#41
夢を見た。はっきりと覚えている訳じゃない。しかし、そう悪くない夢だった。目覚め時に、ちょっとスッキリしていたからだ。
夢の中で私は頼りにされ、感謝され、大人というものの悲哀を教わった。
彼女は言った。
「男なんてみんな大して変わりゃしないのに、愛っていうのは強引に一人とくっつけたがるんだよ。恋愛っていうのは、大げさなくじ引きみたいなもんさ」
私に色恋の話はまだ早いかもしれない。恋愛哲学を語るには、意固地に守り続けている何かを捨てなければ。
私はお風呂で体を洗った。部屋風呂は狭く、きれいだった。
南の高そうな塩をふんだんに使い、体中丹念に塗り込んだ。
塩は確か、肌に良いはずだ。ここ数日、子供みたいな冒険活劇を演じていたんだ。女として、ちょっとした挽回にもなるだろう。
風呂を上がった。信じられないくらい、体が軽かった。
特に肩ね。
私は魂が抜けたように何時間もバカみたいな顔をしている南に宿泊代金の支払いを託し、お先に帰らせてもらうことになった。
私は心から南に興味が無かったので、「サラバ」とだけ告げてその部屋を去った。それくらいアッサリな方が、向こうにとっても良かったはずだ。
なんだろうこの感覚。
解放感と……なんだろ。
家に帰ったら怒られるんだろうな。
ああ、いやだいやだ。
学校の勉強にはますます付いて行けない。
不良でもないのにね。ただのダメ人間ですわ。
でもさ、私は蝶々を追いかける純真無垢な部分と、妖怪を操る魔女のような悪魔性を手に入れたんだよ。
随分成長したと思わない?
バス停で、ここ数日の間に出会った妖怪たちのことを思った。
こんな風に、人間のことを想ったことなんてなかった。
・
今日の太陽が登場する気配を、鳥たちが感じ取り始めている。
岩男は一人、不定期的に強く吹く風を物ともせず、山の中を進んだ。
山が鳴いていた。哀れな杉の木が薄雲の掛かる空を目指し、その指を伸ばす。誰よりも高く。誰よりも強く。
聞いたことがあった。アメリカ版の岩男は七メートル近くあるらしい。名前もロックなんたらと言う格好の良い名前で、時には旅人を襲ったりもするそうだ。まあ、そんなことはどうでも良い。
岩男が山の中腹くらいまで来たとき、山の精霊たちが、岩男が探している者たちはここには居ないと教えてくれた。居ない……。岩男はしばし立ち止まって考え、デカい図体を半回転させて、また歩き出した。さて、どこへ行ったのやら……。
屁女から便りが届いた。妖怪アドレスを交換しておいたのだった。
岩男は、カラスから受け取ったそれを開いて読んだ。
それによると、屁女はずっと、屁の仙人から屁の便りをもらい続けていたらしい。仙人からの情報を基に、彼女なりに情報をまとめていたのだ。情報も後半になると、屁の仙人の屁が苦痛で苦痛で仕方なかったと記してある。鼻の奥にガツンと来るのだそうだ。それなら屁の仙人を仲間に加えれば良かったのではないか。
屁女の認めた情報群の中に、岩男が必要としている物があった。岩男は、それを頼りに歩を進めた。
結構な距離を歩かなくてはならないな。
彼は多少のリスクを冒しつつ、山の麓まで下りて、人間が秘境と呼んでいるここらで一番高い山に挟まれた渓谷へと向かった。人間にとって、車の入れない場所は全て秘境のようだった。小さくて原始的な温泉でもあれば、必ず誰かがそれを自分の物のように思った。
岩男が下りた先には、畑も無しに簡易の小屋が建てられていた。岩男は小屋に近付き、辺りを窺ったが、誰の気配も無かった。戸口に立った。
「すみません」岩男は言った。その重厚な声は少々強張っていた。
「すみません」
すると、小屋の戸が僅かに開かれた。
いやに小さな妖怪が現れた。
「なんじゃ」
「朝早くに失礼ですがね、息子さんを訪ねて来たんだ」
「せがれなら今、魚を釣りに行っておる」
「なるほど……。いや、あなた方が戦争を起こそうとしていると聞いたもんで……。その件で伺ったんだ」
「戦争? はて……。わしらは、観光に来ただけじゃが」
