2-1 スイングワット島の沖にて
深い霧の中、大型の高速帆船が北を目指し海上を進む。
帝国海軍巡洋艦ラングドック号が母港を出港して五日が過ぎていた。
「霧がひどくなってきた。速度を落とそうか」
艦長のセルメント・ローヤルティ中佐は、そう言って望遠鏡を下ろした。
号令がくだされ、いくつかの帆のロープが緩めらると船の速度が徐々に落ちていく。
「ところで客人の様子はどうかな?」
ローヤルティ中佐が隣にいる副長に聞いた。船に乗り込んでいるある人物のことだ。
「殿下は、船室へ篭りきりです。その……ひどく気分が悪いそうで」
「船酔いか?」
「はい」
「こればかりは慣れてもらうしかないな」
ローヤルティ中佐はそう言ってニヤリとした。
客に用意した個室からは毎日、酷い嗚咽が聞こえてきた。その声は部屋の前を通りかかる船員たちを度々を驚かせていた。
「しかし不気味な海ですね。何か出てきそうな感じです」
副長が心細そうな表情でそう言った。
「例の幽霊船の話かな?」
「い、いやそうことではなく」
慌てる副長に中佐は笑った。
「霧の立ち込める海で幽霊船を見たりなんかしたら娘に、いい土産話になるがね」
ローヤルティ中佐は、霧で覆われた船首の先を見ながらそう言う。
「ラヴェリテお嬢さんですか。こういった話は喜んで聞きそうですね」
「そうだな。とにかく海で起きたことの話であれば、なんでも好きだよ。呆れるくらい、何度も同じ話をせがむんだ。まったくいい迷惑だ」
迷惑だと言葉ではそう言いながらも、中佐の顔は嬉しそうだった。
「どうやら将来は海軍初の女性艦長になるつもりらしい」
「それは頼もしい」
「少尉、君はその副長にでもなるつもりか?」
「それも面白そうですね」
「苦労するぞ。あの子には船にいる何かが見えるそうだからな」
「船にいる何かとは?」
副官は、上官の冗談とも真面目ともわからない言葉に小首をかしげた。
「まあ、子供の言うことだから曖昧な話なんだが、船には常に人ではない何かがいるらしい」
「幽霊ですか?」
「幽霊というか、船の心とか魂とかいうようなものだそうだ」
「子供らしい」
副長は、子供のよく見る空想の産物だと思って笑った。
「だといいのだがな」
度々、ラヴェリテが教えてもいない航海中のラングドッグ号でおきた出来事を知っていた。何故知っているのか聞いてみると全てラングドッグ号の精霊から聞いたのだと答えたのだ。
それからは、ローヤルティ中佐も娘の"精霊"とやらの話が事実ではないかと思い始めていた。
ラヴェリテは、本当に船の精霊と呼ぶモノを目にしているのではないのか……と。
「もし、ラヴェリテお嬢さんの言う船の魂……精霊といったモノが見えて話せるならば、それは良い船乗りという証でしょう。きっと優秀な船長になれますよ」
「他人事だと思っていないか? 副長」
「いえ、とんでもありません」
副長である少尉は肩をすくめた。
その時だ!
「前方に大型船!」
船首にいた見張りの声が甲板に響いた。
ローヤルティ中佐が望遠鏡で見ると霧の中から船が現れた。
見張りの船員の言う通り、確かに大型だ。巡洋艦であるラングドッグ号を越える大型船だった。見たこともない形をした船体は黒く不気味で、旗も掲げていないので所属もわからない。
「商船でしょうか?」
副官が言った。
「それにしては奇妙な形の船だな」
「いかがします? 進路変更を求めますか?」
「いや。本艦はできるだけ見られたくない。ここは我々が離れるとしよう。進路を0-1-5だ」
「アイサー、進路0-1-5に取ります」
ラングドッグ号は、黒い大型船から離れようと進路を変えた。
それには理由があった。この航海は、ある極秘の任務を帯びた秘密の航海だったのだ。
極力、ひと目に知れず、しかも敏速に目的地である北方王国に到着するのが目的だった。
「しかし、不気味な船ですね。場所が場所だけに」
「噂の幽霊話か? 確か、ヴォークラン船長の幽霊船だったかな?」
中佐の表情が厳しくなる。
「少尉。君は栄光ある帝国海軍の将校だろうに、そんなくだらない与太話を信じているのかい?」
「いえ、自分はそんな……」
少尉が慌てる。
「ですが、それにしてもあの船は妙で嫌な感じがします」
「おいおい、次は、船の精霊がいるとか言い出すんじゃないだろうな。それでは私の娘と同じだ」
「お言葉ですが、中佐。先程から注意深く見ているのですが、甲板に船員の姿が見えません」
その言葉にローヤルティ中佐も望遠鏡で黒い大型船の甲板を見た。確かに副官の言うとおり船員の姿が見えない。
「うむ……君の言うとおりかもしれない。やはり妙だな」
次に黒い大型船は不可解な行動をとりはじめた。
進路をラングドッグ号に合わせてきたのである。しかも弱い風に反して速力も非常に高いものだった。大型船の行動にラングドッグ号の乗組員たちは慌てた。
「取舵だ! 衝突を避けろ!」
船長が叫ぶ。
船が左に傾き、よろけた船員がロープにしがみつく。
「何のつもりでしょう」
「砲撃の準備えさせろ。海賊かもしれない」
ラングドッグ号の船体から大砲が突き出されていく。
謎の大型船も進路を変えてラングドッグ号の船体めがけてさらに突き進んでくる。
このままでは追突する。
船が接触する前に大型船の進路を変えさせるか、沈めるしかない。
ローヤルティ中佐は、砲撃を決断した。
「砲撃開始!」
ラングドッグ号の大砲が一斉に発射さ砲弾が黒い大型船めがけて飛んでいく。
しかし、黒い大型船は砲弾を跳ね返し、そのままラングドッグ号の横っ腹に突っ込んだ。
船体が大きく揺れ、何人かの船員が海に放り出される。
ローヤルティ中佐も上甲板で倒れそうになったが手摺りに寄りかかり何とか持ちこたえる。
大型船の上甲板を見ると人影が見えた。服装からすると船長のようだ。
船の船長か!
上甲板を睨みつける。だが、上甲板に立つ人の顔を見たとき、中佐が怯んだ。
そこに立っていたのは不気味な髑髏の顔をした男だったからだ。
「髑髏? まさか本当にヴォークラン船長の
その時、ローヤルティ中佐は見た。自分に向けられる銃口を。
髑髏面の船長はライフル銃の照準をローヤルティ中佐にを定める。
次の瞬間、銃声が霧の海に響いた。
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