#15


 果歩が目覚めた時、そこは大男の背中の上だった。夜中。どうやら、ろくに外灯もない道を進んでいた。

また誘拐されている……。そう思った。

 男の背中は異常にゴツゴツして硬く、振動で擦れていた自分の頬に、軽く痛みを感じた。

 妖怪だ。間違いない。妖怪経験二体目。


 一日で妖怪を二体見て、二回気絶した。もう勘弁してほしい……。


 叫ぼうとか、騒ごうとか、逃げようという気持ちにはならなかった。ひきつき坊の姿が近くに見えたからだろうか。しかし、さっき出会った妖怪にもう若干の信頼を寄せているのかと思うと、自分の判断力が不安になった。

 私を背負う妖怪が言った。


「いや、俺は奴らに恨みがあるわけじゃない。話し合いで何とかなれば一番いいのさ」


 引きつき坊が答える。


「でもなあ。あいつらプライド高そうだし、だいいち西洋の妖怪と言葉が通じるのかも、おいらは知らないんだけどな」

「やってみるしかないさ」

「おいらは何の役にも立たないよ」

「それもその時に分かることだ」

「あの……」と果歩は呼びかけたが、声がかすれて囁きようになってしまったので、言い直した。「あの」

「あ、起きた」

「自分で歩きます」

「だけど……」

「この女は色々特殊な人間だから大丈夫だよ」


 果歩は、妖怪に特殊と言われたことを不服に思いながら、そのゴツゴツしたでっかい背中からズリズリと滑り降りた。

 人間ではお目にかかれない巨体だ。しかも、何も着ていない。こんなのが歩いていたら大騒ぎになりそうなものだが、人が集まってくる様子もない。

 元々、こんな夜のあぜ道に人が集まることなんて無いのだろうけど。


「ひー、寒い。そちらの人も妖怪なんですか?」

「ああ、そうだよ。こいつは岩男。岩と人間のハーフってとこだな。おいらよりも妖怪っぽいだろう?」

「うん……。妖怪って、こんなにうようよに歩いてるの?」

「うようよって……。いや、おまえはどっかおかしいんだよ。普通、仕事の時以外は人間には見えないものなんだけどな」

「俺は大体の場合、姿を晒しているよ」

「まあ、そういう奴もいるかもね。ほら、人間だって、普段から仕事モードの奴がいるだろう? 常に小さな電話とか、パソコンを身に着けていてさ。そんな感じかな」

「なんだかわからないけど、幽霊みたいな感じ?」

「さあな。幽霊のことは良くわからん」


 石段を上った。幽霊なら飛んで行けるのかもしれないが、妖怪は普通の人間と同じように階段を上って行った。

 岩男は足が大きすぎて、つま先だけで階段を上っていた。妖怪は妖怪で大変だなあと、果歩は思った。

 階段を上りきり、民家を両手に見ながら少々歩くと、いかにも妖怪が寄り付きそうな一軒家が前方に見えた。

 真っ暗で、人の気配はない。

 誰も住んでいないようだ。

 庭は荒れ、長い間空き家だったと言われても納得の外観だが、所々にスコップやホースなどの雑貨が転がっていて、縁側に掛けられた物干し竿にはタコ足のハンガーもぶら下がっていた。生活のにおいが残っていた。

 三人は、岩男を先頭にその家に入って行った。果歩の頭には不安しかなかった。死の予感さえも過ったが、逃げるという選択をしなかったのは、自分の直感に賭けたからだ。彼女は腹を括っていた。

 中は、外観ほど荒れてはいなかった。しかし、いかんせん明かりがないもので、目が慣れるまではろくすっぽ周囲を把握できない。そんな中、岩男はガンガン壁にぶつかり、家が潰れてしまうのではないかと、果歩とひきつき坊の顔は強張った。


「体重は多少コントロールできるんだが」


 岩男は説得力の無いことを言った。

 彼は歩くたびに、パラパラと砂のようなものを零していた。あんな調子で体が削れていったら無くなってしまいそう……。

 果歩は心配になり、それを指摘した。


「あの……そのパラパラ落ちてるのって、体が削れてるんですか?」

「ああ、そうだよ」

「それって平気なんですか?」

「人間だって、皮膚だとか髪の毛だとかを削りながら生きているだろう。俺の場合はそれより……少々目立つだけだ」

「そうなんですか」

「岩男は変わった奴なんだ」

「妖怪に普通なんてないだろう。それぞれがそれぞれの生き方しかできない」

「私の生き方なんてあるのかな」

「へっへっ。おまえは人間じゃないか」

「人間にもそれぞれの生き方があるさ。しかも、妖怪よりも多彩だ。君には、何十年も山や空ばかり見ているような個性を受け入れることはできないだろう。人を見て、物を見て、人生を隅々まで見て置くが良い。そのうち、妖怪になった時にでも役立つかもな」

