エピローグ
第31話 みさきクリーニングで会いましょう
最近、風が一気に冷たくなった。朝晩の冷え込みに木々は赤や黄色に色づき始め、すっかり秋の装いだ。
肌寒くなってくると、慌ててコートや毛布をクリーニングに出すお客様がちらほら増えるので、店もそれなりに繁盛していた。母の足の具合がよくなったので、今日は久々の受付業務だった。
「あの、加奈さん」
引き取りと、また新たな品物を持ち込んだ常連客の里崎加奈に、みさきは思いきって切り出した。
「今度もしよかったら、私に似合いそうな洋服を見繕ってくれませんか?」
何度か目を瞬かせていた加奈が、こてんと首を傾げる。
「それって、一緒に買い物ってこと?」
「はい。……図々しいですかね?」
地元に残る友人もいるが、類は友を呼ぶの典型で外見に頓着しない者ばかりだ。一緒に買い物をした所でアドバイスやコツなど出てくるはずもない。みさきの知り合いで最もお洒落な加奈にしか頼めないことだった。
いくら姉のように慕っているとはいえ、相手はお客様だ。立場をわきまえない行為だったと後悔を募らせていたみさきの肩を、加奈が笑顔で叩いた。
「全然オッケー。私は恋する女の子の前向きな努力、大歓迎だよ」
「あ、ありがとうございます……!」
後ろで一つにまとめた髪を揺らしながら、頭を下げる。
千尋の頑張る姿に感化され、みさきも変わろうと決意した。これからはメイクにも挑戦していきたいと思っている。高校以来だから腕は鈍っているし、流行りも違うだろう。要研究だった。
「それにしても、ホントに好きなんだねー」
「はい。……好きな所がスゴく沢山あるって、気付いてしまいました」
照れながら笑うと、「可愛いヤツめ」と頭をグリグリ撫でられた。
「ちょっと加奈さ、加減が、いたたっ」
「だって羨ましいんだもん!あー、私も恋したい!」
「ラブラブの旦那さんがいるじゃないですか!」
「片想いがいいのよ!主婦だってきゅんきゅんしたっていいじゃーん!」
結婚して円満な家庭を築き、こうして夫のスーツをクリーニングに持ってくるのは十分幸せだと思う。無い物ねだりというものだ。
「好きな人のために自分を変えようと思えるのは、スゴいことだよ。一途な所は結子おばさん似かもね」
「母似、ですか?」
唐突に出た名前に怪訝な顔を返すと、加奈は目を丸くした。
「旦那が亡くなって十五年以上経つのに恋人すら作らないんだから、一途以外のなにものでもないでしょ。おばさんモテるんだよ?クリーニング屋始めたのだって、おじさんのこと愛してるからだろうし」
「そうなんですか?」
「え?みさきちゃん知らないの?」
父への愛だなんて言われてもピンと来なくて、みさきは眉間にシワを寄せた。
「私も母親から聞いただけだから詳しくは知らないけど……みさきちゃん、おじさんのことしっかり覚えてる?ホラ、結構変わった人だったじゃん」
父が亡くなった当時、みさきはまだ五歳。おぼろ気な記憶はあれど印象は曖昧で、みさきにとっては、写真の中で笑う姿がそのままイメージとなっている。
素直に首を横に振ると、加奈は言い辛そうに頭を掻いた。
「あ~、そうだよね。えっと、私はもう小学生だったから、結構覚えてるんだけど。ホラ、ちょっと何て言うか、ね」
さっぱりした気性の彼女が歯切れの悪い物言いをするのは珍しい。『ホラ』と言われても、何を察すればいいのやら。
