#26
ツチニョロンの先導で街を出ると、高速につながる国道沿いを延々と歩いた。
高速へは、長い長いトンネルを抜ける必要がある。海岸沿いにずっと走って行けば隣県に出るが、あまりにも遠回りなので地元の人間しか使わない。ここの人間は皆、山と生き、山と戦い、山に突っ込み、山から逃げるようにして暮らしていた。私たち一行が国道を山の方に向かって歩いていると、犬という犬が例外なく吠えた。彼らは、何かを感じ取っているのかもしれない。
私は最近本を読んだ。カフカっていう顔の濃い外国人が書いた、奇妙な本だ。薄いから簡単に読めるだろうと思って買ったら、まあ、確かに読めた。ネット上の友人に薦められた何とかっていう人の本は、難しすぎて全く読めなかった。でも表装が奇妙で気に入ったので、とりあえず部屋に飾ってある。
カフカの本を読んだ効果で、私はこの状況を受け入れられているのかもしれない。それはそれは、奇妙で、恐ろしくて、滑稽な物語を読んだものだから、感覚がどこかおかしくなってしまったのかもしれない。自分の前を歩く、カエルのような、わらび餅のような生物を見た。誰が、この生き物が日本語を話すなんてことを信じるだろう? こんなものに先導されて歩くなんて、古い子供向けのアニメだけかと思っていた。不登校で希望の無い現実と、こんなふざけた集団で行進する現実が同じ物だなんて!
バカみたいに大きなトラックがすぐ横を、法定速度の二十キロオーバーで去って行った。一行は一ミリだけ、道路側に引き寄せられた。交通整理にはほとんど意味をなさない信号機が、いたずらに無実の人々を足止めした。ヤマドリの甲高い鳴き声が雲を劈いた。冷たい風が肌を引き締め、筋肉が小刻みに震えながら必死に発熱して、頭の毛がキュッと逆立った。妖怪が近くにいると毛が逆立つんだっけ? そんな話を聞いたことがある。
「た、多分、待ち伏せがいち、一番良いと思う。む、も、向こうから、ゆ、寄ってく、来てくれるんだからな。い、い……良いに決まってる」
ぺっちぺちの母さんが、ぺちぺち音を飛ばした。ぺちぺちと音は野を越え山にぶつかり、そのまま返ってきた。
「どこで待ち伏せるの?」
「どこかで待ち伏せるのか? 妖怪を?」
「ぬぁ、長く居られると、ころがう、良いな。っ、公園とか」
「やだなー、寒いし。漫画喫茶に行かない?」
「漫画喫茶に行くの?」
「漫画喫茶に行くのか?」
「ど、どこでもいい」
「じゃあ、とりあえず行こうよ」
地元密着型のカラオケボックスを通り過ぎると、左に折れて路地を進んだ。駅に近い繁華街の片隅を目指すわけだ。
市内に一件だけの漫画喫茶。店の競争相手は居ないものの、若者の絶対数が少なく、色濃い近所付き合いの生きている田舎町では、漫画喫茶と言うシステムは本領を発揮できないようだった。寂れた繁華街の片隅、地下にある居酒屋と個人経営の進学塾のビルに挟まれて、どうにか潰れないようにと互いに支え合っていた。
南にとって、漫画喫茶は第二の我が家みたいなものであったようだ。妖怪どもがぼーっとして、そこらにある偽の観葉植物や明快な料金表を眺めているうちに、さっさと手続きを済ませてしまっていた。私も一応カードは持っていた。勿論別の部屋にした。
学校をサボった時に、何度か漫画喫茶に来たことがある。図書館に行くこともあったが、図書館には漫画が置いていないし、ライトノベルも数えるほどだし、誰か知り合いに会うこともあって気まずい。
図書館で真っ昼間に会う知り合いと言えば、大抵が厄介なおじさんで、思ってもない時間に若い女に出会えたからかどうか知らないが、やたら馴れ馴れしく、昔の自治会や祭りでの出来事を話してくるのだが、私には全く身に覚えがない話ばかりで鬱陶しい。早く死ねと思う。
なので仕方無く、安いが有料には違いない漫画喫茶に出向くことがあったのだ。漫画。漫画。世の中は漫画だ。日本の小説は漫画に劣っている。多分、才能の有る空想家が全員、漫画やアニメの業界に流れているからだろう。漫画はすぐに読み終わってしまうから、きっと、より多くの人材を必要としていて、それを確保しているんだ。漫画喫茶には、大量の漫画がキッチリと本棚に並べられていた。
「じゃあ、三時間後に待ち合わせよう」
南は早速、本棚に向かった。お目当ての作品があるようだ。私はドリンクを用意して、パソコンをいじった。動画サイトを閲覧して、いつも出入りしているサイトをチェックし、漫画を持って来て読みまくった。すると簡単に二時間くらい経過していた。ああ、恐ろしい恐ろしい。
呟きながら漫画を探しに行った。ドリンクのおかわりと、カップラーメンを買った。昼食は少なめだったし、夕飯を控えればカロリー的にはつじつまを合わせられるだろう。
