#12
『ミナミ・ワールド・ゴーストハント・センター』
一軒家の小さな門柱には、元は白で今は灰色、四隅が捻じ曲がり茶色く錆びているアルミかなんかで出来た看板が掛かっていた。築三十年超の民家。外観は薄汚れた印象もあるが、特別ボロで汚らしいわけでは無いので、オカルトの雰囲気作りにもなっていなかった。
南直行(みなみなおゆき)は部屋に篭り、新たに送られてきた心霊現象の資料を閲覧して考察し、ファイルに纏めたり和訳したりしていた。それが、彼の主な仕事だった。
たまには除霊の仕事も入ってきた。
除霊には、特別な塩を用いた。海外の通販サイトで手に入れたものだ。フィンランドで有名な、南も尊敬する霊能者がネット販売しているもので、普通の塩と比べるとウッカリゆで卵に振りかけることも出来ないようなバカみたいな値段がした。
しかし、塩は確かに効くようで、前に、取り憑かれてパピプペポでしか喋れなくなった女子大生を除霊したときも、この塩を適当に掛けてやったら効果があった。
その女……。女は美人というわけでも無いが、魅力的だった。身体の出っ張った部分のせいで、そう見えたのかもしれない。その子は、女友達に付き添われていた。
「ぽぽぴぷぽぺぱぴぴぱぷ」
「よろしくお願いします、って言ってます」
「なるほどね……。あいうえおって言ってみて?」
「ぱぴぷぺぽ」
「へえー……」
「旅行先のホテルで突然こうなったんですよ。本人も、ホテルの部屋で霊を見たって言ってるんで、そのせいだと思います」
「君は、この子の話を聞き取れるの?」
「今は大体わかります。最初は筆談とかして……」
「ぱぱぴぴぱぺぱぱぷぱぽぺ」
「そんなことないよ」
「なんて言ってるの?」
「私は字が下手だって」
「ふーん」
「ぱ!」
「どうしたの?」
「ぷぺぱぷぷぴぴぺぷ」
「あ、胸が苦しいって言ってます! たまにこんな症状が出るんです! 助けてあげて下さい!」
「そうだな……。あれをやってみよう」
かっこつけてみたものの、塩を振りかける以外に除霊の方法など知らなかった。
南は、極力もったいぶって塩を取り出した。
「これは……私が三年かけて霊気を混ぜ込んだ特別な塩です」
「三年……」
「胸が苦しいっていうことだから急ごう。ちょっと儀式をするから、あなた、そこに座って」
南はパ行の霊に取り憑かれた女を座らせると、適当に口上を述べて女の頭に手をかざした。塩を摘まんで、手の平で擦るようにしながら女の頭から背中にかけて振り掛けた。顔のほうにかけると、目に入って沁みる可能性があるからだ。
「エイッ! エイッ!」
大声で気合を入れると傍観者は驚いて、一瞬強く目を瞑った。静寂が訪れた。そろそろ良いかなと思い、南は女の肩をポンポンと叩いた。正直、それで霊が取り払われたか否かは、南本人には知りようが無かった。どうか、パピプペポ以外の言葉を発してくれ……。そう、強く祈った。
「目を開けて」
女は目を開けた。
「どう?」
「あ。あ」
女は喋った。
「喋れましパ」
それでもう一回除霊して、女はパ行の幽霊から解放された。女子大生二人は、なけなしのバイト料で安くない料金を払ってくれたが、南は、もうこういったハッキリした症状のある除霊を引き受けるのはやめようと決意した。肩が重いだとか、やたら不運が続く、くらいの方がやりやすい。鼓動はいつもよりも速く打っていた。
だから今、こうして淡々と心霊現象に関しての資料をまとめ、研究を行うことは、大抵の場合は儲からないし、大抵の場合は退屈であったが、満足出来るものだった。
しかしながら……。今回、アメリカの農村で記録された心霊現象は衝撃的だった。アメリカ白人の友人グループが車内からデジカメを回していた。辺りは暗く、ほとんど何も見えない状態だった。おおよそ百五十キロで飛ばしていると、遠くにぽつんと明かりが見える。民家か、ガソリンスタンドか、なんらかの駐在所なのか。そして、高速でそれが過ぎると、次の明かりが見えるのに数分から十数分かかることもあった。アメリカの田舎は想像を絶する。
二対二で、少年と少女らは何やら談笑している。ハイテンションは酒のせいだけじゃ無さそうだ。ブロンドの逞しい女が言う。
「今、道端に誰か立ってなかった?」
まさか。
ということで走っていると、運転している男が前方に人影を認める。こんな場所に人が立っていることを不審に思ったのか、運転手は車を止め、声を掛ける。そこに立っていた黒髪の女は、ワンピースとポンチョを合わせたような不思議な出で立ちで、声を掛けてもじっと下を向いたままだ。同乗者が気味悪がったので運転手が諦めて車を出そうとすると、女の首が落ちる。車内は絶叫に包まれて車は急発進。カメラは転げ落ちて二回転すると、赤く可愛いスニーカーを映す。カメラが拾い上げられ、猛スピードで遠ざかる。女の絶叫が止まない。カメラが女を映すと、その腕に生首が噛み付いていて……。という内容だった。
