10-2 月夜の晩に幽霊と

 ラヴェリテが37個目の砲弾に魔除けの呪文を書き込んでいた頃。

 ミラン号の船内ではおかしな噂が立ち始めていた。


「見たんだよ。船首の辺りでさ」

 それは、月夜の事だった。

 船員のひとりが船首にいるはずのない女の子の姿を見たと言い出したのだ。

「それって船長じゃないの?」

「ラヴェリテ船長だったらすぐわかるだろう。いつも騒がしいし……」

「そりゃそうだ」

「一番の違いは、その子の髪は白くて姿は光っていたんだよ。いくらウチの船長が変わっているったって光りはしないだろ」

 テーブルに座る船員たちは顔を見合わせた。

「さあ、飯が出来たよ」

 ジョルドゥが料理を運んできた。

「一体、なんの話をしてるんだい?」

「ああ、ジョルドゥさん。実は、こいつが甲板で幽霊を見たって」

「幽霊?」

「月夜の晩に、船首で女の子の幽霊を見たんですよ」

「それってラヴェリテじゃ……」

「いや、船長じゃないですよ。光ってたし」

「光って?」

「やっぱり、幽霊船の出没する海に向かっているからかなぁ」

「いや、きっと違うよ」

「なんで言い切れるんだい? ジョルドゥさんよ」

「ああ、このミラン号には元々呪われてるって言われている船なんだ。航海に出る度に必ず誰かが死ぬっていう話さ。幽霊が出ても不思議じゃないかもね。でも、そんなのデタラメな……ん? 皆んな、どうしたの?」

