第4話 本当の事件(っぽいもの)

「ただいま~……って、みさき?どうしたの?死んだ魚もビックリして生き返りそうなくらい目が濁ってるけど」

「おかえり、お母さん。……橘様と話せたよ」

「あら。その割に全然嬉しそうじゃないわね~」

「そんなことないよ。困ってる時に助けてくれて、ホントにいい人だった」

「あら~、よかったじゃない」

「でもね、男の人だったんだ」

「―――――え」

「でね、よく分からなくて、私には宇宙人と喋ってるみたいだった」

「……………」


  ◇ ◆ ◇


 事件が起こったのは、すっかり季節も移り変わり、春の鮮やかな彩りが眩しい時期のことだった。

 街路樹のハナミズミが満開に咲き誇る姿が、店内からよく見える。ピンクや白の花が春の澄んだ青い空によく映えて、散歩にでも行きたくなるような好天だ。

『みさきクリーニング』の客足も大分落ち着き、みさきはぼんやり窓の外を眺めていた。店舗の裏は、事務所兼休憩スペース兼作業場兼保管庫になっている。その作業台に頬杖をつき、ペットボトルのウーロン茶を飲んだ。

 春先の繁忙期が終わると、クリーニング店は一気に暇になる。けれど心の底からのんびり寛げるかと言うとそうでもない。みさきの周囲は今や、布団と毛布の山と化していた。

 コートと同じく春になると一気に増える寝具のクリーニングなのだが、衣類と異なり困った点がある。一点一点がかさ張ることもさることながら、何より厄介なことは、お客様がなかなか引き取りに来ない点にあった。

 気軽に立ち寄って持ち帰ることが難しいという真っ当な理由ならまだいい。問題は、肌寒くなるシーズンまで邪魔になるから引き取りたくない、という理由であった。つまりクリーニング店を、保管庫がわりに利用する輩がいるのだ。

 主に狭いアパートに一人暮らししている男性や、ものぐさな人に多い傾向なのだが、お店としては頭を抱えたくなる。

 今現在、本気で足の踏み場がなく、作業台の周辺にしか居場所はない。とても肩身の狭い思いを強いられていた。

「とはいえ、せっかく暇なんだから、時間は有効利用しなきゃ。こういう隙間時間に小説のいいアイディアが生まれるかもしれない」

 繁忙期が大変だった分、まったりしそうになる頭に活を入れ、スマートフォンを取り出した。

 みさきの執筆活動の場は、主にインターネットだ。ネットの小説サイトに、思い付いた小説を定期的に投稿している。あまり閲覧数は多くないし評価も低いが、数名は応援してくれる人もいる。母に馬鹿にされながらも、数少ないファンのために日々精進していた。

 だが今日は調子が出ない。頭に浮かぶといえば、千尋のことばかり。

「ダメだ。てゆーか、キャラが濃すぎるんだよあの人」

 みさきは作業台にごちん、と額を当てた。僅かな痛みに顔をしかめる。

 美女――ではなくイケメンだったわけだが、あの麗しい微笑み付きの『コマネズミ』認定なんて、きっと一生忘れられない。あらゆる意味で心に刺さる言葉だった。

 あれから一度も来店していないが、気になって仕方ない。会ったとしても真意を聞き出せるとは思えないが。

 結局うだうだしていたみさきの頭に、天啓のような閃きが降って来る。

「……ん?もしかしてあの人って、主人公向き?小説の登場キャラにできる?」

 途端に創作意欲が沸き上がるのと同時に、台に設置された電話が鳴った。一瞬掴みかけたイメージが、あっという間に霧散していく。

「うぅ~。今のアイディアが完成してれば、絶対ベストセラーになったのにぃ」

 みさきは恨みがましく電話を睨みながら受話器を取った。

「お電話ありがとうございます。こちら、『みさきクリーニング』でございます」

 声だけはにこやかに対応すると、電話口から男性の声が聞こえた。

『私、田之倉という者です。そちらにクリーニングをお願いしているんですが』

「田之倉様ですね。いつもありがとうございます」

 男性はやけに早口で、まくし立てるようにしゃべる。何だか焦っているようで、みさきの挨拶もそこそこに、すぐ用件を切り出した。

『スーツを出しているんですが、妻は今日そちらに行きましたか?』

 どうやら、クリーニングに出したスーツを早めに受け取りたいらしい。礼服などが急に必要になるのはよくあることなので、みさきはすぐ引き取り済みの引き換え券の束を確認する。

