#25


 ツチニョロンは、土地に根付いた妖怪だった。法外な税金や公害問題で追い詰められているリサイクル工場を中心とした、半径二十キロ弱の範囲でしか行動できなかった。

 彼がどのようにして暮らしているかというと、人の落とし物を見つけ、二時間ほどじっと見つめることを日々繰り返していた。それを生業としていた。

 財布や上着、時計など、人間の情が染みついている物の場合、落とした人間がそのことに気付いて帰って来たり、他の誰かが拾ったりして、二時間も見続けることは叶わなかった。また、愚にもつかないような物、レシート、ポイントカード、ヘアゴム、一円玉、何かの蓋など、ゴミ同然の落とし物は見応えが無く、所詮、妖怪としての存在意義が満たされることは無かった。

 一方で、子供の落とし物には大胆な上物が多く、靴の片割れなんかが落ちていると三時間でも四時間でも眺めることが出来た。人が多く集まり、尚且つ子供が多く集まる駅前デパートは、ツチニョロンには絶好と言える仕事場だった。


 彼はもちろん、危機を感じていた。地元密着型妖怪にとって、ラグレグの発生は深刻な問題だった。噂。噂に聞いたことがある。ツチニョロンは、情報力に長け、噂に敏感だった。ラグレグは死を運んでくるという噂。妖怪にとっての疫病のようなものだ。

 様々な噂があった。

 日本の妖怪だ。海外の妖怪だ。意志を持っている。いや、持っていない。数か月で消える。数百年で消える。妖怪を食べる。妖気を食べる。人間を食べる。炎を食べる。巨大に膨らむ。膨らまない。そんな妖怪は存在しない。などなど。ただ一つ言えるのは、地元の妖怪にとって、喜ばしい存在ではないということだ。

 ラグレグの発生する原因についても諸説語られ、確かなことは分からなかった。しかし、どういう場に現れるかは、大抵決まっていた。大きな力と力の衝突が有る場所。戦場だ。

 どこかで戦争が始まろうとしているのか?

 もしくは、もう始まっているのだろうか。

 ツチニョロンは、漠然とだが、意識ごと食いつかれたように災いを予感していた。彼は、雨が降る日を正確に言い当てることが出来た。落とし物を、場合によっては、二百八十五時間ほど見続けることもできた。犬が苦手だった。狸は、犬よりはマシだった。猿には出会ったことが無かった。そして彼は、災いを予感していた。


 ツチニョロンとは、誰かが勝手に付けた名だった。人間かもしれない。人間は、しばしば妖怪を目にする。大抵は、不定期で束の間のことだが。

 不思議な生物だ。通常見えないのに、瞬きの最中にでも見たりするのだ。なんであんなに不安定なんだろう? 時には、一種類の妖怪だけなら常に見られる人間もいる。あの果歩という女は特別だ。ツチニョロンは果歩のことを考えた。あの女は、どの妖怪も常に見えるらしい。しかも、あの感じだと、最近まで見えなかったのだろう。確かに、妖怪は白昼堂々町中をほっつき歩いている訳じゃないから、今までは偶然目にしなかったとも考えられる。でも、多分あの幽霊のせいなのかな。果歩の肩には変な女の幽霊が乗っかっている。気持ち悪いな。あまり、一緒に居たくないな。


 落とし物の魅力というものがある。魅力を感じなければ、仕事とはいえ何時間も見続けていることはできない。落とし物には、落した人間の無念がある。大きい物、高価な物に、必ずしも大きな無念が残っているわけではない。例えば、山間の違法投棄物に目を向けたところで、あんな物には幾分の価値もない。冷え切った人糞みたいなものだ。余計なものが混ざり過ぎていて肥料にもならない。

 ところが小さな財布。かわいらしい、ピンク色の、チャック式の小銭入れだったりすると、そこには濃厚な哀愁が含まれているのだ。中身は小銭で、ぜいぜい百円とか二百円。シールや御守りが入っていると、尚良い。観察し、思いを馳せるのだ。落したのは女の子だろう。きっと、小学校に入ったかどうかという年齢。初めて貰った財布かもしれない。走った拍子に、転んだ拍子に、または意味なくジャンプした拍子に、落したのかのかもしれない。小銭で何が買えただろう。駄菓子だろうか。おもちゃだろうか。今の子供は、竹とんぼなんかを買ったりするのだろうか。いや、今の女の子はマセた子が多いから、もっと、髪飾りみたいなものを買うのかもしれないな。財布は薄汚れている。様々な塵が入り込んでいる。落したばかりではないということだ。その女の子は、駄菓子も、おもちゃも、ちょっとしたゲームも諦めなければならないのだ。人間の女の子は泣くだろう。必死に探すだろう。辿った道を引き返し、親と一緒に様々な可能性を検討することだろう。学校は? 公園は? 友達の家は? 塾は? 区民会館は? そして、大体、七回に一回くらいは無事に見つけ出すことが出来るのだ。でも、この子は見つけられないだろう。そういう場所もある。なんともない場所だ。なんともない場所に、公園の樹木の何てことない合間に、国道の路肩に、駐車場の片隅に、古びたベンチの下に、探し物は身を隠している。少女の悲しみは遠くの空に昇るのみで、それは交わることが無いのだ。


 ――なんてことを、ツチニョロンは一切、考えもしなかった。彼はそれらの落とし物を見て、ただ満足するだけだった。


 ツチニョロンは唐突に、ツチニョロンという名を付けた男のことを思い出した。あれは人間だった。下町の商人で、くたびれた着物には年中染みの付いているような男だった。両親は田舎の農民で、野菜相手の情けない生活に愛想尽かしたその男は、十四歳で自己流の剣術を携え、町に下りた。しかしお遊戯紛いの剣術など一銭の金にもならず、その内、せこい商人になった。右の耳は欠け、関ヶ原に参加したのが自慢らしく、誰でも五分以上一緒に居た者にはその話を聞かせるので、誰と誰に話して聞かせたのかを全く忘れてしまったのだ。しかしそんなことは気にせず、どう話を面白くドラマチックに展開させるかということばかり考えながら、次から次へと出会った者に話をして聞かせるのであった。盛り場で男の名が上がることは滅多にないが、実のところ、男は余裕さえあれば盛り場に通っていた。妻はもう十年も前に死んでいて、男は周囲の同情の目が年々冷めて行くのを、憎しみと共に感じていた。そこで男が一悶着起こして家に帰る途中、ある橋に差し掛かった頃にそれは……。

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