を真っ直ぐ見つめ返し、こっくりと頷く。

「もちろんです!だってお客様の中であなただけはどうしても、個人情報が見えてこないんですから!」

「……どういうこと?」

 怪訝そうな表情に変わった千尋の質問に答えたのは結子だった。

「その子、推理作家になるのが夢なんですよ。それで洞察力を養うためとか言って、人間観察するのが趣味なんです。あ、他のお客様には内緒にしてくれますか?個人情報を知ろうとする店員なんて、お客様からすればやっぱり嫌でしょうから」

 困ったように微笑む結子に、千尋はどこか虚ろな顔で頷いた。

「それはいいんですが……なるほど、そういうことでしたか」

 千尋はゆっくりとフォークを摘まみ、ロールケーキを口に運ぶ。おいしいはずなのに、ただ何度も頷き続けている。と、急にがっくりと肩を落とした。

「……オレ個人なんかより、情報に興味があるんだね。ちょっと切なくなるな」

「ん?何か言いました?」

 口内のロールケーキに全神経を集中させていたみさきが聞き返すも、千尋は力なく首を振るばかりだ。

 一方、人生経験豊富な結子は、その一言で何かを察したらしい。申し訳なさそうな、それでいて気まずげな顔をする。

「……仕事に関しては細やかな目配りができるんですけど、そそっかしいせいか変に鈍い所があるんですよね、この子」

「えぇ。とてもよく分かりました」

 みさきの理解が追い付かない会話を交わす彼らには、連帯感のようなものが芽生えつつあるようだった。「長いお付き合いになりそうね」と固く握手する二人を、首をひねりながら訝る。

 すると結子はおもむろに立ち上がり、白々しく手を叩いた。

「あ!そういえば私、お夕飯の支度しなくっちゃ。橘さんは、どうぞごゆっくりしてらしてね~」

 胡散臭い笑みを浮かべながら、母が台所に消えていく。自分が招いておきながら一体どういうことだ。

 二人きりになり、少し会話が途切れた。

 しかしせっかくだから情報を引き出そうと、みさきは口を開く。

「橘さん、母にはものすごく丁寧な言葉遣いですね」

 綺麗な話し方をするお客様もいるが、中には乱暴な話し方の者もいる。先ほど電話してきた田之倉様がいい例で、とってつけたような敬語などかなぐり捨てて、途中からかなり偉そうな口調だった。

 逆に千尋のそれは、ともすれば接客中にみさきが使う丁寧語よりも美しい。正しい日本語という感じだ。

「そりゃあ、目上の方には当然でしょう?」

 千尋は何てことないように答える。

 結子はまだ四十歳手前だし、見た目も若々しい方だ。千尋の目に、母は幾つに見えているだろう。

「橘さんて……二十代くらいですか?」

「また推理?そうだね、多分君のお母さんよりは、君に近いと思うよ」

「ってことは、三十代ではないんですね」

「え。そんな年上に見える?」

 千尋は頬に指先を添え、些かショックを受けているようだ。だがそれすら、みさきの計算の内だった。

「フッ、誘導尋問ですよ。これで二十代、しかも多分前半だと判明したわけです」

 もし彼が二十代後半、それも三十歳に近い年齢だったら、ここまでのショックを受けないはずだ。あの反応は『若作りに失敗した』ではなく『そんなに老けて見えるのか』だった。

 とはいえ不敵に笑ってカッコつけた割に、大したことは分かっていない。肌のハリやキメの細かさから、若いということは分かりきっていた。

 さて次は何を聞き出そうかと考えていると、今度は千尋が質問をした。

「君は推理作家になりたいんだね……何か執筆はしているの?」

「基本はネットで書いてますよ。たまに大きな賞に投稿もしますけど」

「そう……」

 もしや、読んでみたいからペンネームを教えてくれ、と言われるのだろうか。どぎまぎしながら続く言葉を待っていたが、千尋は思案げな横顔を見せるばかりだった。

「クリーニングに来るお客さんを観察していると、何か参考になる?」

「参考というか、観察力を養いたいんですよね。自分でもよくないと思うんですけど、私結構思い込みが強いタイプで。先入観とかなしに人を見る練習というか」

 みさきは頭を掻きながら、失敗談を思い出した。

「例えば、六十代くらいの男性の話です。そのお客様は定期的にワイシャツをクリーニングに出すんですけど、シワが寄るのも構わずレジ袋をパンパンにして、十数枚程一気にお持ちくださるんですよ」

 みさきには、スーツをぞんざいに扱う人は仕事ができないという先入観があった。スーツのスレや毛玉をそのままにしておくと見栄えが悪い。営業職なら致命的と言ってもいい。その理論でいくと、その男性はワイシャツの汚れも多いし、みさきの中では『仕事のできないおじいさん』、という印象だった。