手に取った漫画は、古い作品だった。普段なら絶対に読んだりはしないジャンルの漫画だけど、今は「普段」ではないのだ。何でも受け入れられそうな、というより、ぬるま湯が肌に合わないような……心が熱を帯びているので、思い切って冷水を浴びせてやりたいような気分だったのだ。
昔の漫画は線が太く、美少年美少女はなかなか出てこない。しかし、慣れたらどうってことなかった。何かを突き破ろうという熱意が伝わってきて、最近の漫画と比べると逆に斬新だった。面白かった。バラバラにつなぎ合わされた身体の女の子が出てきた。女の子は、実の姉妹に妖怪扱いされるのだ。それでも明るく、力強かった。私は、漫画では主人公よりも脇役に興味を惹かれる。主人公は、作者が描きたい性格を持ち、描きたい行動を取る。脇役は、ある程度いい加減な部分があって、物語に翻弄されるのだ。そっちの方がリアルで、人間臭かった。
気づいたら三時間経っていた。何かに没頭すると、目覚めたばかりのような感覚になる。脳みそが三時間正座していたみたいに痺れていて、しかも夢を見ている。私は現実を取り戻そうとして、周りを見回した。妖怪たちは見当たらなかった。
席を立ち、何気ない素振りで辺りを探した。ひきつき坊は直ぐそこの椅子に座っていて、私を見つけると何も言わずに付いて来た。ペッチペチの母は入り口付近のベンチに座っていた。南が本を返却に行く後ろを、ツチニョロンと屁女が付いて来ていた。南は一人でいるつもりらしいが。
みんな揃って、店を出た。もう夕方。凄いスピードで、でっぷりと太った太陽が、背の低いビル群を巻き込んで沈んで行く。
「そろそろ帰ろうか」私は言った。
「そうだね」南が返事した。
「また私、旅館に泊まれるの?」
「話はしてあるよ。一週間くらいは平気だと思うよ」
「一週間も家出は、さすがにまずいかもしれない」
「そっか。まあ、おはぎを探し出すまでだよ」
「おはぎ? あ、ラグレグか」
「うん」
「ラグレグ!」
漫画の幻想が吹き飛ばされ、私は、自分たちが実に無駄な時間を過ごしたのだという後悔にぶつかった。三時間! いや、それだけじゃない。移動も含め、午後のほとんどを無駄に過ごしたのかもしれない。
「あんな漫画喫茶なんかにラグレグが来るわけないじゃん! 誰、漫画喫茶に行くなんて言ったの!」
「果歩ちゃんじゃない?」
「私だ!」
情けなさで涙がちょちょぎれた。あまりに勉強しなかったせいで、脳みそが訛り切っているのだ。おかしいな。携帯のパズルゲームでコツコツと知識を積み重ねているし、カフカの本だって読んだのに。
「今からでも、少しでもいいから、出そうなところに行って探そうよ」
「出そうなところってどこなんだ?」
ヒッキーがツチニョロンに聞いた。ツチニョロンは「ハッ」と驚いて、落ち着きを取り戻すと、「わ、分か、分からない」と言った。
「分からない?」
「わ、分からない。じ、実際に見、む、見たことないしな」
「でも、私たちを先導してたじゃん」
「え、分からない」
ああクソ! どうしてこうもモタモタして進展しないのか!
しかし、どこに怒りを持っていったら良いのか迷ってしまった。漫画喫茶と言い出したのは自分だし、確かにツチニョロン問題児だが、屁の仙人とやらにも任命責任がある。南は役立たずで、ペッチペチの母は、自分の娘が行方不明だというのに、あまりにも他人任せではないか。そんなことを考えていると、脳は空回りして熱を放出してしまい、後には沈殿した脱力感だけが残った。
「旅館に帰ろう」
南に言った。
「あ、そう。ダメだったんだね」
「ダメだった。あ、そうだ。岩男さんのとこ行こう」
南は嫌そうにしていたが、反対も出来ず、みんなで岩男の居る石切り場に向かった。
夜になると、南にはその姿が全く見えないようだった。岩男は、夜空をじっと見ていた。全く、微動だにしない。本物の岩のようだった。
詳しい事情は話さず、結果だけを岩男に伝えた。
「また明日頑張ります」
「そうか。俺は明日、海に行く。娘さんが見つかったら教えてくれ。暗くなったらまた、ここに帰っているから」
彼はそう言って、空に目をやった。どうもなにか、隠しているように見えた。
旅館に戻った。道中妖怪たちはそれぞれで雑談したり、通りすがりの人間に興味を惹かれたりして、傍から見れば気楽そうに見えた。しかし、ラグレグや娘のことに固執して、神妙にしなければという私の人間的な考えがおかしいのかもしれない。
ツチニョロンは外で眠ると言って、建物内には入ってこなかった。落とし物を見つけたら教えてあげよう。情が湧いてきたのかな。単純な人間だ、私は。
部屋に戻って、洗面所で歯を磨いた。
一瞬のこと、鏡越し。肩の後ろに、幽霊が見えた。
花柄水着の、バブリーな風体をした幽霊だった。
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