劇中劇その3 ~言葉の剣
ナレ「爆発が聞こえ、城が崩れる音が響きます。紅蓮の炎が舞い上がり、明るくなった黒い空に、飛び回るたくさんのモンスターの影が見えました。レラは夢中で城に引き返しました」
ナレ「城は大混乱でした」
魔法使い『さあ。今なら、邪魔なタキ王子と花仮面の騎士をまとめて始末できる。この機会を我は待っていた』
邪悪そのものといった凄みのある低い声。これがあの温厚な先生だなんて信じられない。
ひとびと『花仮面の騎士! はやく聖剣を使って、王子をお守りください!』
ビビ『えええ!? なんで私がそんなこと! 無理だし!』
ひとびと『はやく! はやくはやく! 聖剣を! 聖剣を!』
ナレ「ビビはヤケクソになって叫びました」
ビビ『ウル・バルス・イオ・プルーム!』
ナレ「聖剣はわずかに光りました。さすがに魔法使いもひるみましたが、おびえるビビの顔を見て、ニヤッと笑いました」
魔法使い『ククク。剣は本物だが、お前はマガイモノだ。行け! ドラゴンよ!』
ビビ『ヒイッ。こ、来ないでよぉ!』
ナレ「ビビはラスタミルダをデタラメに振り回しました。それが巨大な黒いドラゴンの硬いウロコに当たると……なんと、粉々に砕けてしまったのです!」
ビビ『あ、あ、あたしのせいじゃないわよ!』
ナレ「ビビは逃げてしまいました」
タキ『やはりニセモノだったか……』
ナレ「タキ王子は静かに自分の剣を抜きました」
タキ『私が相手だ! 他のものには手を出すな!』
ずっとオカマ声でビビを演じていた反動か、思いのほかいい声が出て、自分でドキッとしてしまう。
レラ「王子!」
ナレ「炎と爆発の中、レラが城にたどり着きました。モンスターの一匹が、レラに襲いかかろうとしました。王子はレラをかばうようにその前に立ちはだかりました」
タキ『ここは危ない! きみもはやく逃げろ!』
レラ『いやです! 王子こそ逃げて!』
タキ『私はこの国の王子だ! 私には、わが国民を守り抜く義務がある!』
ナレ「そのときです。王子の脳裏に、はっきりと蘇った記憶がありました」
タキ『……遠いむかし、幼きあの日、これと同じことがあった。……キミはもしかして、あのときの……?』
レラ「……はい」
ナレ「目に涙を浮かべ、レラはしっかりとうなずきました。……王子があの日を覚えていてくれた。自分のことを覚えていてくれた! レラは、自分の身体に、信じられないほど強い力があふれてるのを感じました」
……………………。
トントンと、太い指が俺の肩をつついた。
あ。とすっかり没頭していた俺は、我に返り、音楽を再生した。
RPGの勇気と愛のテーマが、おごそかに鳴り響く。
レラ『タキ王子……今だけでいいです。今だけは、わたしのような女が、あなたをおしたいすることをお許しください』
レラ『タキ王子……わたしはあなたが好きです。あなたが好き。あなたが好き! あなたを……愛しています』
レラがそう言ったとき、俺の胸を、正体不明の苦しさが締めつけた。それは甘美な苦しさだった。頭が痺れ、身体が震え、心臓が熱くなり、俺は眼の前の細い身体を抱きしめたいというわけのわからない想いに駆られた。
触れ合いそうなほど近くに居る青木レラを。
それは人生で初めての衝動だった。
レラをぎゅっと抱きしめたい。俺は全力でその気持ちを抑えつけた。本当に抱きしめてしまったらシャレにならない。役に入り込むためだ。それもわかってる。けれど、タキという名を呼びながら「好き」とか「愛してる」と言われ、俺は本当に自分がそう言われたように錯覚してしまったのだ。
レラのセリフは続いた。
今や完全に役と一体化し、レラはお話のレラそのものだった。
レラ『剣とともに母から継いだ古い秘密の言葉……ウルは剣。バルスは言葉。イオは私。プルームは……共にあらん』
ナレ「レラの右手にまぶしい光が宿りました」
レラ『今こそ、わたしは、わたし自身のほんとうの言葉を、剣に変えます。借り物でもない、もらったものでもない、わたしの気持ちを。あなたへの愛を。わたし自身の言葉で!』
とっておきのクライマックスの曲を俺は再生した。
ナレ「レラは叫びました!」
そのとき、それまでは大人しく話に夢中だった子供たちが、一斉に叫んだ。
同じ言葉を。
レラの言葉とそれは重なった。
俺の身体を、風のような衝撃が走り抜けた。全身に鳥肌が立っていた。
みんな『ウル・バルス・イオ・プルーム!!』
ナレ「レラの右手に生まれた新しい聖剣……【ニィルハース】! レラは、その緑色に光る剣を振るい、次々に悪い敵をやっつけました」
盛り上がりは最高潮だった。
レラが人形を動かし、先生の持つ魔法使いやモンスターや竜の人形を倒すたびに、レラを応援する子供たちの歓声が沸く。
