池袋 その3
女は俺に背中を向けて、3メートルぐらい先の屋上の柵に手を付けて、向こう側にある高層ビルを見ているようだった。
ベレー帽の端から茶色の髪がふんわりと風に沿う様に流れていた。
Tシャツの裾も、青いスカートも同じようにひらひらと踊っていた。
空は快晴日和のため、青、赤、白、青と赤色ベレー帽がアンマッチングすぎて逆に目が離せそうになかった。
「あのー」
一分たっだろう。今までに何回か目が合っていたが、ずっと会話をしたことがなかったのが気になり、俺は意を決して声をかけた。
ビクッと肩を震わせると、女はゆっくりとこちらを向く。
やはりあの赤いベレー帽の女だった。
目を大きく広げ、まるでお化けを見ているような顔で俺を見ている。
気のせいか、唇が揺れているように見える。
再度声をかけようと一歩前に歩くと、女は後ろを向いてスーッと消えた。
「待って!」
追いかけようとさらに俺は駆け足になったが、すぐに目の前が真っ暗になり、さらに足が何かにぶつかって、前回りをするように転んでしまった。
「いたっ」
「キャーッ」
転んだときに、目にすごい圧力がかかったらしく、何かにぶつかったすねよりも痛い。
が、両手で目に触れようとしても、何かに当たって届かない。
やばい、状況が分らなすぎてテンパってしまう。
助けを求めようと口を開いた瞬間、両肩に何かが触れた。
「ヨイショ。大丈夫でしたか?」
その何かが俺の肩を離れると、ふっと目の前の暗闇が光に変わった。
が、いきなり眩しくなったので、目を細めて待つしかなかった。
ちょっとして見えるようになると、前にいるのが二十代の若い男性というのが分かった。
どうやらここの店員のようで、片膝をついて俺の目線に合わせるようにしゃがんでいた。
彼は、手にした物を見せる。
「これ、VRヘッドセットです。さっき、お客様がこれの体験をしていたのですが、急に走り出したものですから、私が外すのが間に合わなくて済みませんでした」
そこからさらに頭を下げた彼に、俺はいやいやと言いながら、こっちも頭を下げた。
これは俺が悪い。あんなものを被り、VRの体験中というのを思い切り忘れてしまったからだ。
二人で立ち上がると、先ほどの四角い枠に戻った。
俺のせいで、コードが何本か抜かれていたのを女性店員が修復していて、なんかすごく申し訳なくなった。
謝ると、「結構な割合でこういう小さな事故が発生するが、店としてはその安全策を取っているのでご安心を」と言いながら、その安全策、柔らかいブロック、を指差した。
あれか、俺がぶつかったのは。
確かにその時は激痛だったが、今は痛みがかなり飛んでいた。
再度お詫びを言い、男性店員の方を向くと、VRヘッドセットをいじっていた。
幸い、前回りで転んだので、VRヘッドセットは故障はしていなかった。
良かった。壊したら弁償ものだった。
とはいえ、男店員曰く、ヘッドセットは一度メンテしないといけないので、今日のVR体験はおしまいになった。
残念。
俺は買った物を手にし、エスカレーターで一階に降りることにした。
それにしても、なぜ、あそこで赤いベレー帽の女に会うのだろうか。
夢でも出ていた気がしているのだが、あんまり思い出すことが出来なかった。
うーん、不思議だ。
そのままぼーっとエスカレーターに乗っていると、一階に降りる直前で大事なことに気づいた。
VR18禁彼女の存在だ。
あの男性店員になら聞ける。そう戻ろうとしたが、俺はすでに一階に到着していた。
そのまま、スーッと地下一階へのエスカレーターに乗った。
斉藤さんのアドバイス通りなら、好きなゲームパッケージを買ってから、その要求スペックに合うパソコンパーツを見繕ってくれるので、それでいい気がしている。
深く考えるのも面倒だしね。
念のために斉藤さんにメッセを送り、俺は地下一階に降りたった。
ここのフロアは、エスカレーターを降りてすぐのガンプラコーナー、エスカレーター右に設置されているミニ四駆、逆側に天井まであるガラス張りの展示棚が目立つフィギュアコーナーと、目の前に見えている、奥の方に大きなピンクの字で18禁と書かれたのれんを入り口に持つアダルトコーナーだ。
ここは今まで俺がプレイしている、PS4やXboxゲームなんて置いてないためか、商品が大きな子供向けのものばかりだった。
場の雰囲気が違う。
俺はそう感じた。
見回すと、店員も若い男性しかいなく、客も男性しかいなかった。
みな、真剣に販売されている商品を見ているようだ。
ここ、俺の想像以上に雰囲気がマニアックすぎるんだが。
PS4の全タイトルをコンプリートしたぐらいでゲームオタクだって言ってはいけない気がした。
ここにいる客の方がずっとオタクだ。
が、18禁ののれんの真横に、件のVR18禁彼女のポスターが貼ってあって、そこには『在庫有り。特価一万九千八百円』と書かれているのを見つけた。
「おおおお」
思わず低い声が喉から漏れる。
有るじゃん。二万円もするのは安くはないが、今日の俺はお金を持っているんだ。
が、この異世界な雰囲気の中で、十メートル先の18禁コーナーにどうやって入ろうかと迷っていると、後ろから高い声で「邪魔だ」と言われた。
そう言えば俺はエスカレーターを降りてすぐのところで立ち止まっていたんだった。
「すみません」を残し、フィギュアコーナーに体をずらした。
その残空間をコツコツとうるさいハイヒールを履いた女子高生が通って行く。
夏なのにマスクをし、乱雑に解かした髪が、セーラー服を着ていなければ、おばちゃんと見間違えそうな顔つきだった。
その女子高生はふと停まると左に九十度曲がった。
つまり、俺の方向にだ。
やばい、なんか来る。
そう危険を感じ、俺は二歩ほど18禁コーナーに動いた。
その女子高生はさっき、俺がいた場所、天井まで届いたガラス棚に飾っている最近流行りの、テニスアニメのある男性キャラをじっと見つめた。
「有った」。そう呟き、女子高生は近くにいた店員を呼ぶと、フィギュアを注文した。
店員と立ち去った後に俺が価格を見ると、四万九千八百円と書かれているじゃないか。
それを未成年の女子高生がさっと買っていることびっくりすると同時に、俺は自分が恥ずかしくなった。
VR18禁彼女に興味があるのに、それについて訊くのも、買うのにも尻込みしている俺自身にだ。
欲しいなら買う。そう有るべきだ。
そう決意した俺は店員に声を掛けた。
「すみません。VR18禁彼女が欲しいのですが」
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