#20
いかにも金をせびりやすそうで、実際にせびった相手の名前は南と言った。
冴えない大人しそうな……何て言うか……金をせびりやすそうな平凡な男だと思っていたら、話を聞く限りかなり癖のある男だった。
バスの中で聞いた話によると、彼は心霊研究をしていて、この町のどこに居るとも分からぬ悪霊の除霊を頼まれたものの、彼自身に霊感はなく、しかも、頼みの綱である強力な除霊用の塩を家に忘れてきて、二進も三進もいかない。にも関わらず、豪邸でお茶を飲み、温泉宿まで用意してもらって存分に満喫してしまった為に今更引き返すことも出来ず、さあ困ったぞと、今朝になってやっと真剣に考えた結果、とり急ぎデパートへ塩を買いに行こうという途中に、心神耗弱の女子高生に声をかけられたというバカみたいな経緯で夏帆の前に座っていた。
「この町で暴れている物の正体だけでも報告できれば、何とか面目が保てると思うんですよ」男、南直行は言った。「二人で何とか、協力してがんばれないかな」
「はあ、どうでしょう」
「ところで、本当に幽霊は見えるの?」
「とりあえず妖怪なら……」
「どんな幽霊か聞いた方が良いんじゃないか?」ひきつき坊が言った。
「どんな幽霊なんですか?」
「なんか、農作物を荒らしたり」
「農作物?」
「あとは、交通事故だとかを引き起こしたり……。そうだ、運転手がその幽霊を見たっていうので、なんだっけな……。おはぎの……おはぎが巨大になった感じの幽霊らしくて」
「知ってる! 畜生! 知ってる!」
果歩は叫んだ。うんざりしていた。魔物だ。悪い妖怪だ! あれは魔物で、魔物が私とこの男を引き合わせたのだ。運転手さん、騒いですみません!
バスは、けったいな坂道の中途にある無人のバス停で、出発時間まで停車していた。今にもあの化け物が乗り込んでくるような気がして、果歩は窓から外を窺った。
「ねえ……知ってるって?」南が言った。
「なんなら今、そいつを探してるんです」
「え?」
「おはぎ。大きなおはぎです。いや、大きなおはぎではないと思うんですけど、そんなやつを私が目撃して……それで、妖怪のお母さんの娘さんが浚われて、それで、私の恩人の妖怪さんがそのお母さんの妖怪さんの手伝いを、妖怪さんではない私さんに頼んで、それで太陽さんが昇ると同時に……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて。君が妖怪さんなのは分かったんだけど……」
「私は妖怪じゃないです!」
「ああっ! ええと、もう一回いい?」
果歩は話を一度頭の中で順序立て、身振り手振りを交え、座席のクッションを指先でなぞって登場人物を分かりやすく示し話したが、いまいち理解してもらえなかったのでもう一度話した。
「なるほど」
南は言ったが、まだ理解しきれていないのは明白だった。
DHA摂ってこい!
ともかく、二人は互いに出来る範囲内で協力し合うことを約束し、バスは走り出して、ひび割れた坂道から退屈で平坦な道に出た。
道が変わると信号が増え、商店が増え、人が増えて風景の見通しが悪くなった。
畑が減った。
鳥が減った。
人間のための環境が形作られて行く。
人間の理想郷は大都会にある。天国には無い。天竺にも無い。どこぞの聖地にも無い。南の島にも、マチュピチュにも無い。
理想郷は大都会にある。しかし同時に、人間の理想なんて穴だらけの愚かな空想に過ぎないのだと証明もしている。
小さなビルとビルの間に、ちゃちな鳥居が嵌め込まれている。大きな神様、偉い神様、小さな神様、平凡な神様。神様にも色々ある。優劣がある。私は小さな神様に作られた人間だ。果歩は思った。私は、あの鳥居から這い出てきたんだ。日光に行ってみたい。東照宮に行って、偉い神様を見てみたい。偉い神様に作られた人間に出会ってみたい。岩男さんは大きな神様に作られた妖怪だろうか? ヒッキーは小さな神様に作られたに違いない。私とヒッキーは、本当は似た者同士なのだ。纏わり付かれているのではなく、私がこいつを呼び込んだのかもしれないな。
ひきつき坊は小さな鳥居を眺めていた。死んで十日目の魚の目をしていた。
バスは駅前についた。ここが、この町の、未だ果たされぬ理想郷。大型デパートと小ぢんまりした古本屋が共存する場所。
駅に着くと南はさっさと降りて、頼みの綱である塩を買いに行った。
今後の仕事の為に、連絡先だけは交換した。
同級生ともロクに連絡を取らない果歩にとっては、勇気のいる、不快指数の高い行為だったが、仕事上のパートナーなのだからこれくらいは仕方ない。何かを得るには、それと同等のリスクが必要なのだ。南は五千円だけどお金も貸してくれたし、必要があればもっと貸してくれると言うし、仕事が上手く行って報酬が入ったら何割分かを分けてくれるらしい。
良い条件だった。
やったぜ!