「少々お待ちください。……えぇと、本日お引き取りにいらしたお客様で、田之倉様という方はまだいらっしゃらないようですね。お急ぎですか?」

 母の結子は足の悪いお年寄りのために、クリーニングの宅配業務も請け負っている。事情によってはできることがあるかもしれないと、みさきは詳細を聞き返す。

 だが返事は、思いもよらないものだった。

『違う、逆だ』

「はい?」

『妻が引き取りに来ても、渡さないで欲しいんだ』

「……………はい?」

 初めての依頼内容に、みさきは盛大に眉を寄せた。

「あの……お引き取りにならない、ということでしょうか」

『いや。私が直接伺うから、妻には渡すなというだけだ。今少し忙しいが、一週間後くらいには行けると思う』

 引き取りが遅くなるのは構わない。構わないが、あまりに謎すぎる。

 頭の中を疑問符で一杯にしながら、それでも口は勝手に動いていた。

「えぇとですね、一応引き換え券というものがございまして、これがないとお品物をお渡しできないという決まりがあるのですが……」

『クリーニングに出したのは妻だから、私は持っていない』

「では、奥様から引き換え券をお受け取りになられて、」

『それはできないと言っているんだ。引き換え券というものがなくても、何とかならないかね?』

 一応、券を紛失した人のために、本人確認ができれば大丈夫になっている。だが問題はそれだけではない。

「もし、奥様が引き取りにいらしたら、お渡ししないわけには……」

『何とでも言い訳できるだろう。手違いがあって、まだクリーニングが済んでいないとか』

「はぁ……」

 それは相当文句を言われそうな、とても素晴らしい言い訳だ。

 あまりの言い分に半ば放心していると、田之倉様という男性は『よろしく頼む』と言い捨てて電話を切った。切られたみさきは何とも言えない心地だ。

「こういうの何て言うんだっけ……狐に踊らされる?」

「狐につままれる、あるいは化かされる、だよ。踊らされる、を使う場合は手のひらで、が正解かな」

 考え込んでいると、まさかの答えが返ってきた。慌てて振り向いたみさきの目に、店舗との通用口に立つ人影が映った。

「お母さんと―――えぇ!橘様!?」

 ほくほく顔の母の隣には、なぜか千尋がいるではないか。

「さっきそこでバッタリ会ったのよ~。あんたはよく分かんないこと言ってたけど、いい人じゃな~い。優しいし礼儀正しいし、理知的だしとっても素敵」

「ちょ、お母さん!本人の前で何言ってるの!?」

 みさきの宇宙人発言だけは口にしないで頂きたい。

「先日は娘がお世話になりましたってお礼をしてたら、よかったらお茶でもどうぞって話になってね」

「どういう会話の流れでそうなるの!?しかもお茶でもどうぞって、今事務所にお客様なんて通せないし、住居スペースだって散らかってるし!」

 朗らかな母の答えに全く納得できない。

 みさきの脳裏にリビングの隅に脱ぎっぱなしのパジャマや、テーブルの上の食べかけのお菓子など、見つかりたくない物達が一瞬でよぎっていく。まずい。家に招くにしても五分は必要だ。

 言い合う親子を見て、千尋が申し訳なさそうに俯いた。

「あの、社交辞令をまともに受け止めてしまってすみませんでした。お邪魔しては悪いので、ここで失礼します」

 見た目だけなら文句なしに儚げで清楚な美女だ。眉を下げた表情に胸がズキズキ痛む。人を『コマネズミ』呼ばわりした割に、何と礼儀正しいことか。

「ほらー。あんたが邪魔扱いするから、気を遣わせちゃったじゃない」

 結子に非難の眼差しを向けられ、理不尽な状況を叫びたくなる。

 ――何か、私より仲よくなってない!?

 実の母に裏切られたような心地だ。

 部屋が散らかっていることくらい承知しているはずだから、できればここは娘を庇ってほしい。

「あの、本当にいいんです。お気持ちだけで十分ですから」

「あら~、遠慮なんてしないでくださいな。丁度頂き物のおいしいケーキがあるんですよ」

「ケーキ……あ、いや、」

「甘い物、お好きなんですか?」

「はい、実は……。でも、今日の所は」

「いえいえそんなこと仰らず~」

 目の前で繰り広げられる茶番を、みさきは虚ろな眼差しで傍観していた。

 ――何、この展開。

 そして母よ、頂き物とか言っちゃうのはどうかと思う。

 みさきはがっくりと、項垂れるように頷いた。

「あの……片付けたいので、五分程お待ちいただけますか」

 ……なぜ、こんなことに。

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