「ところが後日、母にそれを話した所、その方はちょっとした化粧品メーカーの社長だって言うんです。……私の推理は完全な検討違いでした」

「ワイシャツの汚れというのも、化粧品によるものだったんだね」

「仕事ができないのに夜の街でウハウハしてるんだと思ってました」

「……それは酷いね」

 もちろん接客態度には出さなかったが、我ながら店員としてどうかと思う。しかもただの誤解だったということで、申し訳なさが何倍にも膨れ上がった失敗談だった。

「ワイシャツを一度に十数枚出す、というのは、確かに珍しいね。でもそこから導き出される男性の性格は、『面倒くさがり』なんじゃないかな。一度にそれだけの数をクリーニングに出しても問題ない程度には、ストックもあるということだし。物臭な人なら、どうせクリーニングに出すのだから、ワイシャツをどう扱おうと構わない、と考えるだろうね」

「おっしゃる通りだと思います」

 床にめり込む勢いで落ち込むみさきの肩を、大きな手が優しく叩いた。華奢で繊細な指先だけれど、その大きさは男性らしい。

「そこまで悩まなくていいよ。失敗して、考え方を改めなければいけないと思ったんでしょう?十分反省しているじゃないか」

 みさきが顔を上げると、千尋は安心させるように微笑んだ。

「そういえばさっき、狐に踊らされたとか言っていたけれど」

「……そこは、狐に化かされたで記憶しておいてくれませんか」

 話題を変えようという気遣いはありがたいのだが、間違いを訂正した相手に繰り返されると非常にばつが悪い。

「あぁ、ごめんね。それで一体どうして、そんな状況になったの?」

 個人情報なのでとはじめは渋ったが、結局誰かに相談したい気持ちが勝った。

 個人名は出さず、会話の内容だけを忠実に再現する。途中、空けたグラスに千尋が麦茶を注いでくれた。長い話にのどが渇いていたみさきは、細やかでよく気の付く人だと思った。

 話し終えると、彼は情報を整理しているのか、じっと俯いていた。

「それで、みさきさんは不思議に思ったんだ」

 初めて名前を呼ばれて、心臓がドキリと跳ねる。だが幸いというか、真剣に考え込んでいる千尋は、みさきの反応に気付かなかった。

「は、はい。緊急で必要だからすぐに仕上げてくれって電話なら時々あるんですけど、欲しくないから渡さないでくれ、なんて言われたのは初めてで」

「それはおそらく、着想が間違っているんだろうね。その人は、欲しくないから渡すなとは言っていないでしょう?」

「え…………あ、そういえばそうか」

「欲しくないから渡すな、ではなく、奥さんに渡すな、が彼にとって大事な所なんだろうね。そこを掘り下げていけば、簡単に答えに行き着くと思うよ」

「なるほど……………ん?」

 千尋があまりに何気なく話すから、一瞬さらりと受け流しそうになった。だが。

「えぇ!?って、橘さん、もしかして答えが分かったんですか!?」

 みさきはぎょっと目を開いて声を張り上げた。

 彼の言い振りは、明らかに真相にたどり着いた者のそれだ。みさきがどれだけ頭を悩ませても分からないのに、千尋は話を聞いただけであっさり謎を解いてしまった。

 尊敬とも畏怖ともつかない、むしろ宇宙人でも見るような目付きでいると、視線の先の美人は優雅に微笑んだ。

「推理作家になりたいんでしょう?後は自分で考えてごらん」

 麦茶を飲む横顔をとっくりと眺めて、みさきはしみじみ呟いた。

「……橘さんって、本当に何者」

 千尋はいたずらっぽく首を傾げた。

「内緒。もっとオレのこと、沢山考えて欲しいから」

 謎を解いてみせろ、ということか。

 顔を上げると目が合った。ぎくり、と背中に緊張が走る。

 自分の家なのに、少し居心地が悪く感じるのはなぜだろう。

 甘やかに細められた黒瞳が、一心にみさきを映しているからだろうか。それとも、静謐な瞳の奥に、熱の片鱗のようなものを見つけてしまったからかもしれない。

 身じろぎもできずにいると、ゴン、という間抜けな音が部屋に響いた。奇妙に強ばっていた肩から力が抜ける。

「……何してるの」

 台所に続く引き戸を開くと、そこには予想通り、頭を押さえた結子がいた。

「ナニって……あんたこそ何で、そんなノーリアクションなのよ。乙女の必須回路はどこに捨ててきたの」

「お母さんこそ何言ってるの。てゆーか、盗み聞きはどうかと思うよ」

 なぜか結子は赤面しつつ激しく悶えていて、みさきは気味の悪い母親を白い目で見下ろすのだった。

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