第8話 楽しい食卓
今日の献立は、アスパラとじゃがいも、ベーコンがごろりと入った炊き込みご飯、ふろふき大根。ポテトサラダ、小松菜と焼きナスの味噌汁だ。ふろふき大根だけは母の作った物で、これはみさきの好物だった。
「アスパラはもうシーズンが終わりだから、ちょっと固いかもしれないですけど」
みさきがお茶碗によそうと、千尋がテーブルに並べる。この連携もかなりスムーズだ。
「オレ、アスパラの入った炊き込みご飯、初めて食べるよ」
「炊き込みご飯って楽チンでいいんですよね。下茹でも必要なくて、切った野菜をそのまま炊飯器にポイするだけでできちゃうんです。炊けてからバターを入れてるんで、これは結構洋風なカンジですよ」
「本当だ。この匂いだけでお腹が空いてくるよ」
五時になり、母が閉店業務をしている間にご飯の支度を済ませる。これが最近の日常となりつつあった。
「家庭の味に飢えてるなら、母が作ったふろふき大根はホントにオススメです。味がよく染みててスゴくおいしいんですよ。私も大好きなんです」
「そうか。こういう物が好きなんだね」
準備が調ったテーブルに座ると、丁度いいタイミングで母がやって来た。
揃っていただきますをして、食事が始まる。
千尋は箸使いが綺麗だ。一つ一つの所作にも品があることから、作法に厳しい家で育ったのではと思う。
ゆっくり食べ進めていく彼は、ふろふき大根で目を輝かせた。
「お、おいしい……ご飯もお味噌汁もおいしいけど、このふろふき大根、素晴らしいですね。噛むごとに旨みがじゅわっと溢れてくる。とても味が染みているのに濃すぎることもなくて、いくらでも食べられそうです」
「あら~、千尋君みたいに素敵な子にそんなこと言われたら、いくらでも作っちゃうわよ~」
目を閉じて味わう千尋に、結子が満更でもなさそうに返す。肩を叩いたりして、やっぱりイチャイチャしているようにしか見えない。
「分かった。もう二人の関係は、付き合う手前の段階なんだね」
納得して深く頷くも、両者揃って首を振った。
「そんなわけないって言ってるでしょーが」
「お母さんとは親しくさせていただいているけど、あくまで知人としてだよ」
「うんうん。で、はじめはどっちがどっちを好きになったの?」
二人の発言をいなして再度問いかける。千尋はがっくりと項垂れ、結子は呆れ顔になった。
「君、全然信じてないよね……」
「しかもそれ、本当にそういう微妙な距離感だったら絶対正面から聞いちゃいけないヤツだからね!あんたってばホントどうしようもなく無神経なんだから!」
叱られてしまったのは、みさきが心の機微というヤツを解さないせいらしい。ならば甘んじて受けよう。恋愛に無頓着な自覚はある。
賑やかな食事が終わると、千尋が傍らに置いていた紙袋を取り出した。
「やっぱりクリーニングを出すだけというのも悪いので、今日は飲み物を持って来ました。これなら日持ちもしますし、ご迷惑にならないかと」
しっかりした作りの箱を開けると、中にはさらに三つの箱が並んでいた。高そうなドリップコーヒーで、モカなど種類も違う。
「わ~、ちょっと本格的なヤツ!インスタントコーヒー以外が我が家にあるのって、久しぶりね」
「絶対シュークリームに合うね。橘さん、ありがとうございます」
おそらくそれを踏まえてのチョイスなのだろう。礼儀正しい上に気が利くし、母が気に入るのも頷ける。
――ホントにいい人だから、お母さんにマジで貢ぐようになったら私が止めてあげよう。
色々お世話になっているみさきにできる、唯一の恩返しだ。
「よっし!早速コーヒー淹れてくるわね!」
いそいそと立ち上がる母の背中に声をかける。
「私が淹れようか?」
「いいのよ、ゆっくりしてて」
気を利かせたつもりだったが、やんわり断られた。千尋の実体調査を諦めていない娘に、逆に気を遣ったのだろうか。
とはいえ、みさきは二人きりになるこの時間が結構好きだったりする。