不思議に思いつつも次の言葉を辛抱強く待っていると、加奈は肩で息を吐いた。
「……まぁ。ぶっちゃけ、スンゴイ破天荒だったのよ。何て言うの?こう、一般人が十人束になったって敵わないくらい生命力がみなぎってたっていうか」
「えぇ~……」
何だその、聞いてるだけではた迷惑な存在は。
「嘘だぁ。ちょっとやめてくださいよ加奈さん。私の中の父親像が崩壊するじゃないですか。てゆーかあの母がそんな人を選んだなんて信じられない」
現実逃避気味に笑うみさきに対し、加奈は重々しく首を振った。
「この街に暮らす大人達の共通認識だから、諦めて現実を受け入れなさい」
「……じゃあ私、ずっと『変人の娘』だと思われながら生きてたってこと?なにそれ軽く死ねる」
「ドンマイ。気を確かに」
自分の身内じゃなくてよかったと思っているのがありありと分かる表情で、加奈が視線をそらした。慰めの言葉も適当だ。
「まぁそんな面白おかしいおじさんはさ、子どもが産まれたことで故郷に恩返しをしようと思い立って、この街に帰って来たのよ。そしてクリーニング屋を開こうと思い付いた」
「恩返しがクリーニング店開業って、ツッコんでいい所ですか?」
「天災の考えることなんて凡人には分からないものなんだよ」
今間違いなく『天災』と言った。曲がりなりにも人の親に、『天災』って。しかもその子どもというのは間違いなくみさきのことだ。突拍子のない考えの起点がこちらにあると匂わせるのはやめてほしい。
懐かしむように語っていた加奈が、どこか痛そうな表情で僅かに目を伏せた。
「でも、店を始める前におじさんは亡くなっちゃって。……そしたらおばさんは、旦那の意志を継いでクリーニング店を始めたんだ。旦那がいないのに旦那の故郷で生きていくことを選ぶって、相当の覚悟だと思うよ」
母から開業にまつわる話など一切聞いたことがなかったみさきは、純粋に驚いていた。
最愛の人が亡くなった直後で、ものを考えることすら億劫だっただろうに。悲嘆に暮れていてもおかしくない時期に店を始めようなんて、確かに壮絶な意志を感じる。
黙り込むみさきの顔を、加奈が気遣わしげに覗き込んだ。
「……いい話、でしょ?」
「いや、『お父さんショック』もまだ残ってますけどね」
「ごめんって」
すぐさま謝る彼女に、今度は笑顔を返した。
「でも、聞けてよかったです。ありがとうございます、加奈さん」
また連絡しようと約束して、加奈は店を出ていった。その背中を見つめながら、父のことを考える。
クリーニング店には、様々なお客様がやって来る。中にはクレーマーだっている。
みさきの頭の中に、出会った人の顔が次々と浮かんでは消えていく。
綺麗になった帽子を満足げに受け取った老人。結婚式が無事終わったと、礼服を大切そうに持って来た男性。染み抜きで綺麗になったトレーナーを見て、安堵の表情を浮かべた料理人。洗濯代行に喜ぶおっとりした未亡人。深々と頭を下げる、どこまでも生真面目そうな小説家。
人の想いが奔流のように胸に渦巻いて、熱いものが込み上げてくる。みさきは自分の両手を見つめた。
日々何となくこなしていた仕事には、ちゃんと意味があったのかもしれない。一つ一つの品物には、お客様の思い出が、心が詰まっている。クリーニング店は、決してそれを疎かにしてはいけないのだ。
――お父さんが言ってた恩返しも、そういう意味だった?