しかし、最近は兎角、作られたホラー動画が多い。
視聴数稼ぎや自主制作映画の宣伝代わりに、こういった映像を動画サイトにアップする場合もあるし、単に趣味でという場合もある。
それを見分けるのも、南の仕事の一部だった。
さっきの動画には加工の痕がなく、偽物だと証明することが難しかった。調べると、車中でデジカメを回していたのも、以前あの辺りでUFOを目撃したからであって、されていた会話も確かにUFOに関する内容だった。それはそれでバカバカしいが。
また、女の腕には歯形が残り、医者にも診てもらっている。それは確かに人間の歯形で、全治一か月のかなり酷い物だったらしい。
南は、その歯形が欲しかった。
自分の腕に、そんな歯形が付いているとしたら……。そうであれば、もしもテレビや雑誌の取材が来たときに、「パ行しか喋られなくなった女を除霊したことがあります」なんてことを話さずに済む。腕を出して、あの動画を見せれば良いだけだ。南は羨ましかった。
彼の両親は亡くなっていた。
多分今頃、南直行よりも向こうの世界について詳しくなっているはずだ。両親の居なくなった家は、魂の抜かれた母親に似ていた。家にいると、開放感と虚無感に襲われた。寂しかった。十年も前から、家におかしな看板を掲げて申し訳ないと思った。生前母親が、近所の子供にゴーストおばさんというあだ名を付けられたのは僕のせいだ。それに、こんな仕事をしているというのに、全く死後の両親と意思疎通が出来なくて申し訳ない……。
でも、霊と自由に交信できる人間なんて、世界に数えるほどしか居ない。息子を恨まないで欲しい。そりゃ世の中には、霊と会話が出来て除霊ができて透視が出来て占いみたいなことが出来るという人間がいるが、あれは全くの嘘だ。なぜなら、交信も除霊も透視も占いも、それぞれ全く別の能力だから。動物の言葉が分かって動物を自由に操ることができて動物の飼い主や寿命を言い当てるような人間が今まで居ただろうか? 居なかったのなら、幽霊に関してはもっと可能性が低いはずだ。だからなんだっけ? だから、こんな、無駄で無力な息子を許して欲しい。
魂の抜けた家で、南は淡々と仕事を続けた。
メールが届いた。
除霊やお清め関係の依頼は月に一件あれば良いほうだが、塩のおかげで評判は高まりつつあった。メールの内容はそういった類の依頼で、しかも、ある町の自治体から直々のメールだった。
ああ、僕は上手くやれるだろうか。だって、こっちの切り札は塩しかないんだ。
毎回の不安だった。毎度のことで、つまり、南はこういった仕事には向いていなかった。失敗しようが何しようが、胸を張りながらウヤムヤに出来る図太い人間が、この世界には向いているように思えた。
南はそういった性格とは程遠かった。
自治体って、どのようなものだろうか。杞憂した。聞いたことの無い町だが、どうして僕のことを知ったのだろうか? しかし、そうだ。今までに無い規模の報酬が期待できる。名も売れるだろうな。それだけに、しくじったら大変なことだ。しくじるか否か、塩のみぞ知る。
うじうじと考えながら、旅支度を終えた。隣県まで行かなければならない。デジカメにメモ帳。買ったばかりのノートパソコン。
着替えはどのくらい持っていこうかな? 一日で終れば助かるんだけど。心霊現象っていうのはこちらのスケジュール通りには現れてくれない。日にちが伸びれば報酬は増える。しかし、集中力は切れるし他の仕事は何もできないし居心地は悪くなるしで正直しんどい。
よし、下着は三着もあれば良いだろう。足りなくなったら買えば良いんだ。下着を切り刻まれることもないだろうから、足りなくなったら洗えば良い。なじみの枕を持って行きたいが、邪魔だろうな。ポケットティッシュも三つ持って行こう。無くなったら買えば良い。音楽プレーヤーも用意した。殺虫剤は? 向こうは虫が多そうだ。でも冬場だから、そんなには多くないか。必要なら買えば良い。漫画を持っていこう。昨日買ったやつ。直ぐ読み終わりそうだけど、読み終わったら新しいのを買えば良い。後は……。
そして南は旅立った。
彼は塩を忘れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます