マグナム商店街

「友達の居ないタキの唯一にして一番の友達」と自らうそぶく『サエキアキラ』を初めて見たとき、「こいつ男か? 女か? どっちだ」と本気でわからなかった。

 整った顔は小さく、あごは細く、唇は薄くて柔らかく、俺より十センチは背が低く、下手な女より骨格も華奢だった。でも、声を聞いてすぐに男だとわかった。見た目に反し、よく通る男の美声だったからだ。

 サエキは誰とでもニコニコと話し、話している相手もついニコニコしているような男で、ひと目見たときからうさんくさいヤツだと思った。でもどうせ俺とは関わらないだろうとも思った。なにしろ、福海大学は五万もの生徒数を誇り、ひとクラス百人以上という規模だ。一度も話したことのないクラスメイトもザラに居る。

 だが、ある夕方、講義を終えた俺が駐輪場でバイクに乗ろうとしていたとき、いきなりサエキが近寄ってきて、

「ねえ。一緒にハンバーガー食べに行かない」と誘ってきた。

「行かねえよ」と俺は答えて、バイクにまたがった。

 サエキは慌てて、「待ってまってまって」

「なんで俺だ? おまえのおともだちと一緒に行きゃいいだろ」

「ぼくともだち居ないよ」

「まわりにいっぱい居るじゃねえか」と俺は言った。「ほんとの友達かは知らねえけど」

「ぼくにほんとうのともだちなんていない」サエキは薄く笑いながら「なんかまわりにひとはたくさん寄ってくるけど」

 暗い夜の湖のような瞳。いつかどこかで見たことがあるような瞳だった。

 かと思えば、そんなのは一瞬で、また快活で害のない顔に戻り、

美羽飛岳みわひだけの峠にある『グリングラン』って店。チーズバーガーが絶品なんだ。一緒にバイクで行こうよ。おごるから」

「おごりか。……それなら行くか」と俺は答えた。

 少しだけサエキに興味も湧いてきた。

 コイツには何かある。よくできた仮面の向こうに隠れた何かが。

 ……それが俺とサエキとのなれそめだった。と思う。


 夏休みに入ってしばらく経ったあと、黒髪湖の花火以来、サエキをずっと忘れていたことに気づいた。

 いつもサエキを雑に扱っているとはいえ、さすがに悪いと思ってすぐ連絡した。

「静かで、星がきれいな夜だったよ……」

 サエキは遠い目をしながら夢でも思い出すような口調で言った。「花火大会が終わったあとの黒髪湖は、誰も居なくてね。ぼく、揚げじゃがバターとりんご飴片手に、ずっと夜の湖を見てた」

「わ、悪かったよ……」

「二時間くらい経って、『あは。もしかしてこれ、ぼく、置いてかれてる?』って」

「いや、だからな、こっちもいろいろ事情が」

「タキってときどきすごいことするよね」

「悪かったって」

「今度会ったとき、タキはどんな顔をするんだろうって考えながら、夜道を十キロ歩いて帰ったよ」

「そ、そうか……」

「でもまさか、そこからなんのフォローもなく、さらに放置されるなんて。さすがはタキだよ」

「わかった。わかったから。飯でもおごるから」

 そんなやりとりがあって、その日俺たちは『マグナム商店街』で落ち合うことになった。

 坂ばかりの丘の町・福海町も、海沿いの一帯は平らに開けていて、『福海駅』を中心にささやかな繁華街を形成している。その目抜き通りにあるのが『マグナム商店街』だ。

 この、非常にコメントし辛い名前の商店街は、元は『銀座通り商店街』という古いアーケード街で、時代とともにどんどん寂れ、ショッピングモールのマリモが出来たことがトドメとなって、シャッター通りと化していた。

 だが、現役福海大生の起業家やOB有志が、町のインキュベーションを利用して商店街再生プロジェクトをぶちあげたことで状況は一変。不死鳥のような復興を遂げるに至った。

 そんな商店街テコ入れ作戦最初の一手が、とにかく奇抜で、インパクトがある名称に変えようというものであり、そして選ばれたのが、『マグナム商店街』という、あんまりと言えばあんまりな名前だったのだ。アホな名前はともかく、個性豊かなショップが多く、行きつけもいくつかあるせいか、俺もよくここには来る。