色んな質問ができるから、というのもあるが、単純に千尋との会話が楽しかった。彼の穏やかな雰囲気は、喧騒に満ちた我が家の空気を損なわない。まるでずっと以前からそこにいたみたいに。初めて来た時は違和感しかなかったのに、今のみさきにはそれがとても落ち着いた。
「コーヒー、好きなの?」
いつの間にか笑みが零れていたらしい。千尋が顔を覗き込むようにして訊く。
コーヒーのために頬がゆるんだわけではなかったが、本当の理由を話すのも照れくさいので頷いた。
「好きですね。甘い物と合わせる時はブラックで、普段はミルクをたくさん入れて飲みます。お砂糖は入れない派です」
ブラックでもどうしても甘く感じてしまって、缶コーヒーはあまり好きじゃない。定番コーヒーショップのフラペチーノもみさきには甘すぎるので、注文するなら普通のカフェラテなどを選ぶ。やはりコーヒーには苦くあってほしい。
「そういえば橘さんて、よくその質問しますよね」
不自然な程熱心に耳を傾ける千尋に、ふと疑問が浮かぶ。今さらだが、食べ物の好みなどを訊かれることが多い気がした。
千尋はまつ毛を伏せるように微笑んだ。
「そうだね。知っておきたいから」
「なるほど」
「うん、絶対分かっていないよね」
「分かってますよ、失礼な。手土産のためにリサーチしておきたいってことでしょう?でもホントに、いらないですからね」
「あぁ、そうなる……」
なぜか千尋は肩を落としているが、みさきは少し嬉しかった。これからも家に来たいという気持ちの表れだと思うからだ。楽しみなのがこちらだけだとしたら、それは少し寂しいから。
「君は、訊かないよね」
「え?」
「オレの素性。知りたいって言ってたのに、最近はあんまり熱意がないね」
「別に諦めたわけじゃありませんよ」
降伏したと勘違いされては堪らないのできっぱりと釘をさしておく。
「ただ、普通の会話の中で、少しずつ発見していくのが楽しくて。今まではチャンスが少なかったのでガッついてましたけど、今はたくさん機会がありますから」
当初こそ質問できる絶好の機会に闘志を燃やしていたが、今は取り留めのない会話を、のんびりした空間を楽しみたいと思うようになっていた。彼の側は、綺麗な湖のほとりにいるようで居心地がいい。
千尋は嬉しそうにはにかみながら笑った。
「よかった。もう飽きられてしまったのかと思ったよ」
「こんな見れば見るほど不思議な人に、飽きるなんてあり得ませんよ」
まず女装をしている所から規格外なのだから。
「そうはっきり言われると反応に困るな……普通、男が女装してるなんて、もっと気味悪がるものだと思うけど」
「女性にしか見えないから違和感ないですよ。逆に男丸出しでも、驚くけど気持ち悪くはないです」
「みさきさんは、本当に取り繕わないよね」
千尋が心底可笑しそうにクスクス笑った。
コーヒーの深くこうばしい香りが漂ってくる。華やかでありながら、落ち着く香りだ。
「普通は誰かに好かれたいって思うから、化粧をするし、お洒落もするでしょう?努力して見た目も中身も磨く」
「すいませんね、努力を放棄したナリで」
「いや、放棄しているなんて思ったこともないよ。ただ、今までそういう気持ちになったこと、なかったのかなって」
みさきは目を瞬かせた。
おそらくこれは、恋愛経験を訊かれているのだろう。努力して変わりたいと思う理由の多くは、好きな相手のためだ。
……自分でも驚く程すんなりと、話してみようかな、と思った。躊躇いがないわけではなかったが、美女にしか見えないから抵抗も少ないし、何より千尋の人柄を信用している。
「―――高校時代には、ちゃんといましたよ。好きな人。その人のために可愛くなりたいって思ったし、沢山努力もしました」
そういえば、付き合い始めたのも六月だった。こんなふうに大気がじっとりとした、雨の多い季節―― 。
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