ああいう心霊物の詐欺っぽい仕事って、成否が曖昧なくせに、やたら報酬が良さそうなイメージがある。これは期待できるぞ。
果歩は、冬に向けて欲しかったコートだとかブーツのことを考えながら、千円の下着と靴下と歯ブラシに飲み物にパンを買った。
「こんなところに来るもんじゃないなあ」ひきつき坊が言った。
「なんで?」
「おいらはストーカー気質だから、人混みは苦手なんだ」
「ヒッキー。今の問題発言だよ」
買い物を済ませて店の外に出た。
南を待った。電話が掛かってきて、嫌々出て居場所を伝え、電話のタイミング一つ取っても気が合わなそうな男だ、などと理不尽なことを考えながら、この町で間違いなく一番人の集まる繁華街の様子を……繁華街と言うには些か控えめな人の流れを眺めていた。
二十分近く待っていたというのに、南は悠長に歩いてきたので、果歩はまたイラッとした。外見もそうだけど、こういう性格だから、恋人も友達もできないのだろう。
南の持つビニール袋には塩が入っていた。袋詰めされた一キログラムの塩だ。あんな物が除霊に使えるのだろうか? 食事に塩っ気が足りない時は貸してもらおう。
ひきつき坊は傍らで何もせず、言わず、気配を消していた。わき腹にあるホクロのように、全く自分というものを消せるこの妖怪を恐ろしいと思った。
南は、「さあ、これからどうしたら良いんだ?」というような顔で果歩を見た。果歩は、「ところで、これからどうしたら良いんだろう?」という顔で南を見た。
仕方がないので、互いに自分の置かれた状況を確認し合った。
南が高めの旅館に泊まっていることを知って、空き家で一晩を明かした果歩は嫉妬した。なんて世の中だろう。私とこの男、どちらを庇護すべきかなんて子供でも分かる。なのに、神様は分かってくれていないのだ。ああ、私の小さな神様……。
果歩の現状は、大方南には伝えてあった。お金を借りる時に、同情を引くためにベラベラ話したからだ。
お互いに話すことが無くなると、別れた。それぞれの準備が出来たら、明日にでも会おうと約束した。
果歩は空き家に帰った。この田舎町には、なんらかの理由で誰も住んでいない一軒家が点在している。多くは家主が失踪だかご臨終して、放置されている一軒家。しかし、たまに、ワンシーズンだけ帰って来るような家もある。そこに忍び込めれば、セコムが付いていない限りは快適だった。
この家に家主は居ないようだった。でも、何年も放置されてきたと言うわけでは無さそうだ。
寒かった。石油ストーブが置いてあった。説明文を読み、火種を探し回ってライターを見つけた。点火した。点いた。すぐに消えた。もう一度点けた。鉄の網が真っ赤に焼け、遅れて直接的な熱が肌に当たった。燃料は、今日一日くらいは持つだろう。持って欲しい。それ以降は、また考えよう。
留守番係の岩男は、部屋の隅にじっと座っていた。じっとすることに慣れているようだった。何も考えていないように……一体の石像のように見えた。あんなに大きくて、よく廊下を通ってこられたものだと、改めて不思議に思った。
「あの」果歩は言った。
「なんだ?」口も動かさずに、岩男は返事した。
「これって、解決までにどれくらい期間が掛かりますか?」
「分からない。一日か一年か。見当がつかないんだ。でも、なるべくなら君に迷惑はかけたくない。人間には関係の無いことだからな」
「でも、関係あるみたいですよ。さっき会った人が、ここの町から除霊の依頼を受けたらしくて、その霊っていうのが、どうやら黒い塊のお化けみたいなんですよ」
「そうか。そうか。ありがとう」
岩男は信用できそうだった。彼からは、欲というものを感じなかった。欲が無いから信用に値するという
わけではないが、欲に取り憑かれた人間よりは無害だと思えた。思慮深く見えるし、それ以前に自分のピンチを救ってくれたのだから、多少リスクがあろうとも力になるのが義理ってものだ。
「ペチペチの、あのお母さんは?」
「鳴らしに行っているよ」
ペッチペチの母は、定期的に小高い土地に赴いてぺちぺち音を鳴らしていた。溜まったぺちぺちの発散と、娘の捜索も兼ねていた。耳を澄ますと、確かに小さな破裂音が聞こえるような気がして、果歩は悲しい気持ちになった。
「見つかると良いですね」
「見つかるさ」
外が薄暗くなってきた。蝋燭を一本立てた。蝋燭は、一本で九十分持つ。トイレに行った。電気ガスは使えないが水は生きている。クソ冷たい他人の家の便座に腰かけていると、携帯電話が鳴った。
「もしもし」
「もしもし、南ですが。近藤さんのお電話でしょうか……」
「あ、そうです」
畜生、名前確認すれば良かったと、果歩は後悔した。そしたら無視したのに。トイレの最中に電話を掛けて来るなんて、本物の変態なのかもしれない。
「なにか用でも……?」
「急いで来てもらえないかな? なんだか、おかしいんだよね……。誰か居るような気がして……。噂の幽霊かもしれないから、怖くて……。暗くなる前にお願いします」
「いやあ……。そうですねえ……」
「来れない?」
「行けるかな……。うーん……。あの、じゃあ、相談してみます。住所をメールで送ってください」
「相談?」
「はい」
「ああ、そっか。ごめんね。道中気を付けて」
果歩は適当にハイハイ返事をして、急いで電話を切った。恥ずかしさ、腹立たしさ、そして不安感に駆られたからだ。
水を流して、岩男の座っている居間に戻った。じきに日が沈む。黒い塊の妖怪を思い出す。私が行って、あれと対峙して、そして、何ができる? 何もできやしない。
果歩は、岩男に今の電話のことを話した。ひきつき坊もいた。それは良いのだが、まずいのは、話の途中でペッチペチの母が戻って来たことだった。仕方なく、そのまま最後まで話した。これまでの経緯もひっくるめて、話した。話したからには、私はあの男の所へ行かなければならないだろう。
娘さんを取り戻すには、面倒臭いという理由だけでここに留まる訳にはいかないのだ。
この母親が例え人間じゃないとしても、母と子の絆の危機には違いない。
私は、それを蔑ろに出来るほど、図太い人間ではなかった。
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