 十字型に広がるアーケードのちょうど真ん中、『決闘するネコの像』前のベンチに座った。時刻は昼を少し過ぎたくらい。アーケードは、夏の涼しげな格好をした老若男女がのんびり歩いていた。縦横の街路が交わる場所だけに、そんなひとの通りがよく見渡せた。

 ふと、商店街の端を歩くレラの姿を見かけた。相変わらず目立つ子だ。

 レラは、同じような年ごろの女の子と歩いていた。

 あいつ、友達居たのか……。なぜか少し裏切られたような気分になる。

 でも遠目に見たレラともうひとりの女の子の雰囲気には、なにかしら、ただならぬものがあった。険悪なムード、と言ってもいい。

 俺は、ベンチから立ち上がり、にぎやかな商店街の中を駆けた。 

 ふたりはマグナム商店街の街路の途中にある緑地に入った。のぞき見なんて趣味は悪いが、俺はこっそりポプラの木陰からふたりのやり取りをうかがった。

 レラは怒っていた。レラの機嫌悪そうな顔なんて見慣れているが、今日のはいつもと迫力が違う。軽く腕を組むように両肘を抱え、相手をじっとやぶにらみするその顔は、身体の奥であふれる憤怒のエネルギーをなんとか抑え込んでいるギリギリの表情に見えた。

「約束したはずだけど?」

 氷のような声でレラが切り出した。

「ゴメンッ」相手の子が両手を重ねる。年齢相応に幼い卑屈な笑顔だった。「青木ひとりでできない?」

「ピアノなしで、どうしろっての?」

「けど仕方なくない? もらったの、買ったら五千円とかするチケットなんだよ? それに、せっかく譲ってくれたのに、断ったらバイト居づらくなるし」

「………………」

 吹雪の視線でレラはその子を見据えた。そんな視線に反発するように、当初は申し訳なさそうだった相手の顔にも、露骨な不満が浮かび始めた。クラスの地味な部類に入りそうな子だったが、レラに対しては、ちょっと上から目線で接しているように感じた。

 ふたりはしばらくにらみ合っていた。

「……青木みたいなタイプには、人付き合いの大事さ、わかんないよ」

 吐き捨てるようにその子が言った。レラの美しい目がすーっとすぼまった。一触即発の雰囲気だった。そろそろ、適当な口実作って割って入るか、と俺が構えたとき、

「……もういい。行って。それから、二度と話しかけないで」

 レラが静かに言った。

 ふん、とその女の子は鼻から息を出すと、

「そりゃ、ボランティアよりライブっしょ」

 小声で捨て台詞を残して歩き去った。

 あとには、全身から黒い煙のようなオーラを噴出するレラがぽつんと。

 俺はゆっくり近づき、その背中に声をかけた。

「よっ。蒼きレラ」なるべく当たり障りのない口調で「こんなところでなにしてんだ?」

「……なんでタキくんって、いつもいきなり現れるの? わたしのこと、監視でもしてるの?」

 じろっと横目でにらまれた。また一段と喧嘩腰。でも無理もない。

「実はそうなんだ。レラのことが知りたくてたまらなくてさ。ずっと見てる」

「見ないで」いつもにも増して冷たい口調。

「機嫌悪そうだな。なにかあったのか?」

 とぼけながら俺は聞いてみた。

「……見てたんでしょ?」

「………………」

「わたし……約束を平気で踏みにじる口先だけの人間……だいきらい」

 両手を握りしめ、肩を震わせながら、レラがつぶやいた。

「……なんだかよくわかんねーし、クビ突っ込む気もねーけど」と俺は言った。「俺も同感だよ」


 無言でずんずん突き進むレラを半歩ほど後ろから追いかける。

 レラは烈火のような怒りを身にまといながら歩いた。道行くひとびとが、ぎょっとした顔で道を開けるほどだ。別段、嫌がる様子もなかったから、俺もそのままレラについていった。

 やがてレラは、商店街の一角、ポップなロゴで『ぴょんぴょんカンガルークラブ』と書かれたクリーニング屋みたいな建物の前で止まった。一瞬、確かめるような目で俺を見たが、そのまま何も言わずに引き戸を開けて中に入った。俺も当然のようにあとに続く。