問いかけに応える声はないけれど、じっと見つめていた両手を、ぎゅっと握り締めた。
さて、仕事だ。
頭を切り替えて、スーツとワイシャツのタグ付けを始める。
チリン チリン
軽やかなベルの音と共に、再びお客様がやって来た。
「いらっしゃいま―――うげっ」
「こんにちは、みさきちゃん」
カウンターに顔を出すと、みさきの天敵とも言える色男が手を振っていた。
ビシッと着こなしたスーツ、精悍だが色気のある顔。その立ち姿だけで絵になる男―――貴司恭矢だ。
「………いらっしゃいませ」
なぜここに、と思ったが、みさきは目ざとくも彼の持つスーツの束に気付き、すぐ様笑顔を取り繕った。相手は大切なお客様だ。心を入れ替えたばかりだというのに『うげっ』はまずかった。
「ご来店ありがとうございます。当店は初めてでいらっしゃいますか」
プロに徹した接客に、恭矢が楽しそうに笑った。
「千尋が、やたらオススメするもんでね。どんなもんか一回試してみようと思って」
やはり千尋の差し金かと内心げんなりするが、彼に悪気がないことは分かっている。純粋に『みさきクリーニング』を褒め、純粋に売り上げに貢献しようと思ってくれたのだろう。彼の思いに応えるために、みさきも全力で接客しなければならない。
にこやかに用紙を手渡し、氏名や住所を記入してもらう。その間にスーツの検品を始めよう。おそらく上下セットを三点は持ち込んでいるだろう、結構な大荷物だ。
「こちら、お預かりさせていただきますね」
紙袋を引き寄せ、スーツを取り出す。千尋と違い、ブランド物のスーツだった。
「お客様、こちらブランドのスーツになりますが、通常のクリーニングでよろしいですか?一点ずつ職人が手作業で仕上げる、オーダーズクリーニングというコースもございますが」
「そっちはいくらするの?」
「一点につき、通常のクリーニング料金から+500円くらいになります」
「じゃあ、それで」
あっさり頷いたことに驚く。編集の仕事とはそんなに儲かるのだろうか。
仕立てのいいスーツを、一点ずつ点検していく。スレも毛玉もなく、ボタンの欠けもない。とても丁寧に着ていることが分かる。いくらブランドのスーツとはいえ、ここまで手入れが行き届いているというのは少し意外だった。見た目は明らかにチャラ男だが、しっかりした一面もあるようだ。
記入用紙を受け取り、仕上がり希望日を訊き、お会計を済ませる。全て滞りなく終わり、みさきは頭を下げた。
「ありがとうございます、貴司様。木曜日以降でしたら、いつ取りに来ていただいても大丈夫ですので、またよろしくお願いします」
口元に笑みを湛えながらみさきを見ていた恭矢が、満足げに頷いた。
「いやぁ、千尋があれ程絶賛する理由が分かったよ」
なぜか彼は帰る素振りを見せない。早く視界から消えてほしい。みさきの笑顔の仮面がそろそろ限界だ。
「キミは話し方も丁寧だし、てきぱきしてるし、何より気に入らない客が相手でも笑顔で接客できる所が素晴らしいね」
「……とんでもございません」
嫌われていると分かっていて店に来るなんて、この男、相当性格が歪んでいる。せっかく真心込めたサービスに全力を尽くしているのに、イライラが爆発寸前だ。
「貴司様、まだ何か御用ですか」
急かすような質問をするべきではないのに、つい口を突いて出ていた。
「少し話してみたいだけだよ。客ではなく、貴司恭矢個人としてね」
恭矢はゆったりと微笑んだ。女性を虜にするような、色気の滴る笑み。
――帰らないとか、絶対嫌がらせだ!
こちらの本心を知りつつ、挑発するように居座る気らしい。しかし客ではないと彼自身が言うのだから、もう我慢しなくていいだろうか。
みさきはにっこりと、完璧な笑顔で応戦した。
「そうですか。では、私も従業員としてではなく、綿屋みさきとしてお答えします。―――帰れ」
思いきり圧を込めているのに、恭矢は驚きもしない。むしろどこか楽しそうにくつくつと笑った。
「キミ、オモシロイね」
「面白いをカタカナっぽく言う人とは話をしないって決めていますので」
「なにそれ」
みさきは恭矢に構わず仕事をすることにした。さすがに作業スペースにこもるわけにはいかないので、カウンター周りの整理をする。記入用紙の補充をした後、午前中の売り上げの集計を始めた。レジの中にある金額と売り上げが一致するか、確認しなければならない。