「岩男は女の子相手だと案外喋るんだな」

「そうだな……。人間と話すのが新鮮なんだよ」


 真っ暗な居間には、蝋燭が一本立っていた。蝋燭一本で随分違うものだなと、果歩は感心した。

 蝋燭の前に体の小さな女が座っていた。

 白髪交じりだが、背筋はしっかりしている。年寄りにも、若くも見えた。


「こんばんは」


 その小さな女は、見た目通りのか細い声で挨拶した。


「こんばんは」

「これがさっき言ってた、ペッチペチの母さんだな?」ひきつき坊が言った。

「そうだ。この女は、娘さんが浚われて困っている」

「それじゃあ岩男の目的と違うんじゃないか?」

「いや、浚ったのが、見たことのない妖怪だったらしい。恐らく西洋の者だろう」

「ねえ、何の話をしてるの? もしかして、この人も妖怪?」果歩は人間であってくれという儚い望みを捨てられずにいた。

「そうだよ」

「ああやっぱり。妖怪って、この辺に何匹居るのよ……」

「匹って言うんじゃないよ」

「うう。すみません」

「いいよ。まあ、どう数えて良いものか分からないよな」


 岩男は、その巨体を小さな座布団に落ち着けた。可哀そうな煎餅座布団は、規格外の尻の下で死んだ。無意味とはこのことだ。


「妖怪は大抵、どの町にも居るよ。珍しいもんじゃない。でも大方が、何年も身を隠していたり、意志を持たない虫みたいなやつだったりするな。どちらにしろ、人間が目撃することなんてほとんど無い。あんたは特別なのさ」

「でも私、最近になって急に、こんなに妖怪に出会って……。霊感も全然ないのに、UFOも見たことないのに……」

「別の話だよ」ヒッキーが口を挟んだ。「おいらも幽霊見えないもん」

「そうなの?」

「俺は、見えるには見えるが……」岩男が言った。岩男は果歩の方を見ている。しかし視線がなかなか合わなかった。シャイなのだろうかと、果歩は思った。

「へぇ……。見えるんですね」

「しかし、あれは妖怪には全く無関心らしい。人間が幽霊に遭遇する場合、幽霊はそいつを目がけて現れるんだろう? 俺がこの前見たのは、幽霊の後姿だった。誰かを待ち伏せしているように見えたよ」


 皆で話しているときも、ペッチペチ母という妖怪さんは黙ったまま、塩ナメクジのように身を縮こませていた。

 果歩は三メーターもあろうかという岩男を横目に、あんなに小さな女性に気を取られ始めていた。ペッチペチって何のこと? 娘さんが浚われたって?

 悲しみが蝋燭の光を浴びて橙色に揺れていた。


「ところで」


 幽霊談義を終わらせるべく、岩男が話の流れを変えた。大きく野太い声は、近隣にまで響いて行きそうなものだが、これもやはり普通の人間には聞こえないのかもしれない。


「最近、この付近で起こっている異変は、異国の妖怪の蔓延に加え、東のエリート妖怪連中が陣を構えたからだろう。そして恐らく、エリート妖怪は異国妖怪を討伐しにかかる。それも、ここ数日の内にだ。何が起こるか。正直言って、正確には分からない。しかし我々地元の妖怪にも、多大な影響が出ることだろう。俺は、ずっと前にも妖怪同士の戦を見たことがある。俺は参加しなかった。俺は昔から誰にも相手にされなかったんだ。それは強力なパワーを持った妖怪同士の争いで、後に『妖怪大戦争』と呼ばれたあれだ。聞いたことあるのか? そう、当時、俺はその近くの山に居たんだ。戦争は西軍が勝利して、人間界に手を出そうとしたヤクザな妖怪連中が負けた。表向きはめでたしめでたし。しかし、その場に残った妖気は、地域の妖怪たちを苦しめた。弱い妖怪は衰弱して死んだ。強い妖怪にも、なんらかの悪影響が出た。心を壊してしまったり、身体の痛みに苦しむやつらが続出した。俺は耐え切れず、十とか二十の山を越えてこの町にやって来たってわけだ。俺はここが好きなんだ。二の舞に遭わせたくはない」


 皆が、事態の深刻さを読み取った。少なくとも、何か良からぬことが進行していると感じ取れた。

 果歩は面子を見て、ヒッキーとペッチペチの母は弱い妖怪の中に入るのだろうかと考えた。どう見ても強そうには見えない。


「でもおいらは、何の役にも立たないと思うなあ」

「いいや。邪魔なら元々誘わないよ」

「そうかなあ」

「この人は、どうしたんですか?」


 母さんは身じろぎもせずに、蝋燭の火を見つめていた。


「この方はだいぶ弱っている。元々体力が無いのに、三日三晩、娘さんを探して歩き回っていたんだ。おまけに、住処であったこの家が近々取り壊されるようで、泣きっ面に蜂ってところだな」

「娘さんさがしてるのって……さっき言ってた、西洋の妖怪に浚われたっていうやつですか?」

「そうだ。本当に西洋のものかは分からないがな。でも、もしそうならば、彼女一人で連れ戻せるとは思えない。協力し合う必要があるんだ」

「まあ確かに、せっかく良い宿り主を見つけたのに、住めなくなるんじゃ困るなあ」


 ひきつき坊は果歩を見た。


「ちょっと。あんたの宿り主って、私?」

「そうそう」

「そうそうじゃないわ。家に盛り塩するからね」

「だから幽霊じゃないんだって」

「俺たちは、もう少し仲間を募る必要がある。情報も足りない。娘さんを連れ去った妖怪。そいつについても何も分かっていないからな」

「どんな妖怪だったんだい?」


 ひきつき坊が、ペッチペチの母に聞いた。


「ええと……」彼女は答えた。「黒くて、丸っこくて、ぶにょぶにょしながら移動する妖怪……」


 その言葉を聞いて、果歩はふと思い当った。


「わ、私……それ、知ってるかも……」

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