 中は外からの印象より広かった。

 窓が大きく、日当たりがいい室内は、優しい色のカーテンとジュウタンが敷かれ、小学校の教室と図書館の児童書コーナーを足したような雰囲気だった。

「へえ。学童保育か」

 俺が言うと、レラがバッとこっちを見た。

「知ってるの?」

「うちも片親だからな」と俺はなるべく普通の口調でさらりと言った。「俺は学童には世話にならなかったけど」

 放課後教室とも言われる、共働きや片親の家庭の子が預けられる施設。普通は小学校にあったりするが、これは民営の施設なのだろう。

 レラはものすごく驚いた顔をした。他人に隙を見せたら終わり、とばかりに、緊張しながら生きているようなレラが、初めて見せた幼い顔だった。

「わたしも……」とぽつり。「お父さん居ない」

「そっか。同じだな」

 レラはコクンと頷いて、いつものように、じっと俺の目をのぞき込んだ。でもその瞳には、今まで見たことのない種類の感情がこめられていた。

「こんにちは。青木さん」

 穏やかな、深みのある声がして、茶色のさっぱりした服装の、初老の男性が奥から出てきた。声だけで好人物とわかる。俺も相当にひねくれていて、「ワタシ善人デス」って顔の人間はたいてい疑ってしまうのだが、このひとは本物にしか見えなかった。

「こんにちは先生」

 ……レラが、聞いたこともない可愛らしい声であいさつしたことからも、それがうかがえた。うーん。この変わりっぷり……。

 こっちしか見ていなかったら、レラの印象は正反対だったに違いない。

「来てくれたんですね。ありがとう……そちらは……?」

「あ。ぼくは……」

「タキくんです」とすかさずレラ。

「そうですか。タキくん。こんにちは」

 おざなりすぎる紹介に、先生と呼ばれた白髪の男性は、ニコニコ。

「あー、どうもー。タキくんです。はじめまして」

 仕方なく俺も適当に言って頭を下げた。


 話はこうだった……レラは日ごろから学校の合間にこの『ぴょんぴょんカンガルークラブ』で子供たちの世話をするボランティアをやっているらしい。そして、今回、夏のちょっとしたイベントとして子供たちを集め、出し物をすることになっていた。だが、レラと一緒に参加する予定の友人が、やむにやまれぬ事情のせいで、来られなくなった。さてどうする?

「タキくん、なんか楽器できる?」

 普段より二割増しくらい優しい口調でレラが言った。

「あいにくなにも」と俺は答えた。レラは、ピアノと歌の出し物をする予定だったらしい。

「青木さん。無理しなくてもいいんですよ」と先生が優しく言った。白人のように大柄なのに、威圧的なところが皆無のひとだ。「……映画の上映とか、読み聞かせとか、ほかにもやれることはありますし」

「けど……」

 読み聞かせ、と聞いて俺にひらめくものがあった。

「ええと」と俺が口を開くと、先生とレラの目が一斉にこっちに注がれた。「先生。ワープロソフトが使えるパソコンありますか?」

「ありますよ」と先生が言って、自分のデスクへ向かった。

「ちょっとお借りできますか?」と俺は言って、さっきからずっと俺を見ているレラのほうを向いた。「俺にちょっと考えがあるんだ。やってみるか?」

 レラはコクリと頷いた。

「レラ。おまえ、絵とか描けないか?」

「え? ……うん……まあ……あんまり上手くはないけど……」

「ざっくりでいい。どうせ時間ないんだろ?」

「絵なら私も。普段、イラストとかよく描きますし、昔、ちょっと美術をかじってました。生徒さんにも絵を教えています」と先生。

「お。じゃあ、画用紙に、俺が言うものを描いていただけますか?」

「タキくん。なにするの?」

「人形劇だ」

「にんぎょうげき?」

「レラ」

「…………?」戸惑ったレラは、なんだかすっかり幼い表情になっている。

「おまえ、さっき言ったろ。『約束を平気で踏みにじる口先だけの人間、だいきらい』って……おまえの友達は、そんなやつばっかじゃないって、俺が証明してやる」

「……け、けど人形劇って? なに書くの?」

「タイトルはその名もズバリ……『花仮面の騎士』」

「はなかめん? いやそれはちょっと……ダサすぎのような……」

「……カエデも最初はそう言ってた」ふいに涙が出そうになった。

「え?」

「まあ、まかせとけって」

 レラにバレないように俺は目をぬぐう。そして、先生がデスクに用意してくれたノーパソの前に座り、すーっと深呼吸してキーボードを叩き始めた。

 こうして、俺とレラと先生が演じた、カエデと俺の物語『花仮面の騎士』。

 俺たちの運命を変えたこの物語については、いつかどこかで語る機会もあるだろう。

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