色々話しかけてくる男を無視して集中していると、ベルの音が聞こえた。
「いらっしゃいませ―――…」
扉の前には男性が立っていた。何年かぶりに見るその姿に、万感の思いが去来する。みさきは僅かに目を見開き―――それからゆっくりと、微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「……これ、お願いします」
「クリーニングですね。お預かりいたします」
差し出されたのは所々汚れ、黒ずんでいるオレンジ色の作業服の上下。消防の中でも救助のスペシャリストのみに許される、レスキューの制服だ。頑張って働いている痕跡に、訳もなく涙が出そうになった。
「こちら、いくつか汚れがございますが……」
「そのままクリーニングで、大丈夫です。穴も開いてるかもしれないですけど、気にしないでください」
「かしこまりました」
一つ一つ丁寧に検品し、畳んでいく。
「こちら、作業服の上下が一点ずつですね」
仕上がり指定を承り、会計をする。
「ありがとうございます。では、明後日の仕上がりになります」
「はい。……よろしく、お願いします」
俯きがちにしている相手に、みさきは笑った。心から笑うことが、できた。
「――はい。かしこまりました」
男性は、僅かにみさきを見つめ―――やがて頭を下げて出ていった。ゆっくりと去っていく背中を、目を細めて見送る。
「もしかして、知り合いだった?」
感傷的な余韻に浸っていたというのに、横やりが入った。
「……まだいたんですか」
「冷たいなぁ」
恭矢が肩を揺らして笑った。
「で、彼はなに?訳あり?」
出ていった男性に意味深な視線を送った恭矢は、興味本意丸出しの無粋な瞳でみさきを見下ろした。
「なんであなたの好奇心を満たす必要が私にありますか」
「あっそう。みさきちゃんが教えてくれないなら、千尋にでも聞いてみるかなぁ。何か知ってるかなぁ」
千尋だって、彼を誰かは知らない。だがみさきの応対の違和感などを恭矢に逐一語られでもしたら迷惑だ。千尋ならば、僅かなヒントで答えに行き着いてしまうかもしれない。
「……ほぼ初対面の相手を脅すなんて、モラルをどこに置き去りにしてらしたんですか」
「欲しいものを手に入れるためなら、オレは何でもできるよ。モラルがないと言われればその通りだね」
「今すぐ探して来てください。地球の裏側にでも」
そして二度と戻って来ないでほしい。
みさきの不満満載の視線にも、恭矢は笑みを崩さない。冗談のような口振りと軽薄な態度に見逃しそうになるが、瞳の奥に本気の色がある。全くの他人と言っていい人間の事情を知りたがるなんて、とんだ悪趣味だが、逆らわない方がよさそうだ。
「……幼馴染みですよ。ただの」
用は済んだとばかり、今度こそ恭矢を追い立てる。
「さ、答えたんですからとっととお帰りくださいませ」
「ホントに冷たいなぁ。幼馴染み君と扱いが違くない?」
「だって、ライバルですから」
「へ?俺が?」
みさきの台詞に、心底意外そうに目を瞬かせた。隙のない雰囲気だった恭矢に親しみやすさが生まれる。もちろん親しむつもりなど毛頭ないが。
「貴司さんが、千尋さんをとても大事に思ってることは、分かります。でも、負けませんから」
社会勉強のために一人暮らしを勧めたり、ひきこもりがちな根暗少年だった千尋を、今もなにくれとなく面倒みているのだ。付き合いの長さに比例して情も深いだろう。だが二人が付き合っていないなら、まだ見込みはある。みさきと恭矢、これからはどちらがより距離を縮められるかが鍵になるはずだ。
大真面目にライバル宣言をかましたみさきに、一拍間を置いて大笑いが返ってきた。酸欠が心配になるくらいの大笑いだ。
「キミ、ホント面白いねぇ」
ヒーヒー呼吸する恭矢に驚くばかりだったが、段々腹が立ってきた。完全に馬鹿にされている。深い絆で結ばれている自信に裏打ちされた余裕だろうか。
「気に入った。絶対にまた来るよ」
「できれば来ないでほしいですけど、スーツを引き取りに、最低一度はご来店いただく必要がありますね」
「ハハッ。ヨロシクね、みさきちゃん」
「……………チャラい」
何だかもう胡散臭いを通り越して圧倒的でさえある。よくぞここまで陽気に育った。千尋とは正反対のタイプだ。
「ホントに、なんであなたのような人が千尋さんの友達なんだか」