俺は、気が抜けたようにそんな声を聞きながら、汗に濡れピンク色に上気したレラの顔を見ていた。そして、さっきのあの気持ちはなんだったのかを考えた。
「さ。あとひと踏ん張り」
優しい小声で素早く先生が言った。
俺は、エピローグのために用意しておいた曲を再生し、王子の人形を舞台に出した。
使うならこの曲と決めていた。俺とカエデが大好きな古いふるいRPGの曲だ。
タキ『待ってくれ!』
ナレ「走り去ろうとするレラの手を、タキ王子はぐっと握りました」
タキ『花仮面の騎士……いや、レラ! 私と結婚してほしい』
レラ『できません……私とあなたでは、身分が違いすぎます』
タキ『身分が理由だというのなら、私はいまこの瞬間、王子であることを捨てる』
レラ『いけません! あなたのような優しい王子がこの国から居なくなれば、心ない者たちに自然は壊され、水や空気は汚され、レラの花は死に絶えてしまうでしょう』
タキ『……私が優しい王子などと呼ばれ、裏では変人王子とささやかれ、この国の自然を守り続けたのはなぜだと思う? ……レラ。きみのためだ。あの幼き日に見た、レラの花畑で戯れるきみの、美しく可憐な姿……あの風景を守りたいと願ったからなんだ』
レラ『………………』
タキ『私は弱い……。他人が思うよりもずっとだ。だが、きみとなら……きみのためなら強くなれる。だから、わたしのそばに居てほしい。そばで私を守ってくれ。私もまた、レラを守り続けると誓おう』
レラ『……ああ……王子……私は、五十年経っても、変わらぬ愛であなたのそばに居続けることを誓います』
レラのアドリブに俺は目をむいた。五十年。その言葉は俺の脚本にはなかった。思わずレラを見た。レラは俺から目を背けていた。
先生が、情感たっぷりのナレーションで、物語を締めくくった。
ナレ「……こうして、ふたりは結ばれ、花仮面の騎士は、この日から仮面を捨て、『花の騎士』として生まれ変わりました。花の騎士は、王子とレラの花とふたりの国を、緑の剣ニィルハースでいつまでもいつまでも守り続けたのでした」
三人「めでたしめでたし!」
割れんばかりの拍手と歓声を受けながら、ふーと俺は深く息を吐いた。
全身に心地いい疲労感があった。
俺たちが作った物語で、こんなにもひとが感動してくれるなんて。
……カエデ。これが、物語の力なんだな……。
おれ、約束を果たせたかな……?
ふと、レラが恥ずかしそうにチロチロこっちを見ているのに気付いた。
俺はため息をついて笑い、レラに拳を示した。
レラは、きょとんとした顔をした。
やがて、俺の意図に気づき、自分の小さな拳をそっと上げた。
「お疲れさん」
俺は小声で言って、そんなレラの拳に、チョンと自分の拳をくっ付けた。
◆
でも、話はこれで終わりじゃなかった。
「キスしろー」と最前列に座ったナマイキそうなガキンチョが突然叫んだのだ。
「キスキスキスー」
なんつーマセたガキだ。
だが、信じられないことに、それが他のお子たちにも伝播し、やがて「キースキース」とキスコールになった。お母さんたちまで面白がってはやし立ててる。
「ぬぅわんてことでしょう!」
突然、先生のよく通る渋い声が上がった。「悪い魔法使いが残した邪悪な呪いで、タキ王子はとつぜん苦しみ出しました!」
アゼンとして見ると、ダンディな顔にイタズラっぽい表情を浮かべた先生がウィンクしてきた。
「ウグヮッ!」
俺も叫び、王子の人形の付いた棒をプルプルけいれんさせた。「く、苦しい……バタッ」
「この呪いを解くためには、レラの口づけが必要なのです!」
先生が軽薄な口調で言った。ノリノリだな、おい。
「え? え?」
レラは目をぱちぱちさせ、右に左に首を振ってオロオロしている。
「さあ。はやくっ。レラ! チッスをっ」先生があおる。
「え……そんな……だって……わたし……」レラはかーっと赤くなった。
「なにやってんだ。早く人形出せ」俺はレラに耳打ち。
「だって。そんな。キスとか。わたし……わたし……」
「別にお前本人がやるわけじゃねーだろっ。人形だ、にんぎょう。ぷちゅって人形同士の顔くっ付けりゃそれでシマイだ」
「かんたんに言わないで!」レラがにらんだ。
「なにキレてんだおまえ? いいから! はやく俺にキスしろ!」
「はあ? なにそれ!? 信じらんない! なにが、おれにキスしろよっ。フツーそんなこと言いますか? えっらそうに」
「ばかっ。いや、だから、それは、人形劇の話で……」
「そーいう問題じゃないってば! かんたんにキスとか言うなって話でしょ! しかも、『はやくおれにキスしろ』とか命令口調で!」
ガタッとレラが黒い布囲いから立ち上がった。