「観光?」
「この辺りは長閑で、温泉も出るっていう話じゃからなあ。妖怪の気晴らしには打って付けの場所なんじゃ」
「はあ……。ってことは、本当にただの観光で?」
「ワシらが出向けば、どこでも騒ぐ輩がおる。気にせんことじゃ」
「なるほど。ではまあ、良い旅を」
「困ったことが言っておくれ」
「ありがとう」
岩男はそこを離れた。
次の日、岩男は港に下りた。北欧妖怪のねぐらを探ろうとして、数日前にも来たところだった。その時には見つけることが出来なかった。
地下用水路なんかに基地を構えているのかもしれないと目星をつけて、既に日の落ち始めた港を歩いた。
しけた港だ。昭和生まれの船で出て、大抵はムツやアジなんかをあげている。雲は厚くなり、太陽を失った海風は岩の体を芯から冷さんとした。
海鳥が沖の方を飛んでいた。数艘の船が波に揺れている。人の姿は見当たらない。主要な漁船は漁に出ていた。
フナムシが足元を走った。二匹ほど踏み潰してしまった。岩男は顔をしかめ、前を見ると、向こうに北欧妖怪の一団がいた。
岩男は驚いた。まさか、こうも堂々表に出てきているとは。
北欧妖怪らは十人にも満たないグループで、今まさに旅立ちと言った雰囲気だった。
その中のリーダーと思われる男。サーカスの団長風のスーツを身にまとった、ガリガリで口ひげを蓄えた初老の男を捕まえた。
「おい」岩男は声をかけた。彼なりの速足で北欧妖怪に近寄った。
「ああ。ああ。なんだ」青白い顔の紳士妖怪が答えた。
お化けにゃ英語もなんにもない。
「ここで何を?」
「ああ? なんでも良いだろう……」
「良くないな。俺の縄張りなんだ」
「そんな見た目の癖に、知性はあるようだな。これも収穫だ」
「俺たちの平穏を乱すつもりなら容赦はしない」
「そんなんじゃない。ああ。ああ」その妖怪は一秒の早業でタバコを取り出し火を点けた。「まあ、今となってはな」
「どういうことだ?」
「帰るんだ」
「帰る?」
「全欧妖怪センターから恩赦が出たのでな。クルーザーで都まで出て、そこからコンテナ船に乗るつもりだ」
「センターってのは……」
「ろくろ首というものを見たかったのだが、我慢する他ないな」
「俺も見たことないな」
「そうか」
「ああ……」
「まあ……じゃあな、今度来るときに何か持って来てやる」
「外国のことは分からないんだ」
「適当に見繕おう」
「どうも」
程なく、クルーザーは出港し、港には静寂が戻った。
岩男は海沿いを歩き進め、温泉街に近い海岸に向かった。
目的地に着いた頃には日が落ちていた。人間に見つからないよう注意して移動したわけだが、もしかしたら影や残像くらいは見られたかもしれない。
まあ、構わない。
日が落ちてからは雲が晴れた。少々波は高いが、船旅にはそう悪くない気候だ。
大きな岩場に出た。海と切り立った岸壁に挟まれた場所で、岩の窪みに水たまりができ、そこには小魚や蟹が棲んでいる。悪い足場と押し寄せる満潮と毒のあるウニは人を遠ざけ、ここも人目に付かない場所の一つとなっていた。潮は六分か七分と言ったところ。岩男は岸壁沿いを歩き、ある岩に手をかけた。大きな岩だった。
「よいしょ」
あまりにもあっさり、大岩は転がり、背後に隠れていた闇が這い出してきた。
這い出してきた黒い闇は塊となって、音もなく蠢いた。
岩男はその黒い塊を促し、岩場につないであるボートに乗せた。そしてその後に、自分も乗り込んだ。
ボートはグッと沈み、木は軋み、今にも海水が入って来そうだった。
岩男はオールで力強く海を追いやった。
「さあ行こう。どこまでも。二人旅だ」
そして鼻歌を歌い、月を見上げ、ここ数日間のことを思い返して笑みを浮かべた。
『さらば愛しき妖怪』
END
(to be continued ?)
さらば愛しき妖怪 美味なめたけ @mitomitoamito
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