「分かってないなぁ。あの根暗なヤツだからこそ、俺みたいなのとしか友達になれなかったんだよ」
なるほど。二人の学生時代が想像できる。
「確かに。……と言いたい所ですが、あなたに同意するなんて生理的にムリですね」
「生理的に!?初めて言われたよ!」
「大体いい年こいてチャラいって最悪ですよ。私だって人のことは言えませんが、せめて年相応の落ち着きというものを先達には持っていて欲しいです」
みさきの言葉に、恭矢がしたり顔に変わった。
「へー。じゃあ千尋にはそれがあると?」
「あります。……コミュ障こじらせて女装している点以外は」
客観的にみると、社交的で仕事もきっちりこなしている恭矢の方が評価は高いかもしれない。ひきこもりな上に女装をしている千尋は、字面だけで見るとかなりヤバい人だ。だが一方で立派な小説家として地位を確立しているし、何より誠実だ。何人が恭矢を支持しようと、みさきだけは彼の味方でいたい。
だからこそ心からのフォローのつもりで言ったのに、恭矢は再び弾けるように笑い出した。畳の部屋なら笑い転げていただろう笑いっぷりだ。
涙さえ浮かべながら、恭矢はカウンターに身を乗り出した。頬杖をついているため身長差が埋まり、顔が近くなる。
「いやー、キミとの会話は特別オモシロイなぁ。きっとテンポが合ってるんだろうね」
「同じことをどこの女性にも言い回ってる姿が容易に想像できます」
あいにく、興味のない相手の顔が迫っていても、心はピクリとも動かない。無表情で淡々と返すみさきに、恭矢は苦笑した。
「ヒッデーなぁ。こんなこと、初めて言ったのに」
「同じことを以下略」
「以下略!?会話で!?つーかどんだけ俺がウザいの!?」
傷付いたふうにしているが、顔は至極楽しげに笑っている。わけが分からない。人種が違うを通り越して、謎の生命体を相手にしているようだ。千尋とは宇宙人仲間だったのか。
「俺、君のこと大好きになる予感がするよ。どうしようね?」
「聞くな」
くだらない舌戦を繰り広げていると、またベルが鳴った。これでようやく恭矢から開放されると振り向けば、そこには千尋が立っていた。
「千尋さん!いらっしゃいませ!」
「よう、千尋」
秋が近付くにつれ、彼の服装も秋めいてきた。今日はキャメルのワンピースに深いグリーンのカーディガンを羽織っている。あの日男の姿で母と対面を果たした千尋だったが、やはりまだ緊張するということで女装姿に戻っていた。
相変わらずとても似合っているが、その表情はなぜか複雑そうだ。
「どうかしました?」
「いや……ちょっと早めに来てしまったんだけど、まさか恭矢がいるとは思わなくて」
千尋が恭矢に視線を移す。みさきはにっこり微笑み、作業スペースに立て掛けてあったほうきを持ち出した。
「千尋さんがご不快でしたら、すぐに追い出しますね」
「ちょっ、ちょっと待ってみさきちゃん!実力行使だけはやめて!」
恭矢の足元だけ集中的に掃いて、外へと追い出そうとする。言葉ではめげなかった彼もさすがに慌て出した。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ友人を見て、千尋が眉を寄せた。
「外から見てても思ったけれど……何か二人、親しすぎない?」
みさきは愕然と千尋を振り向いた。これが親しく見えるとは、彼の視力は相当ひどいらしい。お互い本気で攻防を繰り広げているというのに。
千尋は少し乱暴に荷物を下ろしながら、恭矢を睨んだ。
「何でお前がここにいるんだよ、恭矢」
衣類を出されたのなら一時休戦だ。みさきは急いでカウンターの中に戻る。
恭矢は暴れてできたスーツのシワを伸ばし、気を取り直して不敵に笑った。蛙のようにジャンプする姿が目に焼き付いているので全然格好よくありませんよ、とツッコミたかったが、今は仕事に集中すべきと口を挟まなかった。
衣類を点検していく内に、二人の会話は進んでいく。
「お前の住んでるマンション、この辺じゃないだろう。何で近所のクリーニング店に行かないんだよ」
「千尋が凄くいいって言ってたからだろ。俺も気に入ったよ。接客態度も真面目だし、何よりみさきちゃんがカワイイ」
「……本気か?」
「だったらどうする?」
「ふざけるなよ」
「――――あの、店先でイチャイチャするの、やめてもらえます?」
もう口を挟まずにいられなかった。
