#27

 南直行は参っていた。自分よりも困難な状況に居る女の子の手前、なるべく参った表情を見せないようにはしていたものの、実際は心が折れそうだった。

彼は、妖怪の気配を感じられるようになっていた。何となくというレベルではあるが。目に見えぬ気配は気持ちが悪い。

 それに……これが心に一番こたえているのだが、岩男を見たトラウマが胸にこびり付いていた。デカく、恐ろしく、この世のものとは思えなかった。自分でも情けないとは思ったが、恐怖は仕事への情熱や使命感よりも力を持っていた。勇敢になどなれなかった。

 まあ、それでも頑張れている要因の一つに、近藤果歩に対しての好意があった。その感情は、降って湧いたように突然現れた。一目惚れとも言えないが、これは恋だった。旅館で二人きりという環境が、その感情を生んだのかもしれない。不純だと言うならば、その通りだろう。しかし、不純だとたしなめられて消える愛なら、そもそも燃え上がったりはしないのだ。

 そして仕事。今までの多くない除霊経験で物を言わせてもらえるならば、こんなに他人任せの仕事は初めてだった。大事な仕事道具を忘れた挙句、全く、ターゲットがどこに居るのか、どんな奴なのかという調査も、果歩やその取り巻きに任せっきりで、自分は姿の見えない妖怪どもに気味悪がりながら付いて歩くだけだった。

 先に依頼内容を具体的に聞いておくんだったな。除霊の仕事と言えば、場所や人に取り憑いた幽霊を落とすものだと思い込んでいた。まさか、探すという工程が入って来るなんて、思ってもみなかった。

 思えば、もともと塩だって他人がせっせと浄化した塩だ。自分はなんにもしちゃいない。電車を乗り継いでこの村までやって来たことだけが、南が大人として立派に成し遂げた仕事だった。

 南は布団に入り、天井を見上げていた。Tシャツにハーパン姿で眠るのが日常になっている。旅館で普段着と言うのも雰囲気が無いが、浴衣では上手く寝付けなかった。子供のころは、かわいいパジャマを着させてもらったものだった。今は年中、くたびれたジャージかTシャツだ。寝具は、その人間を表すのだろう。

妖怪……。実のところ南は、三度妖怪を目撃した。幽霊の可能性もあったが、果歩としばらく行動を共にしている内に、妖怪だったと確信した。一度目は、この旅館に来てすぐ。若い女だった。猫背気味。黒髪で、古臭い格好をしていた。その女を見てすぐ、南は、果敢にも女が消えたテラスを覗き見たが、すでに姿は無かった。二度目はあの岩男だ。ショックだった。夜の海。束の間、確かに姿を確認したものの、その迫力と人間離れした姿に失神してしまった。岩男に限っては、旧採石場でもその影を見た。三度目は昨日の夜。夜中にふと目を覚ますと、部屋の入り口付近に気配を感じた。そっと、目を開けて見た。最初に見たのとは違う女だった。年齢は四十代ほど。しかし、子供のように小さく、ああ、また見てしまったと思って、南はどうにか努力して心身を落ち着かせ、まぶたを閉じ、まぶたの内側にある見えざるシャッターをグイグイと閉じ、眠った。


 夜は更けて行った。妖怪は姿を見せない。姿を見たくはないが、いつ出てくるかという緊張状態が続くのも辛い。告白の恐ろしさと、片思いのもどかしさに似ている。いや、似ていない。何を考えているんだ? 南は自問を続けた。塩を取りに帰ることも考えた。南としては、自宅に塩を取りに行く方が楽だ。しかし、一日を棒に振るだろう。一日くらい棒に振ったっていいじゃないか。果歩ちゃんに全部任せて? 無責任すぎやしないか? いや、あの子には心強い妖怪たちが付いているじゃないか。彼女は許してくれるだろうか? どうだろうな。恐ろしいところに考えが及んだ。もしも彼女が、ラグレグとかいう妖怪に食べられてしまったらどうする……。いいや、そんなことがあり得るだろうか。では、あったとして、僕が残ることでそんな事態を阻止出来るのだろうか? 僕には何もできやしない。でも、彼女の親族の方には説明できることだろう。自分だけが知っている真相を話すことが出来る。妖怪に食べられましたって? 誰がそんな話を信じるんだ、バカらしい……。でも、いや、どうだろう、やっぱり、その妖怪を見つけたとして、退治できなければ意味が無い。やはり塩を取りに戻ろうか。うん、そうだな。心配ではあるが、とりあえず一旦帰らせてもらって、その内に何らかの形で諸々解決していたら、それはそれで仕方ないということだ。第一、大事な仕事道具を取りに戻るという男に対して、引き留めようなんて思うわけがないのだし、そんな権利は誰も持ち合わせていないのだ。

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