第30話 南雲は兄と笙子を祝う
◇◇◇◇◇
レジ袋を持って二階への階段を上がろうとした時、尻ポケットに入れたスマホが揺れた。
だったら、直接会って聞いたほうが早いな。
そう思い、二階の怜の部屋を一瞥したが、念のためにスマホのパネル表示に視線を走らせた。
兄だ。
南雲は階段から離れ、廊下の壁にもたれかかりながら通話ボタンを押した。
「
スマホからは懐かしい兄の声が流れてきた。
「結婚おめでとう」
南雲はスマホに向かってそう言った。
今日は5月5日。兄と
「行けなくて申し訳なかったな」
南雲がそう言うと、電話の向こうで兄は恐縮した。
「いや、運動会の後片づけや部活動指導があるんだろう? 仕事なら仕方ないさ。ただ、今日結婚した、ってことを伝えよう、と思って」
「おめでとう」
南雲はもう一度口にする。兄は電話越しに照れたように笑った。
「嫁に代わるよ」
「は? いいよ」
南雲は思わず断るが、兄はそれを照れだと勘違いしたらしい。
「写真しか見せてないだろう? ちゃんと紹介しておくよ」
いや、知ってる女だし、とも言えず、口ごもる南雲に、兄が「笙ちゃん」と、彼女を呼ぶ声が電話越しに聞こえてくる。
「……もしもし」
しばらくして流れてきたのは、懐かしい笙子の少しかすれたハスキーな声だった。こいつ、妊婦なのにまだ酒も煙草も辞めてないな。南雲は眉をしかめる。
「初めまして。笙子です」
不承不承といった声でそんなことを言っている。南雲は噴出した。
「兄貴には俺とのこと、言ってないの?」
「はい」
「じゃあ、俺も一生黙ってるわ」
「そうして頂けると大変嬉しいです」
「念のため聞くけど、これ、スピーカーになってないよな」
「ええ、違います」
近くに兄がいるからだろう。笙子はあくまで他人行儀な言葉遣いだ。
「いつ、俺と兄貴が兄弟だって知ったの?」
南雲は壁にもたれたまま、視線は磨き上げられた飴色の床に落としている。
「
おいおい、なんの話をしてるんだよ。隣で兄が苦笑する声が聞こえた。南雲は苦笑する。
誠実な人柄と、「職業」に魅かれたのだ、と。彼女はある意味昔らか正直だった。
「俺が卒業して、ちゃんと正職員で就職してたら、俺と結婚してた?」
南雲が小声で尋ねる。
「そうですね」
笙子のはっきりとした返答に、南雲は笑った。この女と結婚しなくてよかったかもしれない。
「咲哉さんはお付き合いしている人はいなんですか?」
笙子につまらなそうにそう問われ、南雲は階段の上を見上げて言った。
「いるよ」
その答えに、スマホからの声がしばらく途絶えた。予想外だったらしい。南雲は苦笑する。いつまでもお前に執着していると思うなよ。
「結婚は?」
笙子に問われ、南雲は答えた。
「まだ相手が若いんだ。就職したばっかりだから、向こうのお兄さんから数年は待ってくれ、って言われてる」
「今度は若いの捕まえたんだ」
小声で笙子がそう言った。
「そっちは年上捕まえたんだな」
南雲の返答に笙子は笑い出した。懐かしい笑い声だ。だが、それだけだ。ときめきも、切なさも、悲しささえ心に沸き起こらない。
ああ、もうこの女は自分にとって過去の物なんだ。南雲はぼんやりとそう思う。
「おめでとう」
笙子がそう言う。
「ありがとう」
南雲もそう答えた。続けて笙子に言った。
「俺と違って、兄貴はあんたを幸せにしてくれると思う。お幸せに」
「あなたもね。その若い子ちゃんを幸せにしてやって」
笙子の言葉に、南雲は笑って返答をし、通話を切った。
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