イケメンと美女の掛け合いが、みさきにはどうしても痴話喧嘩にしか見えない。むしろ恭矢はわざと、千尋の嫉妬心を煽っている節があった。みさきをカワイイとか、心にもないことを。これだからチャラ男は。
――当て馬か。私が当て馬なのか。
彼らの仲を深めるためのポジションなど冗談ではない。
物凄く不機嫌になるみさきに、男二人は若干たじろいだ。
「……どういう思考回路ならあの結論になるんだ?」
「それが正直、オレも未だに分からなくて」
「お前、苦労してるな」
「だからお勧めしないよ」
「それは分かんねぇな。理性と気持ちは別だから」
「恭矢、」
「だ~か~ら~。イチャつくなら外でお願いします!」
ボソボソと会話を続けていた二人をギッと睨む。今度こそ完全に沈黙した。
会計を終えると、千尋は機嫌を窺うように紙袋を差し出した。
「あの……今日、夕食の時に一緒にどうかなと思って、デパ地下のオードブルを買ってきたんだ。迷惑かな?」
袋の中身はローストビーフや蒸し鶏の入ったサラダ、春巻きや小籠包などで一杯だった。みさきは現金にも目を輝かせる。
「うわぁ!デパ地下のお惣菜なんて、滅多に食卓に上がらないごちそうですよ!スゴく嬉しいです!」
「でも、色々作る準備してるんじゃない?」
「それは明日に回せばいいから問題ないです。むしろ今日の夕御飯はこれで足りちゃいますね。千尋さん、ありがとうございます」
用意した食材が無駄になることまで心配してくれる千尋に癒される。用もないのにいつまでも居座り続けるどこかの図々しい男とは大違いだ。
その時みさきはハッと気付いた。
――それだけ図々しい男の前で、こんな話をしたら……!
「へぇ、お前ここで夕飯食べてんの?いいなぁ。楽しそうだなぁ」
やっぱり。恭矢の台詞にみさきは肩を落とした。優しい千尋がこんな言い方をされれば、どう返すか目に見えている。
「あ……そうか。お前も一人暮らしだしね。じゃあ、みさきさんとお母さんに聞いてみればいい。二人ともとても優しいから、きっと誘ってくれるよ」
清らかな微笑みが今は辛い。みさきの優しさは恭矢限定で発揮されないと、正直に伝えられれば。だが好きな相手が心から信頼の眼差しを向けているのに、拒否などできるはずもなかった。
「……貴司さんが我が家で夕食を食べるなら、一回につき千円を請求します」
全て計算ずくで発言したであろう恭矢に、せめてもと嫌がらせをする。予想外の反撃に、にやついていた彼もぎょっとした。
「高くない!?いや外食よりは安いけど、家で食べるなら一人前はそんな高くないよね!?つーかオードブル買ってきたの千尋だよね!?」
「つべこべ言うなら来なくていいです。我が家の経済は常に逼迫しているんですよ」
満面の笑みで返すみさきに、千尋がおずおずと挙手した。
「あの、ならオレも、これからはお金を……」
ちょっとした嫌がらせのつもりが、千尋に飛び火してしまった。大失敗だ。
「いいんです!千尋さんにはいつもお世話になってますし、手土産もいただいてますから!」
「でも、」
申し訳なさそうに言い募る千尋の肩を、恭矢が抱いた。
「んじゃあ俺も、早速お邪魔していいよね、みさきちゃん?」
「……………」
千尋の隣でウィンクする疫病神に、みさきは頬をひきつらせた。どうやら今後もこの男に悩まされることになりそうだ。
「みさきさんのお母さんが帰っていないんだから、勝手にお邪魔できないよ。オレ達は打ち合わせがてら、どこかで時間を潰そう」
上がり込もうとする恭矢を引き止めたのは、礼儀正しい千尋だった。恭矢も口をへの字にしたが文句は言わない。
「ならオードブルは荷物になるから、うちで預かっておきますよ」
「ありがとう」
来客の心配はあるが、急いで冷蔵庫に入れるくらい何とかなるだろう。
戸口に立つと、千尋は振り向いた。優しい笑顔につられ、みさきもまた笑顔になる。
―出会いは、物語の始まりだと思う。
みさきは千尋と出会ったから、変わろうと思えた。どんな結末が待っているのか分からないけれど、二人の物語は、まだ始まったばかり。
「じゃあ、後で」
「はい。また、ここで」
―みさきクリーニングで会いましょう。
クリーニングでお困りですか?(旧題:みさきクリーニングで会いましょう。) 浅名ゆうな @01200105
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