#2


 その朝は、冷たく湿った空気が岩々を芯から冷やす晩秋。どんよりとした曇り空の雨上がり。虫は土から這い出て辺りの様子を窺った。人間は虫と同じように窓から顔を出し、駆け足で流れる雨雲を見上げた。


 彼は崖の上に、岩のように座っていた。彼は岩男(いわおとこ)と呼ばれていた。見た目は岩のようだった。しかし、直接誰かに岩男と呼ばれたことは、まだない。


「ここらじゃ昔から、岩男が出るって話があるんだ」


 人間たちがそう、噂をしているのを聞いたのだった。彼はその名を聞いて、嬉しいとも悲しいとも思わなかった。気に入った訳ではないが、拒絶する訳でもなかった。だから、とりあえず自分の物にした。


 眼下でトンビが旋回していた。トンビがゆっくり空を滑る姿を追っていると、その背景にある雄大な雲海の景色に吸い込まれそうだった。人間にとって自然とは愛するものではない。畏怖の対象だ。岩男はそう考えていた。だから人間は、本能的にそれを遠ざけようとしたり、擬人化して信仰したりするのだった。


 この山。地元の人間からゴンキッさんと呼ばれている天辺禿の大きな山にも、一本の舗装された道路が走っていた。そこを通る車の多くは、運送や土木のトラックだった。ひと昔前は、ルーレット族と呼ばれる若者たちが、自慢の改造車を走らせたりもしていた。

 しかし、じきに居なくなった。取り締まりや死亡事故も原因の一端ではあったが、要するに、面白味に欠けていたのだ。道路には、色濃いタイヤ痕だけが残った。

 岩男の位置からでは、糸のように細く伸びた道路が一部の区間だけ見えた。トラックが二台と乗用車が通って、珍しい形の車が通ったな、などと考えていると、その道路にゆっくりと動く一団が現れた。蟻のように見えるが、確かに二本足で歩いているようだ。

 岩男は息をひそめた。

 徒歩で、あの山道を闊歩する人間なんて稀だ。ここ一年以上は一人とて見ていない。

 岩男は興味を引かれた。

 一団は五人、ないし六人。風船のような物を持っている。いや、風船ではない。布か? 布が頭上に浮いている。


 岩男は、思い出した。

 聞いたことがあった。エリート妖怪の噂だ。


 エリート妖怪の集団は、リーダー牽引の下でその都度多様なチームを組み、人間妖怪関わらず悪者を討伐して回っているらしい。酔狂なことだと一笑に付することもできるが、確かに妖怪というものは命が長い分、退屈にも浸りやすい。命の危険があるにせよ、そのようなスリルの中に、勧善懲悪といった環境に身を置けるのは、彼にとっても羨ましく思う部分があった。

 まだ確信は無いが、恐らくはそのエリート妖怪たち。そんな奴らが、こんな片田舎にまで足を運ばなければならないとは、いったい何事だろう。


 しかし岩男は考えるのを止め、空を見上げ、夜を待った。

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