~青イナツ風2~

 小さい頃からわたしには友達らしい友達も居なかった。母親の厳しいしつけのせいか、わたしは大人しくてあまり自己主張をしない子だったし、それなのに男の子や学校の先生に特別扱いされるもんだから、同性からのウケはものすごく悪かった。

 それでも、ようやくわたしにも友達と呼べる相手がひとりだけできた。

 ミヤビっていう綺麗な名前の、見た目はガマガエルみたいなお姫様。自意識過剰で、ふたりそろった両親に溺愛されて、美術館みたいな戸建てに住んで、新品で買った高そうなお洋服を着て、絵も歌も上手でピアノも弾けて、でも唯一、見た目だけは不細工なミヤビさま。誰からも、どこか一歩引いた接し方をされるわたしにも、対等に……というより、むしろ侍女とでも接するみたいに尊大だった。

 彼女がしょっちゅうスーパーで万引きしてたのは、退屈で何不自由ない生活のスパイスとして、単にスリルを味わいたかっただけだと思う。

 まさか、お金持ちの子が万引きなんてするとは思わなかったわたしは、ミヤビの、

「ここ、うちのパパが取引してる店だから、好きなときに好きなもの持っていっていいの。そういう契約なの。でもほかの客の手前、こっそりとね」

 ……というデタラメを信じた。でも、同じ店、同じ時間帯で繰り返される単調な万引きは、張り込んでいた私服警備員にあっさり見つかり、私たちはものすごい力で腕を引かれて、タバコ臭いバックヤードに連れていかれた。

「学校とご両親と警察に連絡するからね」

 初老のガードマンはタバコを灰皿に押しつけながら、有無を言わせぬ口調で言った。

「でも、契約が」

 頭まっしろで震えながらも、わたしはなんとか弁解しようとした。ミヤビのパパが取引している店だから、お金はもうすべて払われているはずだ、と。

 ミヤビはわたしが口を開きかけたその瞬間、日ごろの強気な態度が嘘のように泣き崩れた。わたしは泣いていなかった。それだけで、まるで首謀者はわたしで、ミヤビはただ付き合わされただけの気の毒な友達、みたいな雰囲気になった。

 えんえん泣き喚きながら、「親にも学校にも言わないで! 警察もいや!」と叫ぶミヤビが気の毒で、「わたしが率先して万引きしました。友達は無理に付き合わせただけです」と言おうと決心した。事実はまったく逆だけど、それが友情というものだし、大人は(特にオジサンは)わたしに甘い、という打算も働いた。

 でも、実際は、そんな嘘をつく必要も、暇もなかった。

「この子がやれってわたしをだましたんです!」

 ミヤビがそう言って、涙目でわたしを睨み、震える指先を突きつけてきたからだ。

 当たり前だけど、自ら進んで罪を被るのと、友達と思っていた人間に売られて罪を被せられるのは、結果は同じでも意味あいはまったく違う。

 結局、思った通り、初老の警備員はわたしに甘かった。きみは万引きするような子には見えない、と言って、『やむにやまれぬ事情』を聞き出そうとした。わたしは、金持ちのミヤビに対する当てつけも含めて、「家が貧乏なんです」と言った。それだけで同情したガードマンに、「今回だけは見逃してあげるけど、もう二度としちゃだめだよ」と優しく言われてわたしたちは解放された。

 店の外で、ミヤビは卑屈な顔で言い訳めいたことをわたしの横顔に浴びせてきたけど、全部無視してやった。

 わたしが万引きしたこと、そして、ミヤビはそんなわたしにだまされて無理矢理巻き込まれたことが、いつのまにか学校中に広まっていたと知ったのはそのあとだ。言いふらした張本人は、地元では誰もが知っている会社のご令嬢。こっちは貧乏な家の子。誰もわたしのことは信じてくれなかった。ミヤビが自分を守るためにまたもや先手を打ったのだ。

 そして、この幼き日を境に、わたしに対する陰湿なイジメは少しずつ始まったのだった。

 

 いつのまにかわたしは期待するようになっていた。

「蒼きレラ」

 ……ひょっこり彼が現れて、そう、わたしに呼びかけることを。

 わたしは彼が現れそうなところを想像して、意味もなくぶらぶらするようになった。

 でも、肝心のあのテーマパークにはどうしても足が向かなかった。

 怖かったのだと思う。何が、と言われれば困るんだけど。

 マリモなんていかにもあのひと居そう、と思いながら足しげく通ってみても、なかなか出会えなかった。

「蒼きレラ」

 ――雑踏のざわめきの中、あの涼やかな声が聞こえてくる気がいつもして、これ幻聴とかってやつじゃない? とわたしは愕然とした。どうも、自分で自分を追い詰めている。それにしても、声ってすごく印象に残る。あのひとの声は特にそう。

 一向にラチがあかないから、わたしはちょうどやっていたマリモの七夕で、

『いいかげん彼に会えますように 蒼きレラ』

 と記した短冊を笹に結び付けた。急に冷静になり、カーっと全身の血が逆流しそうな恥ずかしさを覚え、いかんいかんなに書いてんだわたしはアホか、と短冊を千切り取った。

 そして、別の願いごとをあらためて書き、無記名で笹に結び付けた。

 一度結んだだけの短冊にも、ご利益ってあるのかな。

 そのあと、マリモで、私たちはついに出会えた。

「蒼きレラ」

 そう声をかけられたとき、いつもの気のせいかと思ったけど、彼はちゃんとそこに居て、例の『楽しいことを思い出して口角が自然に持ち上がっているような上機嫌な顔』で、わたしの隣を歩いていた。

