第19話 夏祭り
赤とんぼ柄の浴衣に、水色の帯、赤い鼻緒の草履でカラコロ歩く。けれど視線が集まっているのは、みさきにではない。黒と紫の幾何学模様の浴衣が想像通り似合いすぎている、隣を歩く美女のためだ。
「どうかした?」
「いえ……やっぱり浴衣を選んだんだな、と」
「う」
デートと言っていたはずなのに。ちょっとガッカリした気持ちからチクリと嫌みを言うと、千尋は胸を押さえた。
「スーツも仕事で着てるんですよね。なのに私の前では着れないと」
定期的にクリーニングに出しているのだ。どこかで男の姿をしているのは間違いない。スーツの時もメイクをしているという可能性もなくはないが。
「………ごめん。まだ、覚悟ができてなくて。でもちゃんと、男の格好で会えるようになるから」
本当に申し訳なさそうにするから、みさきも責める言葉に詰まる。
「………そんなに、覚悟のいることなんですか?」
「そうだね……オレにとっては」
何かに耐えるような寂しげな笑顔が胸に迫る。みさきはゆっくり視線をそらした。
「なら、無理には聞きません。話せるようになるの、待ってますから」
「………ありがとう」
「でも、いつまでも待てる自信はありませんからね」
「う、はい。……頑張ります」
なるべく早めに覚悟を決めてくださいね、というみさきの脅しに、彼は気まずげに俯いた。
話していると、いつの間にか人の群れに呑まれていた。日が暮れて来たのに、昼間のように賑やかな空気。闇に際立つ提灯飾りと、どこからか流れてくるお囃子の音。わくわくしてくるお祭りの雰囲気だ。
たこ焼やクレープ、フランクフルトなどの屋台が道なりに並んでいる。地元では規模が大きい方のお祭りなので、屋台の数も多かった。
「あ、かき氷だ」
タピオカドリンクも美味しそうだ。回りきれない屋台に目移りしながらフラフラしていると、千尋が宥めるように頭を撫でた。
「屋台もいいけど、今日は程々にしておいて。行きたい所があるんだ」
美味しそうなソースの匂いが誘惑しているのに、食べられないなんて。みさきが愕然とした顔で打ちひしがれていると、『程々なら大丈夫だから』と聞き分けのない子どものように諭された。少し恥ずかしくなる。
結局、イチゴ味のかき氷だけを購入した。
「ん~、おいしい!イチゴ味大好き!」
ひんやりと冷たい氷が溶け、口の中で甘さが広がる。イチゴの香料が入ったお菓子はあまり好きではないが、かき氷だけは特別美味しく感じる。
「でも、イチゴもブルーハワイもメロンも、味は全て同じだっていうよね」
無粋なうんちくを言う千尋を少し睨んだ。
「同じだとしても、雰囲気とかで全然変わるんです。騙されたくて食べてるんだからいいんです」
拗ねたみさきは黙々と食べ進める。半分程食べた所で、かき氷あるあるを思い出した。
「あ。舌、赤くなってません?」
「え、い、いや、大丈夫」
隣の千尋に舌を出して見せると、彼は僅かにたじろぎ、なぜかフイと視線をそらす。何か怒っているのだろうかと考え、かき氷を独り占めしていることに気付いた。千尋が支払ってくれたのだから、一緒に食べるべきだった。
「食べます?」
「えっ」
プラスチックのカップを差し出すと、驚いた千尋が振り返った。その頬が夜目にも赤くて、みさきはかき氷を取り落としそうになる。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!お互いにいい年なんですから、これくらいで赤くならないでください!」
「だって、君は一々無防備すぎる!」
千尋は瞳が潤み、桜色に染まった頬を恥ずかしそうに押さえている。見ていて眩しく感じる程初々しく乙女な反応に、みさきまで赤くなってしまう。
――これじゃあ、なんか、私の方が痴女みたいじゃん!
美女を困らせて反応を楽しむ趣味はない!
わたわたと二人して挙動不審になっていると、辺りが一際明るくなった。すぐに大砲のような大きな音が耳を支配する。慌てて振り向くと、花火が上がっていた。
「あ!始まってる!」
二人は急いで見晴らしのいい場所に移動する。カラコロカラコロ、石畳を打つ草履の音が忙しなく響く。
屋台の群れを抜けると、人影も一気にまばらになった。川沿いの土手には、花火をゆっくりと楽しむカップルが多い。
再び大きな花火が上がる。緑や紫、青色など色彩も鮮やかだし、形も様々だ。
この川沿いの花火大会は、三千発程度が上がる、地域の大会にしては比較的大規模なものだ。観光客が少ないため、地元民は存分に花火を満喫できる。みさきの家からも近いので何度か来たことがあった。
「あ、私この花火好きなんです」
空にスッと手を伸ばす。
オレンジ一色のシンプルな花が夜空に咲くと、すすきのように光が尾を引いて空を落ちていく。耳に残るパラパラという音の余韻がとても花火らしくて風情がある。
「風流だね。花火の種類では、確か『菊』というのだっけ」
「へ~、詳しいですね」
「代表的な花火の名称だけなら、何となく知っているよ」
次々打ち上がる花火を、時を忘れて楽しんだ。蝶々のような形の花火や、ニコちゃんマークの花火が上がると、可愛らしさに思わず歓声を上げる。
「―――ごめんね」
「はい?」
「さっきの、クリーニングのこと」
言われてようやく、出がけに持ち込まれたトレーナーをすっかり忘却していたことに気付く。
あの時は混乱していたけれど、やっぱり千尋に従ってよかった。あのまま家でもたついていたら電車に乗り遅れて、打ち上げ開始に間に合わなかっただろう。こんな綺麗なものを見逃していたし、こんな素敵な時間を過ごせなかった。
「謝らないでください。千尋さんの言う通り、急いで来てよかったです。誘ってくれてありがとうございました」
改めてお礼を言い、千尋を見る。すぐに目が合って、彼が花火じゃなくみさきを見ていたことにどぎまぎする。いつから見られていたのだろう。
「君が不安がっていると分かっていたのに連れ出して、やっぱり強引だったと思う。どうしても早く、一緒に花火を楽しみたくて。……みさきさんの浴衣姿が、とても可愛かったから」
みさきは一瞬で赤面した。
――ふ、不意打ちだっ!
目一杯着飾ったにも関わらず、顔を合わせた時に何も言われなくて実は悲しかった。店番をしていたし、慌ただしかったから仕方がないと思っていたのに。
ここが土手沿いでよかった。花火以外の明かりがないから、赤い頬にも気付かれないだろう。
「お詫びの意味も込めて、この後食事に行こう。丁度花火が終わればお腹も空く頃だし」
出店であまり食べないよう釘を刺されたのは、そのためだったらしい。
まだ衝撃から立ち直っていなかったみさきは、こくこくと無言で頷き返した。
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