「だいたい、バカにバカって言われたくなーい!」
レラがムキーと叫ぶ。
「んだと」俺も思わず立ち上がって「それが、必死こいて脚本書いてお前に付き合ってやった俺に言うセリフか!?」
「頼んでないし」
「どうしようって泣きそうな顔してたの、どこのどいつだっ」
「自分がカッコつけてエラソーに『俺に任せな』ってドヤ顔してきたんでしょ! カッコつけさせてあげたんじゃない! 感謝してもらいたいですっ」
「カッコつけカッコつけうるせーんだよっ。それに、誰がバカだ。聞き流さねーからな」
「バカじゃん! 三回会うまで名前も教えてくれなかったくせにっ」
俺たちは、犬の喧嘩のようにギャンギャンやりあった。ほとんど顔をぶつけ合うくらいの勢いで。
「あのー」と間延びした声がして、先生の大きな手が俺とレラの肩に置かれた。「ふたりともそのくらいに。……みんな見てますよ」
「あ」とそこで我に返った俺とレラ。
見ると、ジュウタンに座った子供たちがゲラゲラ笑い転げていた。
「個人的にはたいへん見ものなんですけどね」先生は小声でくすっと笑う。「まあここは一応、教育の場ですから」
俺とレラはばっと同時にその場に座り込んで、布の囲いに隠れた。
レラはうつむき、両手で顔を覆ってしまい動かない。
観客席からはまだ笑い声。
先生も大きな身体を縮こませて黒い布の中に入ってきた。
「……仕方ありません。タキくん。ここは私と」
先生はシブい声で言った。
俺も神妙にコクリとうなずく。
「……ええ。どうやらそれしかないようです」
俺は王子の人形、先生はレラ人形を舞台に出した。
そして、ゆっくりと人形同士の顔を近づけ……キス。
ぷちゅっ。
わっと歓声が上がる。
「レラの、タキ王子への、偽りのないまごころの愛をこめた口づけで、魔法使いの呪いは解けたのでした。今度こそめでたしめでたし」
なぜかポッと少し頬を染めて、先生は物語を締めた。
◆
子供たちを見送り、後片付けをして学童保育所を出ると、もうすっかり空が紅くなっていた。
マグナム商店街には、夕方特有の親密な賑わいが満ちていた。
涼しい風が吹き、すっかり火照ってしまった肌に心地よかった。
「いやいや。久しぶりにとても楽しかった。おふたりのおかげですよ」
カギをかけながら、先生が穏やかに言った。
「いえいえ。とりあえず上手くいって、俺もホッとしました」
短時間でのシナリオ執筆、演出、出演。我ながらよくやれたと思う。
「タキくんは、ふだんから脚本を書かれたりしてるんですか?」
「いえ。べつにそういうわけじゃ……」と俺は言った。「子供だましですよ。幼稚な話だし」
「言葉の剣。真実の愛。お互いのために強くあろうと誓いあう男女……とてもいい話だと、わたしは思いました」
先生は神父のような優しい顔で言った。
あの日のカエデの言葉が蘇った。
――タッキーらしい話だよ。私は好きだな――
「……みんなのおかげです」
先生のナレーションと演技、レラの特別な声、そして、今はもう居ない、カエデという少女の描いてくれた漫画。
そのすべてがあったから、俺の思いつきを、あそこまで形にできたのだ。
「レラ。おまえも、すごかったぞ」
行き場のない感傷を振り切るように、俺はレラに話を振った。
レラは、眉間にしわを寄せたまま、不機嫌な顔でそっぽを向いて返事すらしない。
「……おまえ、いつまでプリプリ怒ってんだ?」
「……なによ。最後のアレ。ばっかじゃないのっ」
まだキスうんぬんの話、根に持ってやがる。
「いやはや……すいません……青木さん。私としたことが、年甲斐もなく調子に乗ってしまい……」
「けど、レラ。場の流れっていうか、お客のニーズってものがな……」
ギロリとにらまれ、俺と先生はしょんぼり。
レラは、ひじを抱えるように軽く腕を組むと、口をへの字にし、しばらく目を閉じていた。
イタズラした子供を叱る幼稚園の先生みたいな顔が、夏の残照に光っていた。
「レラ?」
「青木さん?」
「……先生は、これからわたしたちふたりを、美味しいレストランに連れていくことっ」
レラは可愛らしい声で目を閉じたまま命令した。
それからキッと俺をにらみ、
「タキくんは、わたしをちゃんとエスコートすること!」
俺と先生は目を見合わせた。
「いい? ふたりとも、わかった!?」
レラは姫君のように言った。
「もちろんです」先生はベテランの執事のようにうやうやしく言った。「喜んで。なんでもお好きなものをごちそういたします」
俺も、王子の声で返した。
「レラ。すべてあなたの望むままに」
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