陽明山 その2
『そのお守りの中にメモがあってね。拾った人に全額あげるって書いてあったから、これはもう君の物だ』
そう言って、といっても、横に立っている呉が通訳をしながらだが、警察署の中でも人の良さそうな年配の李警官が、すーっと小包を俺に渡してきた。
「シェイシェイ、リーさん」
そのまま受け取って、俺は覚えている数少ない中国語でお礼を言った。
台湾旅行に来るに当たり、いくつか覚えてきたんだ。
それを聞いて、李警官は俺の右手を強く握りしめた。
言っていることは分らなかったが、横の呉がこう通訳した。
『多分、大変なことがいろいろと起きるけど、辛抱強く頑張ってね』
何を頑張るかは分らないが、俺はある事実に気づいてしまった。
その李警察官が俺を見ているときの視線がなんだかおかしい。
俺は彼の目の前に立って、渡された小包を左手で抱えているのだが、彼の視線は俺ではなく、俺の右側に向けられていた。
気になって、俺も右に視線を移すが、何かあるわけでもない。
うーん、目の焦点が合わない人なのか?年配だからそういった病気もあるだろうしと、俺は気にしないことにした。
それよりも、この左手が抱えている赤い小包だ。
この中にある百万元が正式に俺の物になったと言うことだ。いいね。
「ありがとうございます」
「ブレーブジャパニーズ」
日本語だったが、俺の言葉が通じたのか、李警官はにっこり顔になり、英語で俺を褒めた様だった。
その後、周りで見ていた警官達に中国語で何か指示をした。
通訳をしている呉を通さないところを見ると、俺とは無関係のことかな?
そう呉に聞こうとすると、呉の顔が再度青ざめているのに気づいた。
「呉さん、大丈夫?」
「い、いや、なんかね、李さんが言ったんだけど、『日本人の若者がこう勇気を出して、この子を引き取ってくれたんだ。我々も何か贈ろうじゃないか』ってことなんだけど……。でもね」
ゆっくりと話す呉に俺は明るく笑い飛ばす。
「いやー、良いよ。贈り物なんて。この百万元だけあれば十分だよ」
そうなのだ。
拾った百万元(推定日本円にして四百万円)は俺の物だから、これ以上は要らないのだ。
「ナベ、違う。ポイントはそこじゃない」
「え?」
「李さんは『この子』っていってた」
「うん?どういう意味?この子って」
ちょっと意味が分らずにオウム返ししてしまった俺に対し、呉はついに真っ白な顔になって、静かに小包を指した。
「ナベ、これやっぱり台湾の風習だったんだって。一緒に入っていたお守りのメモに書いてあったんだけど、この子、結婚を約束した男性に裏切られて命を絶ったんだって。だからその家族はもし、誰かいい人いたらと、お金とともに、この子のお守りをあそこに置いたんだって。で、そのお金とお守りを持った人とこの子は結婚することになるんだってさ」
「へぇ、そんな風習があるんだ。でも、亡くなった人なんでしょ?どうやって結婚すんの?」
俺は不思議に思った。
手元にあるのは赤い小包である。
中にはお守りと札束しか入っていない。
それがどのように結婚につながるんだろう。
首を傾げる俺と、病人のような白い顔になった呉を見て、李警官は呉に声をかけてきた。
精神的に余裕がないせいか、中国語から日本語への通訳はなく、俺は意味が分らなかった。
ただ、少し話し合った後、両手の平を上にして、分らないというジェスチャーをしながら、くっくと李警官が小刻みに笑ったのをみて、ようやく呉は顔色を少し戻していた。
その後、俺の方を向いて、先ほどのやりとりを通訳してくれた。
「聞いたら、そういう風習は昔はあったけど、別に何かが起きる訳じゃないから、気にしすぎって言われた」
それを聞いて、俺も笑いをこぼす。
「やっぱ呉さん、何もなさそうじゃん」
「いや、だって、そのお守りに書いてあるんだもん」
「怖がりすぎだって。でも、贈り物ってなんの?」
「あ、そうそう、パトカーでホテルまで連れて行ってくれるってことだったよ。どうする?」
「おお、それは面白いじゃん」
台湾でパトカーに乗るなんて、戻ったら結構なネタになるじゃん。
それはやらないわけにはいかないよ。
俺の態度を見て、苦笑しながら呉は李警官が歩いて行った方に向かった。
「それじゃ、言っておくよ。先に待合室に戻っておいて」
「分った」
俺はそう答えると、待合室に向かった。
警察署について、落とし物の申請をする俺とその通訳の呉は内部に入れたが、同行者である佐野と鈴木は待合室で残されていた。
歩きながら、俺の頭の中では、どのようにこの百万元を使うかで一杯だった。
呉を始め、佐野も鈴木も今の会社に入社してからの同期だったので、仲は良かった。
入社してから四年目の今年は、それぞれ違う部署に異動してはいるが、今でも定期的に一緒に遊んだりする。
今回の台湾旅行もそうであった。
各自のプロジェクトお疲れ様会もかねてではあったが、もう一つの理由は呉の慰安であった。
呉が日本人の彼女からフラれたと聞いたからだ。
今回の台湾旅行でその腹いせにナンパでもしてやると、珍しく意気込んでいた。
なぜ日本でナンパをしないのかと聞くと、もう日本人はこりごりだと言い出した。
まぁ、どうせまじめな呉のことだから、言葉だけで何もないだろうが、折角意志表明しているんだと、急遽俺達四人で三泊四日の旅行にした。
本当はもっと長旅の五泊六日のツアーにする予定だったが、俺がそんなに貯金がないことで、この短いツアーになってしまった。
が、いまは手元に百万元ある。
明日のお昼には帰国するので、遊ぶとしたら今晩しかない。
おいしい物を食べるか、台湾のもっとコアな何かを見るか、佐野と鈴木にも聞いてみよう。
ちょっと楽しみになってきた。
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