 船員たちは全員、顔面蒼白でジョルドゥを見ていた。

 その時だ。

「みんな、どうしたのだ!」

「わーっ!」

 いきなり話に割って入ってきたラヴェリテの大声に船員たちは、ひっくり返りそうになる。

「な、なんだ、船長かぁ……脅かすなよ」

「だって、みんなでヒソヒソと話してるから気になって」

 本当は砲弾への呪文の書き込みに飽きたからなのだが、それは言わない。

「大した話じゃねえですよ、船長」

「本当か?」

「え? ええ、もちろんです」

「また、わたしを置いてけぼりする打ち合わせじゃないよね……」

 ラヴェリテが虚しそうな目でそう呟く。

「あ、あれは悪かったですよぉ、船長。実はですね」

 ジョルドゥが事情を説明すると、ラヴェリテは目を輝かせた。

「なんか嬉しそうですね。船長」

「だって、幽霊船と戦う前に幽霊に出会えるなんて、幸先がいいじゃないか」

「こういうの幸先がいいって言うのかなぁ……」

「幽霊と戦うんだから、その前に練習しといた方がいいだろ?」

「練習?」

「そうだ! まずは、その幽霊を退治して本番に備えるんだ!」

「ラヴェリテ船長……たぶん、みんなの見間違えだよ。大体、これまでの航海で幽霊なんて見てないじゃないか」

「それは、きっと"ヴォークラン船長の幽霊船"が出る海に近づいだと思うぞ。ほら、たまに夜なんか不気味な雰囲気とかあるじゃないか……いひひ」

「ちょっと……ラヴェリテ」

 船員たちとラヴェリテが集まっているのに気づいたコーレッジがやって来た。

「お前ら、何盛り上がってるんだ?」

「あっ、副長」

 今度はコーレッジが口を挟んできた。


「幽霊だって?」

 コーレッジは、あからさまに胡散臭そうな物を見る目をした。

「そうだ、副長。だから幽霊船と戦う前にその幽霊でしようと思って」

「練習ねえ……まあ、頑張ってね」

 コーレッジは、やる気無さげにそう言った。

「なんか副長、感じ悪い!」

 ラヴェリテは、口を尖らせてそう言った。コーレッジは無視して船員たちに指示を出す。

「それより、お前ら、早く飯を食ったら水漏れ修理に取りかかれよ。目的の海はもうすぐなんだからな」

「副長! 副長! 幽霊は?」

 コーレッジは、はしゃぐラヴェリテをちらりと見るとため息をついた。

「幽霊のことは船長にお任せします」

「むっ! まかせろ!」

 ラヴェリテは、胸をどんっと叩いてみせた。



 そしてその日の夜……

 月は、いつになく輝き、甲板を明るく照らしていた。

 幽霊退治に意気込んだラヴェリテは、船首の辺りに陣取っていた。ルッティからもらった中剣を肘掛け代わり突き立て、幽霊が現れるのをずっと待ち構えている。

「しかし、幽霊め。なかなか現れないなぁ。あんまり遅いと眠くなるじゃないか……」

 そう呟いた早々、ラヴェリテは、ウトウトしだしてしまう。

 冷たい風が顔に吹きつけ、ラヴェリテの目を覚ました。

 その時、船首に何かがいるのが見える。

 ラヴェリテは慌てて剣をつかんだ。

「誰だ!」

 ラヴェリテは、船首の方に向かって叫んだ。

 そこに立っていたの白い髪の少女だった。

「でたな、幽霊め!」

 ラヴェリテは白い幽霊に切りつけた。

「きゃっ!」

 幽霊は、そう声をあげると身をかがめて剣を避けた。

「ちょっと、あぶないじゃないの!」

「黙れ! 幽霊め。私の船に現れたのが運の尽きだ。おとなしく剣の餌食になれ!」

「私の船? 冗談じゃない。この船はあなたの船じゃないでしょ?」

「幽霊のくせに元気だなぁ。幽霊ってもっと、こう元気がなくて……」

「ふん! 誤解もいいとこね」

 幽霊は胸を張ってそう言った。

「あなたねえ、何でも自分が正しいと思わないでくれる?」

「え? あ……その……」

 幽霊の逆襲にラヴェリテも思わず怯む。

「いや、ごめん。幽霊って本当は、お前みたいなものなのか……ん?」

「な、なによ?」

 ラヴェリテは、幽霊の顔をじっと見つめた。何かに気がついた。

「どうやら君は、幽霊ではなさそうだな」

「さっきから私のことを幽霊、幽霊って……ほんと、やめてよね。失礼だわ! 私、幽霊じゃないし!」

「ご、ごめんなさい」

 幽霊は、なにやら怒っているようだ。ラヴェリテは、もう一度、幽霊に詫びた。

「でも、君も悪いのだぞ。夜な夜な、こんなところに姿を現すから船員たちが幽霊が出ると言って怯えてしまっているのだ」

「だから、私は幽霊ではないわ」

「ああ、わかってる。君は多分、ミラン号の船精霊スピリットだろ?」

 ラヴェリテは、そう言うと構えていた剣を下ろした。

 透きとおるような白い肌に白く長い髪。光を帯びたような珍しいグリーンの瞳。幽霊だと言ったほうが納得できる雰囲気なのだが。

「なに? あなた分かってるじゃないの」

 白い髪の少女は髪を掻き上げた。

「そうよ。私は、ミラン号の精霊スピリットよ。でも、あなたよく気がついたわね。私の姿もハッキリ見えているみたいだし」

「私は昔から船の精霊スピリットが見えるのだ」