「青木だってば」

 それだけ絞り出すのが精いっぱい。

 彼の横顔をちらっと見る。心臓はドクドクうるさくて、これ、音漏れしてないのかな大丈夫かな、と心配した。

「また会えたな」なんてそのひとは素直な顔で言ったけど、わたしも同じ気持ちだった。気を抜くと顔がニヤけてしまいそうだったから、顔にぐっと力を込めて、前を見つめて歩いた。気づいたら、マリモの屋上遊園地に居て、目の前に白い観覧車があった。

「観覧車乗るのか?」

「うん」

「ひとりで?」

「わるい?」と勝手に憎まれ口。

「いいや。俺もよくひとりで乗るんだ」

 切符買って。乗り場に行って。初めてだ。わけもわからず緊張して顔が強張った。

 係員に案内されるままにゴンドラに乗り込む。

 振り向くと、そのひとはちょっと楽しそうに、じっと突っ立っていた。乗らないのかっ。

 でも、少しホッとした自分が居た。そのひとは次のゴンドラに乗った。なにこの状況。

 しばらくは所在なく座ってたけど、気になって、つい窓からそのひとのゴンドラのほうを覗いてみたら、そのひとも同じようにこっちを見ていてばっちり目が合った。

 すぐに顔を引っ込めた。顔が熱い。きっと真っ赤だ。

 わたしは、すーはーすーはーと深呼吸して、息を整えた。

 次またゴンドラが平行になる前に、この顔をなんとかしないと。

 すーはーすーは。すーはーすーはー。

 そのひとはそんなわたしの無様な独り芝居なんてつゆも知らず、また目が合ったあと、何がそんなに楽しいの? という無邪気な顔で外を指さし、口をぱくぱく。

 すごくきれいだな。そう言ってるのはすぐにわかった。

 わたしもあらためて窓の外の風景を見た。

 そのひとの言った通りだった。

 福海町は信じられないほど綺麗だった。自分がそれまでそんな美しい町に住んでいたなんて知らなかった。町は何も変わっていないのに。

 きっと変わったのはわたしのほう。

 降りたあと、わたしは頭が真っ白なままもう一度切符を買おうとした。そのひとは「おまえももう一回乗るのか」とかなんとか言って、いきなりカップルチケットを買った。おまけに、今度はさりげなく一緒のゴンドラに乗ってきた。

 古臭い感じのオルゴールの曲がかかっていた。いいともなんとも思わなかったけど、そのひとがあんまり嬉しそうに聞き入ってるものだから、思わず「いい曲だね」なんて社交辞令を言ってしまった。

 すごく不思議なことが起きた。

「この曲って、なんか、終わりのない散歩道を、大切な誰かとずっと歩いてるみたいな気がしてこないか?」

 その言葉を聞いた途端、何も心に響かなかった『恋はみずいろ』が、突如、まったく違って聞こえるようになったのだ。

「夕暮れの海辺とか、雪の日の公園とか、天気のいい朝の並木道とか、場面のイメージは聞くたびに変わるんだけどな」

 その通りだと思った。もう、『恋はみずいろ』は古臭い曲じゃなかった。それは、わたしにも、巨大な夕日が沈む砂浜や、銀色の雪が無音で積もる公園や、小鳥が歌う朝の光の散歩道を見せてくれた。不思議なひとだ。言葉に妙な力がある。

 わたしはこの日、なけなしの勇気を総動員して、前々から予定していたことを実行に移した。彼に名前を聞くのだ。

 わざとなのかなんなのか、いまだ名前を教えてもらってない。

 ひとのことは楽しそうに「レラレラ」呼ぶくせに。

 わたしの大嫌いなレラ。

 でも、彼が好きだと言ってくれてから、前ほど嫌いじゃなくなった。

 つっかえつっかえ、なんとか名前を聞いたわたしに、そのひとは、

「ははは」と無責任に笑い「いや、毎回、別れたあとで、そういや名乗ってなかったって気づくんだけどな」とごまかして「おまえと居ると、話が楽しくてさ。つい夢中になって、忘れちまうんだ」なあんてことを言ってわたしをまた赤面させた。あー、この言葉もまた、耳から離れないんだろうな。

「タキ」

「たき?」

「俺の名前さ。蒼きレラ」

 タキ。タキ。タキ。

「好きに呼んでいいぜ」と彼は言った。蒼きレラ、みたいに何かないかなと思ったけれど、何も思い浮かばなかった。だいたい、蒼きレラだなんてアホっぽい呼び方をわたしが許してしまうあたり、彼は普通の男と全然違う破格の待遇なのだ。それ、わかってんのかな。

 まあとにかく、

「これで、やっと、ちゃんとした友達になれた」と私は思った。

 思っただけじゃなくて、間違えて口から出してしまった。そのせいで、その夜わたしは、お風呂に漬かりながら、それを思い出して恥ずかしくて溺れそうになる。

 別れ際、彼は、さらりと言った。

「おまえ、また観覧車乗りに来るんだろ?」

「……そのつもり」

「どうせなら、俺とまた一緒に乗ろうぜ」

「どうして?」

 わたしは聞いてみた。そのあとに続く言葉は色々で、とてもひとつには絞れない。なんて答えるんだろう。まったく読めない。

「カップルチケット買ったら、オトクだろ」

 どこか冗談っぽく、気取った調子で。

 それは、他の女の子はどうだか知らないけど、わたしにとっては、理想的な返事だった。

「考えとく」

 でも、わたしのほうは、そんなことしか言えなかった。ダサすぎる。

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