第27話 南雲は怜に提案する
「俺とのこの話が、そんなに嫌だったんですか?」
「先生こそ、私や兄に気をつかってはるんでしょ?」
怜は南雲の視線から逃げずに逆に尋ね返す。「気を遣う?」。南雲は訝しげに眉を顰める。
「だって、雇用主からそんなこと言われたら、断りづらいでしょ」
雇用主。それが理事長の事だと気付いた。そんな南雲の前で怜は言葉を続ける。
「申し訳ないな、ってずっと思ってて……。南雲先生に迷惑かけないように、お兄ちゃんに断らなきゃ、ってずっと思ってたんです」
「俺は迷惑じゃないですよ」
南雲は驚いたように言ってから、苦笑した。
「それに別に俺だって、嫌なら断る権利がありますよ。雇用主の理事長にそう話すぐらいのね」
「じゃあ、なんで断らないんですか」
怜が目を丸くする。南雲は噴出した。
「だって、俺には断る理由がありませんから」
怜は南雲の言葉がすぐには理解できなかったようだ。しばらく無言だったが、戸惑ったように南雲を見た。
「俺はこの話をお受けしたいぐらいですよ。ただ、藤先生が嫌なら、俺は諦めますけど」
南雲は少し首を傾げるようにして怜の顔を覗き込む。
「私のこと、気持ち悪くないんですか?」
怜は顔をそむけるようにしてそう言った。自由な方の手でハイネックの上から首をさする。南雲は目をしばたかせてそんな怜を見た。
「何が気持ち悪いんですか?」
「兄から聞きました。ムカデの呪いのこと。南雲先生も知ってはるんでしょう?」
「ええ、まぁ」
頷く南雲を、怜は呆れたように見た。
「一生つきまとうんですよ、私に。あの気味の悪いムカデが」
怜は南雲に顔を近づけ、ハイネックに指をかけて引き降ろした。彼女の言うとおり、薄くはなっていたが、青黒い痣がまだその白い首には残っていた。
「事あるごとにうなされたり、暴れたり……。南雲先生には見えないもので大騒ぎするんですよ。気味悪くないんですか?」
南雲はしばらく怜とその首の痣を交互に見ていたが、怜の目を見て言った。
「どうにかしてあげたい、とは思いますが、気味が悪いとは思いません」
きっぱりとそう言う南雲に、怜は腕の力を抜いた。首をせわしなくさすっていた腕が、だらんと、下に垂れる。南雲が掴む彼女の手からも、逆らうような力が抜けていた。
「私、ずっとお兄ちゃんに断ろうと思ってて……」
「断りたいんですね」
苦笑する南雲に、怜は勢い良く首を横に振った。
「断りたくなかったんです。だけど、南雲先生に申し訳なくって……。自分にとって都合がいいからって、ただそれだけで先生を振り回すのは申し訳ないな、って思ってて……」
だから、側にいれなかったんです。消え入るような怜の言葉に、南雲は口唇の端に笑みを滲ませた。
「何度でも言いますけど、俺は別にこの話を断るつもりはありませんよ」
南雲は怜の顔を見て、言葉を続けた。
「ただね。藤先生に無理強いしたくもないんです。だから、まずは気軽にお付き合いからしてみませんか?」
「気軽に?」
怜は訝しげに南雲を見上げた。だって。南雲は怜に笑いかける。
「まずは相性が合うかどうか気になりませんか? 好きな映画とか、良く食べる料理とか……。金銭感覚もね。いくらムカデが気にならない男でも、合わない男と一生連れ添うのは嫌でしょう?
あ。俺は藤先生の好きな作家はなんとなく気付いてますよ」
芥川龍之介でしょう。そう言う南雲に、怜はおずおずと頷いた。「俺も好きです」。南雲はそう言って笑った。
「もしもそれで、相性が合わなければ俺とのこの話は断ってください」
それでどうでしょうか。そう言って柔らかく笑う南雲に、怜はゆっくりと頷く。
「よかった」
南雲はほっと息を吐いて怜の手首を掴む手をゆっくりと離す。
「連休中はずっと部活ですか?」
南雲は左手に持っていた太刀を両手に持ち替え、怜を見た。
「午前中は全部、部活の監督に入れいていますが……」
「じゃあ、都合のいい午後に映画でも二人で観に行きませんか?」
南雲の誘いに、怜はしばらく彼を呆けたように見上げていたが、耳まで赤くなって頷いた。その様子を見ているだけで、なんだかこちらまで気恥ずかしくなって、南雲は視線をそらす。
「巡回して、体育館施錠してしまいましょうか」
彼女の左隣に視線を移すと、下足室の窓が見えた。
ふと。
学生服姿が映っているのが見える。
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