「そうなの? 驚きだわ。たまにそんな人間もいるけど、私に声をかけることは、殆ど無いのよし、こんなに会話することもないのにね。珍しいわよね」

「私も船の精霊スピリットとこんなに話したことはない。というか、船自体、乗った事がない……あんまり」

「よく船長やってるわよね」

「私が船長だと知ってるのかい?」

「私はミラン号そのもの。これまでのあなたたちの経緯もずっと見てるから知ってるわ。もちろん船内の中だけの話だけど」

「君は、ずっといたのか」

「だから言ってるでしょ? 私がミラン号そのものだったて。私はずっといたわよ。というより、あなた達に見えなかっただけ」

 そう言って精霊スピリットと名乗る少女は、ラヴェリテに笑ってみせた。

「あなた達がミラン号を盗み出してくれて助かったのよ。とりあえず、礼を言っておくわ。ありがとう」

「なんだ? ありがとう……って」

「だって、あのままなら私、取り壊されていたんだもの。あなたたちが私を海に出してくれて命拾いしたわ」

「わ、私もミラン号が壊されると聞いていた。勿体無いと思ってな」

「まったく、私を解体するなんて馬鹿げてる!」

 白い髪の少女は不機嫌そうにそう言った。

「それも、私の姿が半端に見えるだけの臆病者のつまらない噂のせいでね。いい迷惑だわよ。航海に出る度に死人が出るって、そんなの全部、偶然だっていうのに!」

「なるほど……やはり、単なる噂だったのだな。だいたい、君は、船員を呪い殺すとか、しそうもないものな」

「そうよ。私がそんな、陰険な事なんてするわけないじゃない。人生、ハッピーにいきなきゃ! 人を恨んでいるヒマがあったら、自分が幸せになることを先に考えなさいってーのよ!」

 そう言って、ミラン号の精霊と名乗る少女は、手を腰に当てながらそう言った。

「う……そ、そうだな」

 幽霊船に仇討ちに向かうラヴェリテには少し耳が痛い。

「なあ、ミラン号の船精霊スピリットさん」

「ああ、まどろっこしい言い方ね。ミランでいいわよ」

「じゃあ、ミラン。私はラヴェリテ」

「よろしくラヴェリテ」

「聞きたいのだが、君は、ヴォークラン船長の船は、知っているか?」

「ヴォークラン? ああ幽霊船ってやつね。船員の話を聞いただけ。直接は出会ったことはないわね」

「そうか……あ、それと海の船というものは、みんな、ミランのような、船精霊スピリットがいるものなのか?」

「わたしも他の船の事は、よく知らないけど、どれもこれもってわけじゃないと思う。長い航海を続けた船や、乗っていた人たちや、船長に愛されていた船には私達のような精霊が生まれるらしい。特に作られてから年月が経った船に多いみたいよ」

「では、ミランも作られてから長いのか?」

「そうね。六十年は経っているかな」

「おばあちゃんだな」

「あ、あなたねえ……」

 ミランのこめかみがヒクヒクしだす。

「なあ、ミランばあちゃん」

「呪い殺すわよ!」

「友達にならないか?」

「え?」

「この船には、大人ばかりで……いや、みんな、いい人ばかりだからいいのだが、それでもたまにな……」

「船長さんだものね。いろいろ大変ね」

「あ、でも、ミランは本当はおばあちゃんだものな……うーん、みんなより年上かぁ……」

 そう言って、ラヴェリテは腕を組んで悩んだ。

「ま、まちなさいよ! 六十年経ってるって言ってもそれはなの! 人間的にはラヴェリテと同い年くらいなの!」

「そうなのか?」

「もう! し、しかたがないわね、友達になってあげるわよ! ならいいんでしょ」

 ミランは、ツンっとそっぽを向きながらそう言った。 

 ラヴェリテはにっこりと笑った。

「ほんとか? うれしい」

「友達になったついでに警告しておいてあげるわ。幽霊船退治なんてことは諦めてどこかの港にでも逃げたほうがいいわよ」

「そんなことはできない! 父上の仇を取るまではどこでも逃げないぞ」

 やれやれと髪を掻き上げるミラン。

「ヴォークラン船長の幽霊には直接出会ったことはないけど、あんまり、いい話は聞かないし、すごく嫌な感じがする」

「私達は勝つぞ! 幽霊船などに負けるものか!」

「はあ……言っとくけど、あなた達が負けるってことは私にも関係ある事なんだからね」

 ミランはラヴェリテの頑固な態度を見てため息をついた。

 どうやらこの若すぎる船長は進路を変える気はなさそうだった。

「仕方がないわね……いいことを教えてあげる」

 ミランはラヴェリテを手招きする。

「ラヴェリテ、方位磁石持ってる?」

「ああ、船長の必需品だからな」

 そう言って、ラヴェリテは、家から持ち出した使い古しの方位磁石を取り出した。

「矢印を北に合わせて、そこに置いて」

 言われたとおり、方位磁石を甲板に置いた。

 ミランは方位磁石の一部を指差した。

「北を十二時として十一時五十七分の方向に向かって進みなさいな」

「十一時五十七分か……わかった。でも、そうするとどうなるのだ?」

 尋ねるラヴェリテに、ミランは不気味な微笑みを浮べた。

「望みどおり、幽霊船に出会えるわよ」



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