青イナツ風
天津真崎
レラの書いた小説
依頼人にハメられたと知ったのは、警察署でだった。
別にハラも立たなかった。気持ちはわかる。
誰も裏切らないという生き方は難しい。
それで誰からも裏切られなくなるわけじゃないからだ。
何時間も意味なく拘束された俺を助けてくれたのは、学生時代からの友人サエキだった。
警察署を出ると、薄白い夜空には小さな星が瞬いていた。
スーツ姿のサエキが、パトカーのボンネットに腰かけて俺を待っていた。
「タキ。おつかれ」
男装の麗人のような美貌。きゃしゃな身体。さらりとした髪。透き通る白い肌。整い過ぎた顔には、冷たく薄い笑みが月光のように浮かんでいる。スーツがまったく似合っていないのが、ある意味サマになった、不思議な容貌だ。
警察署の駐車場でパトに腰かけるという、傲岸不遜なサエキの態度に、通りがかった制服警官が険悪な顔を向けるが、やり手弁護士のサエキとやり合うのを避けてか、誰も文句は言わなかった。
「世話かけた」
俺は言って、弁護士らしからぬレトロで可愛い車の助手席に乗り込んだ。
「災難だったねえ」とサエキも運転席に乗る。
静かな夜の町をゆっくり流しながらサエキがくすくす笑った。
「またハシゴ外されたんだって? フザけたことするよね」
「仕方ねーよ。色々な人間にだまされて、人間不信みたいになってた依頼人だったし」
「それで、どうオトシマエつけさせようか?」ネオンが反射する陶磁器のような白面に、凄絶な笑みが浮かぶ。
「ヤクザかおまえは」と俺は顔をしかめた。「……いいよ、べつに。もう済んだことだ」
「でもメンツ潰されたんだよ? 自分がなにやったかを、ちゃんとわからせてやろうよ。ぼくも手伝うから」ウキウキした顔で「徹底的に追いこんでやる」
「いいって。おおごとにするな。俺のメンツなんか安いもんだ」
「タキは甘いよ」
「おまえがドライすぎんだ」
いつものやり取りだった。でも、そうは言っても、シビアなサエキがそばに居てくれたからこそ、何度もヤバイ目を切り抜けられてきたのも事実。
同じ大学を出たあと、私立探偵になると俺が打ち明けたとき、「じゃあぼくは弁護士になるか」と簡単に言ったコイツを、俺はアホだと思った。でも、実際にサエキは司法試験にちゃんと受かり、中堅どころの弁護士とかいう叔父の元で着々と経験を積んでいる。
「まあとにかく助かった」と俺は無難にその話を終わらせた。「……で、急ぎの話ってなんだ?」
サエキは路肩に車を寄せると、一冊の本を差し出してきた。
「この本、見て」
「……俺は小説読まねえよ。キライだって知ってるだろ」
サエキは無言でぐいっと本を押し付けてくる。
光沢のある青い表紙で、タイトルは……『青イナツ風』
「作者を見て」
サエキに言われるまでもなく、俺はその名前を凝視していた。
久しぶりにかすかに高鳴った胸は、やがて嵐のように騒ぎ始めた。
「それ書いたの……レラちゃんだよね?」
サエキの声がやけに遠く聞こえる。
震える手で表紙をめくった。
冒頭の一文を読み始める前に、その小説が、あの『レラ』という少女によって書かれたものだと俺は確信していた。
俺と、レラと、サエキの、決して忘れえぬ、あの夏の物語。
作家を目指し、そしてあきらめるまでの、闇雲に過ごした日々。
俺がいつのまにか忘れ、ないがしろにしていた小説の魔法で、それは一瞬にして蘇った。
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